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白浜から熊野本宮を巡って

主任研究員  藤川 剛史

1.はじめに

昨年12月に、財団法人和歌山社会経済研究所で勤務することとなりました。私は奈良市在住で和歌山とは縁が薄いのですが、この勤務を機に和歌山を少しでも知ってやろうと考え、久しぶりに熊野本宮へ行ってみることにしました。

2.白浜

奈良から熊野本宮へ行く最短ルートは、国道168号線で十津川村を越えて本宮町へ入るルートですが、今回は前日に白浜宿泊としたので、自宅から富雄川を下り、法隆寺インターから西名阪自動車道に入り、松原ジャンクション経由、阪和自動車道へ。御坊インターで高速を出て、国道42号線で白浜へ行きました。御坊インターまでは順調に飛ばせましたが、国道42号線は込んでおり、ドアトゥードアで3時間半かかりました。来年には近畿自動車道が南部インターまで開通する予定と聞いておりますので、それに期待したいと思います。

白浜は、ほぼ1日雨でぐずついていました。両親が小学生を連れてというパターンより、シルバー層が孫を連れてきているパターンが目に付きました。住宅ローンや教育費に追われた30代40代の所謂働き盛りが疲れていて子供を連れてこれず、両親に任せて連れてきてもらっているという姿が見えてきます。豊かなシルバーの「4つの財布」は名言だと痛感しました。

さて、白浜町のホームページで同町の歴史をひもといてみますと、白浜で最初に温泉として発展したのは湯崎温泉のようです。太古の昔から湯崎海岸に自然に湧き出して、白い煙を上げていた無色高温の湯崎温泉は、鉛が採れなくなった江戸時代初期から湯治場として発展しました。

すこし時を下り、明治に入りますと、1887年(明治20年)に紀州航路が開かれて、大阪方面から汽船で直接お客が来られるようになると湯崎温泉は急速に発展した、とあります。当時はまだ大阪から白浜へ行く一番の手段が船だったとは驚かされました。

その後、大正末期から昭和初期にかけて、白浜の各地区に開発会社による開発が行われ、1933年(昭和8年)にJR白浜駅が開通すると、白浜は、阪神地方の観光客を迎え、保養、観光を兼ね備えた海の温泉街として発展していきました。

その後、戦後の混乱期を経て、1960年(昭和35年)には宿泊客が100万人を突破し、その後も急激な増加を見るにいたりました。

そして、1978年(昭和53年)には、観光客総数は350万人を突破し、別府、熱海と肩を並べる日本の三大温泉観光地に成長しました。と書かれています。

そこで、この観光客が350万人を突破した1978年前後から昨年までの観光客の推移をグラフにしてみました。(出典:和歌山県観光振興課「観光客動態調査報告書」白浜温泉・椿温泉)

白浜地区の観光客の推移

1978年は1977年に比べて観光客総数で、+36%の93万人増と急激に増えていますが、以後観光客総数は、1992年の374万人と1997年の369万人をピークに300万人前半を横ばいの状態です。

この横ばい状態、総数がさして減っているように見えないのは、私の印象と一致します。しかし、宿泊客と日帰り客の別で見ると、話は違ってきます。

宿泊客は、観光客総数の推移とほぼ同じカーブを描きつつ、若干減少傾向に推移しているのに対し、日帰り客は徐々に増えています。

総数はさして変わらなくても、宿泊客は減少、日帰り客増加で儲かりにくくなっていることが伺えます。

私は、宿泊した晩に、ロータリー近くのスーパーマーケットへ家族で買い物に行きましたが、浴衣姿下駄履きの湯治客を多数見かけ、観光客がそんなに減っているのかなという印象は受けました。

ただ、財布のひもはしばられっぱなしになっているのかもしれません。

先ほどの「4つの財布」に期待するのがいいのかもしれません。

3.熊野古道・熊野本宮

偶々行った日が熊野本宮の大礼祭りで稚児行列があるとホームページで読んだので、神社へ問い合わせた所、朝、本宮で行事の後、湯峰温泉で峠へ登って行事ということで、私のイメージとは大分異なりました。稚児行列といわれると、町中をお稚児さんが練り歩き、それを観光客もみるというイメージでしたから。観光客に見せるのがメインではなく、神様に奉納するのが趣旨と思いますので、下手に観光化せず今のままの方が奥ゆかしくていいのかもしれません。

翌日は、白浜駅を通過して中辺路へ向かったのですが、いつもほれぼれするのが国道311号線です。3年前に始めて国道311号線を通ったのですが、熊野古道の山中に沿った道ということでグニャグニャの難路を想像していたら、アニハカランヤすばらしい道路で、奈良の山中にもこんな道が早くできたらと思う次第です。本宮から五条に向かう国道168号線も大分改良されてきてはいますが、それでも運転する私も酔い止めを飲もうかという難路です。3年前の今回も好印象鮮烈な国道311号線を通り、本宮へ向かったのですが、3年前は、道の駅「熊野古道中辺路」で途中休憩して牛馬童子を見に行きました。

この時の印象ですが、国道311号線の上に旧道か林道らしき道があり、そのまた上を熊野古道が通っているというイメージでした。ですから、道の駅から大分登って、熊野古道に取り付き、そこから結構山道を歩いて牛馬童子にたどり着いたという印象です。ここで私の無知をさらすようですが、牛馬童子というのを有名なので相当大きな銅像か何かではないかと思っていました。ですから見たとたん目が点になりました。こんな小さい物とは思いもよらなかったです。それではざぞかし古い物で由緒があるのではと思って車に戻ったのですが、後で聞いてみると、明治時代の作品とのこと。つらつら考えるに、奈良の仏像のように像が古くて価値があるのでなく、熊野古道という「道」の歴史に価値があるようです。このあたり誤解の無いようにしておかないと、単に童子を見るだけのツアーに陥るおそれがあるように思います。

今回は本宮へ行く前、昼過ぎに「野中の清水」に寄ったのですが、国道311号線からそれ程離れておらず、ちょっと寄るにはいい所だと思います。私が行った時は、尾張小牧ナンバーの車が水を汲んでいたので、遠くからも来られてるんだなと驚きました。ただ、名水の割に、それも日曜日というのに、車が列をなして殺到しているという風はなく、もっとPRしてしかるべきではと考えます。

午後1時ごろ、熊野本宮へ到着。本宮大社下の餅屋で、餅ならぬ「詣でうどん」をすすり、参拝。大祭が開かれるという割に観光客も一部団体を除くと少なく、ゆったりと参拝できましたが、いまだ「隠れたスポット」という感じがします。

ここで、白浜と同様に、熊野温泉の観光客の推移をグラフにしてみました。(出典:和歌山県観光振興課「観光客動態調査報告書」熊野本宮温泉郷)

熊野本宮温泉郷の観光客の推移

こちらの場合は宿泊客の線と日帰り客の線が交差しています。1977年当時は、交通の便のせいもあるのでしょうが、宿泊客145,967人で日帰り客53,165人の2.7倍となっています。1980年ごろまでは宿泊客の方が多いのですが、80年代はお互いほぼ拮抗して推移し、1990年以降は日帰り客の方が多くなり、特に昨今、例えば昨年、2002年では日帰り客420,772人と宿泊客172,282人の2.4倍となり、この20数年の間に、宿泊客数と日帰り客数との間で逆転現象が起こっています。

特に1998年から1999年に著しい伸びが見られるので、和歌山を知らない私は最初、NHK朝の連続テレビ小説『ほんまもん』の影響で増えたのかと思ってしまいましたが、『ほんまもん』は2001年度(平成13年度)下期の放送ですから、この伸びには直接寄与していないことが分かりました。調べてみますと、南紀熊野体験博の開催(平成11年4月29日〜9月19日)と熊野古道の人気や国道311号の改修等の効果から、観光客全体で18.3%の大幅な増加があったようです。

このまま、国道168号線で奈良へ帰ろうかと思ったのですが、国道沿いに「木葉の家」の表示があったので、物はついでと山道を車で登ること15分、山の上にある、NHK『ほんまもん』の主人公「木葉の家」のセットに到着。この家には実際に人が住んでおられ、中には入れませんでした。家から少し登った所に、根津甚八が演じた一路のお墓があるのには笑かされましたが、墓所から見える熊野川(新宮川)は見事な眺めでした。ああいう景色を眺めながら木の葉は育ったのだなと思いながら、「ほんまもん」のやっている時に見に来ればと言う感慨が起こりました。

しかし、NHK朝の連続テレビ小説で放映していた時やその直後は観光客で賑わったのかもしれませんが、日曜の昼下がりで客はバイクの若者と私くらい。もうちょっと観光の目玉の一つとして活用できればと悔やまれます。「木葉の家」までの標識は完璧に整備されており、国道168号線から誰にも聞かずに家までたどり着けました。インフラはきちんと整備されているのに何かもったいない気がします。

そういうことを思いつつ、私は国道168号線のくねくね道を通り奈良へ帰りました。

4.結びに代えて

熊野古道は順調にいけば2004年6月、世界遺産に登録されることになっています。そうすればもっと観光客も増えてくるでしょうし、国道311号線をみていると容量的には大丈夫な気がします。

2004年に近畿自動車道が南部インターまで延伸したとして、国道42号線の南部・田辺間の渋滞は必至だと思います。吉備インターから国道424号線を通って中辺路町へ出るルートのPRをすれば、少しは渋滞は緩和されるかもしれませんが、それでは一大観光地である白浜を素通りすることになります。やはり近畿自動車道の田辺IC(国道311号線との接続なら上富田ICか)までの早期延伸が望まれてなりません。来年、2004年が熊野観光の正念場になることは間違いないのではと思います。

(2003.8)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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