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“里山”−アートが呼ぶ交流の輪

研究部長  大門 忠志

過去、里山は農山村に住む人々に密接なかかわりのある存在であり、日々の生活に必要な炭や薪、農作物に必要なたい肥や厩肥の肥料となる落ち葉、下草、落ち枝、また家畜のえさとなる下草などを里山に依存してきた。しかし、このような人の生活と里山との関係も、化石エネルギーへの転換や化学肥料の普及により薄れ、見捨てられる存在となっている。それに伴い、そこに住む人々も減少の一途をたどり、高齢化が進む状況となっている。

しかしながら、最近ではその見捨てられた里山を見直す動きが見られつつある。里山は日本の原風景であり、都会に住む人々に憩いの場を提供する一つの場であり、ボランティア活動等により景観保全が図られつつある。ただ、今回は単なるボランティアによる景観保全ではなく、里山を利用したアートイベントによってもたらされる、有形無形の賑わいについて取り組みの先駆けとなった、新潟県十日町市の芸術祭を中心に、各地での芸術祭の状況についてまとめてみたい。(それ以前から様々な芸術祭は各地で行われていたが、里山を活用し、多くの人に知られることとなったのが今回の事例ではないかと私は考えている)

新潟県十日町市では平成12年(2000年)より芸術祭(越後妻有大地の芸術祭)を開催し、15年以上経った今では、国内ならず世界的にも認知される一大イベントとなっている。イベント事業が単発に終わったり、ボランティアに委ねるだけのものが多いなか、これほど長く官民一体となって継続的におこなわれている事例は少ないのではないだろうか。また開催される地域が広範囲にわたり、耕作放棄地や里山という地域を中心に開催されており、当地での成功を参考に、現在では瀬戸内芸術祭を始め全国各地では同様のイベントが開催されている。

1.越後妻有大地の芸術祭

(1)開催場所

芸術際は新潟県十日町市と津南町の2つの町からなる「越後妻有」で開催される。新潟県のほぼ南端に位置し、東京から電車で約2時間、車で約3時間の距離にある日本でも有数の豪雪地帯である。面積は約760ku、信濃川が南北に流れ、雄大な河岸段丘が形成され、東京23区(約620ku)より広い地域に人口が約65,000人、65歳以上の高齢者が人口の約3割強を占める。1年の3分の1以上が降雪期間という豪雪地帯、平地の少ない地すべり地帯という厳しい地理条件に加え、若年労働者の流出、過疎化、高齢化が進み、衰退傾向にある。その一方で、信濃川の恵みを受け、古代より長きにわたって農業を営んできた中山間地域における棚田、瀬替えをはじめ、ここでの景観、生活、コミュニティは、日本の原風景であり、懐かしさを感じる典型的な「里山」として豊かに残されているところである。

十日町
十日町市観光協会HPより

(2)大地の芸術祭

越後妻有の6つのエリア(十日町市の5地区と津南町)において、3年に一度開催される、里山の自然とアートが織り成す芸術際である。田畑や民家、廃校などの里山を活かし、世界から集まったアーティスト達が手がけるおよそ380点にものぼるアート作品が展示される。

大地の芸術祭

アート作品は左記の6地区全域に広がり、大阪府南部の岬町深日あたりから和歌山県湯浅町までの円内の面積に相当する。

平成12年(2000年)の第一回の会期中は地元の参加集落が28集落、作品数が146、第2回の平成15年には38集落、作品数224、平成18年は67集落、作品数329、そして昨年の平成27年(2015年)には110集落378の作品と会を重ねるごとに参加集落・作品数が増え、6つのエリア内に散在するアーティスト達の作品を、見学者はそれぞれのアートを道しるべとして広大な里山を巡ることになる。

“人間は自然に内包される” を基本理念とし、豊かな自然に包まれ、人々が生活する越後妻有の里山は、地球環境に対する人としてのあり方を見つめ直し、環境破壊をもたらし、ひいては人の心も蝕んだ近代パラダイムを変革する可能性を秘めている。この考えが大地の芸術祭全体に貫かれており、人間と自然がどのようにかかわればよいか、その指針を示すモデル地域となることを目指し、地域づくりが進められている。


(平成25年11月筆者撮影)

まつだい付近

〈アート作品一例〉


脱皮する家:日本大学芸術学部彫刻コース有志 作

廃屋に飾られた陶器の枝 作者:高橋治希
(3)開催の経緯

芸術祭開催のきっかけは、平成6年からスタートした「ニュー新潟里創プラン」における十日町の指定から始まる。「ニュー新潟里創プラン」とは、広域連携を見据えたなかで、当時新潟県内にあった122市町村を13の広域圏にまとめ、それぞれの広域圏において「交流人口の増加」「地域の情報発信」「地域の活性化」をはかるソフト事業である。その際に十日町においては、「越後妻有アートネックレス整備事業」と題して、4つの取り組み(@大地の芸術祭Aステージ作りB花の道C越後妻有8万人のステキ発見)が行われ、その一つが大地の芸術祭であった。“なぜ芸術際か”については、県の担当者の発案がスタートであり、それに各地区の行政担当者が加わり検討をすすめ、実行委員会を設立し平成12年に第1回の芸術祭が開催され、平成27年の第6回の開催までにいたっている。

当初は、「このような地に芸術による活性化など」という、どこにでもあるような反対の状況の中、地道に各集落との話し合いを重ね、理解を求めていったが十分な理解を得られずの見切り発車の状況であった。実施については、株式会社アートフロントギャラリー(代表 北川フラム氏)に全面委託し、芸術家の選択、作品の展示場所等運営を行った。3年に一度の開催でスタートしたが平成18年の第3回開催後、恒久設置作品が150を超えたこともあり芸術祭の中間年においても作品を活用し、毎年様々な取組を行い、観光振興及び誘客を行っている。

(4)概要

大地の芸術祭は、「交流人口の増加」「地域の情報発信」「地域の活性化」という視点から取り組まれてきた。来場者状況は表1のとおりである。

(表1)入込客数の推移
入込客数の推移
(十日町市ホームページより)

第6回期間中に実行委員会が行った来場者アンケートの結果によれば、県外からの来訪者が65.2%と前回の67.7%と同様になっており、全国的なイベントとして知名度が定着してきている。また年齢層では30代以下が6割以上を占めるものの、40代、50代の年齢層も1割以上来訪しており、幅広い年齢層のファンがあることが伺える。

地域の活性化の点では、経済波及効果は下記表のとおりとなっている。

(表2)総合効果の推移
総合効果の推移
「ニューにいがた里創プラン」に基づく財政的支援は第3回で終了
(十日町市「大地の芸術祭」総括報告書より筆者加工作成)

次に運営体制についてであるが、実行委員会の体制については特に特筆すべきことはないが、この芸術祭運営においてもっとも重要なのは、サポーター・ボランティアや地域住民との連携である。首都圏を中心とした学生(こへび隊)が運営に大きな力となり、また第4回以降空き家や廃校作品に作品管理に多くの地域住民が携わったことである。

こへび隊の延べ活動人数
総合効果の推移
※2015年地元サポーターの実働延べ人数 465名


(村人のおもてなし)

(こへび隊の活動 こへび隊HPより)

平成20年3月に、大地の芸術祭を応援する地域内外の人々によって「越後妻有里山協働機構」が設立され、同年7月にNPO法人の認証を受けた。第4回の芸術祭より、大地の芸術祭実行委員会と共に同法人が共催者となり、作品製作、イベント運営の一翼を担った。特に、十日町市の一般会計予算で行っている実行委員会ではできない事業を、NPO法人としての特性を活かし効果的な役割分担により、より機動的な運営を行うことでできているようである。

ここで、こへび隊について述べておきたい。芸術祭の運営について欠かせないのが、こへび隊の存在である。単なるボランティアではない。どのようなものかは、平成25年3月こへび隊のHPにかかれていた紹介文がもっともその存在を示していると思われるので同文を掲載する(現在はHPに掲載されていない)。

「こへび隊」とは
「大地の芸術祭」をサポートしている人たちの総称で、芸術祭の運営から、日々の作品メンテナンス、雪掘りや農作業まで、「大地の芸術祭」に関わるほとんどの活動をこへび隊がサポートしています。

こへび隊の活動は、お金や能力を持つ人が、それらを困っている人に分け与えるような「ボランティア」ではありません。妻有の地において、私たちは本当に未熟な存在です。そして、そこが困っている場所だからではなく、私たちにとって、希望のある楽しい場所であるからこそ、私たちは妻有に通っています。

また、こへび隊の活動は、誰かの保護、監督の下に行われる「体験学習」でも、決まった目標や規則、リーダーが存在する「組織」でもありません。私たちは、他者の土地に入り込む責任を自覚し、自身の妻有での活動を、自ら切り拓いていかなければいけません。

「こへび隊」という名前は、一人ひとりが「ボランティア」や「スタッフ」という肩書きを拭い去った「何者でもない自分」であるための名前です。

そして、何者でもない未熟な一人ひとりであるからこその学習や労働、他者へのまなざしが、越後妻有に、たくさんの人々のつながりを生んできました。

それぞれのこへびの汗と涙、笑顔が、そのまま「大地の芸術祭」の軌跡なのです。

こへび隊は、今日も、新たな人と出来事との出会いに戸惑い、感動しながら、妻有の大地を駆け回っています

ここにかかれているように、ボランティア活動というイメージではなく、あくまでよそ者という自覚を持ちながら、自分たちのふるさとに帰り、ふるさとを守り、自分たちの住むべき場所を守るといった自然体の姿で取り組んでいるのが印象的である。実際、現在では、東京から移り住んだ若者も多く、村の高齢者達に暖かく迎え入れられともに生活している。

(4)成功要因

平成24年に私が現地を訪問し、10年に以上にも渡り継続してきた要因について、当時のご担当の方や来に市の担当者及びこへび隊のメンバーに聞いてみた。

  • 立ちあげ時の行政の支援
  • 第1回の芸術祭の成功。予想以上の来場者
  • ボランティア、サポーターの支援
  • 企業の支援(メセナ活動として人的、財務的な支援)
  • 地元の協力(外国人、ボランティアの受け入れ)
  • 国内で初めての取り組み

等々あげられた。どれが一つ欠けても継続できない要因であるが、やはり一番の要因は、ボランティアの支援ではないだろうか。私見ではあるが、ボランティアといっても、一般に思われているような自然の再生、環境保全、教育といった大義と言えば大げさになるがそのような目的をもったものでなく、「好きだから」「自分のいたいところだから」といった感じの、自然体の気持ちでのサポートという点が違っているように思える。確かに、最初は芸術に関係した学生が集まり芸術祭を開くといったところから始まった。芸術祭の年だけでなく、毎年毎年雪下ろしや農作業のお手伝い、恒久作品の維持管理に参加している。10年も経てば学生から社会人になった人もいて、それらの人も時間の許す限り継続して参加している。芸術祭を鑑賞に来て、こへび隊の活動をみて参加するひとも増えてきているそうである。

ひきつけるものが何であるのか、里山の自然というだけでなく、そこに住む人との交流それが大切な要因ではないだろうか。

2.和歌山県の状況と今後の取組み

これまで、国内で先駆けとなった新潟県十日町の「大地の芸術祭」について述べてきた。では、和歌山県ではどのようなものがあるかを見てみると、

  • 竹燈夜(和歌山市内:毎年)
  • 満潮際(和歌山市内:2011年和歌浦 民間企業記念行事)
  • ひと・アート・まち和歌山(和歌山市内:2011年障害者アート)
  • 紀の国トレイナート
  • Happy maker in 高野山2013
  • WAKAYMA SALONE 2015

他にもイベントはあるものの、「芸術」的なものは上記ぐらいしかないように思える(祭りや教育的な行事は各地方で行われているが)。これらについては、芸術に関心のある、もしくは開催の関係者には認知されているものの、大地の芸術際や瀬戸内国際芸術祭のように他府県から求心を得られるほど大規模なものではなく、まちの賑わい・活性化にはなかなかいたっていない。継続的に行われているものの、単発的でイベント的なイメージが強く、地元の人々との交流や継続的な経済波及効果を生むようなイベントではない。

他地域での成功要因を考えてみると、あくまで収益・採算を目的とするものではなく、付随的なものとして経済波及が生まれるものであるということである。目的は、あくまで“地域のにぎわい””地元との共生“が主体となっていないだろうか。人がきて地元の人とともに楽しんでもらい、次の機会がわくわくできるような期待を持てるものでないといけない。必要なことは、地元の人も楽しめる、地元の人が楽しめるということである。地元の人も楽しみながら、来訪者をも楽しませるということが大切である。

とはいえ、経済的な面も無視はできない。イベントには資金が必要であるのは間違いのない事実である。さらに、その為には経済的自立が必要である。要するに、“芸術+観光”を目指す来訪者が資金を地元で落としてくれる、芸術を鑑賞するついでに 地元で消費が行われるということである。行政の補助・企業の寄付だけでなく、その消費によって派生する経済効果で、イベント事業の採算を得られる、自立する必要があるということである。他人の財布任せでは事業は永続しない。最近では、企業からの協賛金はなかなか得られない状況になってきており、なおさら自立が求められている。

そのために必要となるのが、単なるボランティアではない、「サポーター」である。単に、参加する、一緒になって楽しむというのではなく、地元住民の生活に入り込み、寝食を共にし、究極はそこに定住するぐらいの意識をもったサポーターが必要である。大地の芸術祭を支えているのは「こへび隊」であり、瀬戸内芸術祭を支えているのは「こえび隊」、BIWAKOビエンナーレは「琵大生」である。大地の芸術祭を現地訪問した際に、こへび隊のサポーターに聞いたが、これらサポーターは、地元のためのボランティアという意識だけでなく、そこの空気に触れて自分が癒される、そして自分の再発見ができる、自分の存在感、地元の人に必要とされているという意識 これらが合わさってサポーター活動を行っているということである。単なる手伝いではなく、地元住民が仲間としての受け入れてくれる土壌がないと出来ない。和歌山においても、このような雰囲気は地方にいけば、まだまだ残されているのではないだろうか。日高川町に学生とともに訪問したとき、非常に歓待された。その後も季節の挨拶状は送られてくる。基本的に地方の人は排他的といわれるが、それはあくまで何らかの私心をもって入りこもうとする場合であって、ともに生きる気持ちで訪問すれば胸を開いてくれるのではないだろうか。 

和歌山においても芸術と観光を結びつける場は多々あると思う。関西という大きな経済圏を後背地とし、自然のままの海、山、川これらが一つの場所にこれだけ近接に存在するようなところは少ない。ここに“にぎわい”をもたらすために必要なのは、“やろう”という気持ちを持った人だけである。そして、『地域の笑顔と元気、そして 村の賑わい』、お年寄りが若い人たちと交流し、笑顔で生活でき、生きがいを作る、これが最大の成功であると思う。決して、財政的な活性化だけが目的ではないということを改めて述べておきたい。

(2017.8)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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