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海内無双の紀伊忍冬酒

主任研究員  亀位 匡宏

はじめに

図1 紀伊國名所圖會より「鷺森御堂」挿絵
図1 紀伊國名所圖會より「鷺森御堂」挿絵
図の左下が源次郎太夫屋敷・忍冬酒の酒造所

紀伊國名所圖會巻之一に「いにしえより鷺森御堂の裏門前、酒屋源次郎太夫が家に製する所にして、其名四方に高し。其味辛甘相半(しんかんあいなかば)して、能く々ゝ胸間をすかせり。薩州の泡盛に比するに、香気一段の風味をまし、いとも佳品なり。しかも永く酔をたもちて、容易くさむることなし。彼中山の千日酒といへるは、此のたぐひにやと思はる。・・・・」と賛辞を並べ、銘酒「忍冬(にんどう)酒」のことが記されています。一見何か凄そうな酒です。そんな四方に名高い銘酒が、江戸時代「鷺森御堂の裏門前(現在の鷺ノ森南ノ丁、城北小学校北東角のあたり)」で造られていたのです。

江戸時代の和歌山有数の名産品であったにもかかわらず、現在ほとんど知る人のいない、この紀伊忍冬酒がどんな酒であったのか、そして現代和歌山の名産品としての復活の可能性について、大いなる期待を込めつつお話ししたいと思います。

紀伊忍冬酒の評判

紀伊國名所圖會は文化8(1811)年、和歌山藩の命により編纂されました。同様のものに 天保10(1839)年編纂の紀伊続風土記があります。その第三輯には「・・・・忍冬酒は府下鷺森源次郎大夫か家に製する所にして其の名世に高し・・・・」と記されています。しかし、いずれの書物も地元権力者の編纂ですから、手前味噌の可能性は捨て切れません。

では、江戸時代の百科事典とも言うべき書物にはどう記されていたのでしょうか。まず、寺島良安著和漢三才図会(正徳3年)には「紀州・勢州の忍冬酒は有名で上饌に供する」、貝原益軒著大和本草(宝永5年)にも「紀州に出るものを佳品となす」とあります。食の大百科、人見必大著本朝食鑑穀部之二忍冬酒の項では、伊勢の忍冬酒と共に詳しく「紀陽家(紀州藩)の酒は甚だ辛辣で、香が烈しく、丁・桂の類をまぜて焼酒(焼酎)に造る。世間ではこれを珎賞している」と記しています。

江戸時代、諸藩では忍冬酒を初めとする様々な薬酒を競うように造ったらしいのですが、紀伊忍冬酒はどうやら、その数多ある忍冬酒のうちでも一二を争うほどのブランド酒だったようです。将軍家や御所に献上されていたとも書かれています。

荻生徂徠の高弟、太宰春台曰く。「苦辣評烈、海内無双、一滴咽を下り、直ちに臍下に到る。痛快言うべからざる也」だそうで。

忍冬酒とは

1.どんな酒?

さて、まず「忍冬酒」とは何なのか、というところからお話しましょう。広辞苑にはこうあります。「【忍冬酒】薬用酒の一。スイカズラの茎葉の浸出液と焼酎との混成酒。・・・・」と。

そう、忍冬とはスイカズラのこと。半常緑のツル性木本で花に蜜があり、それを吸うと甘いことから「吸い葛」。花は最初白く、後に黄色になるので、これを銀と金にたとえて別名「金銀花」。常緑で冬でも堪え忍んで葉を付けていることから、またの名を「忍冬」。花や茎は漢方薬として有名です。

現在も造り続けられている忍冬酒があります。愛知県犬山市小島醸造で造られている尾州忍冬酒です。慶長2(1597)年から400年以上に渡り絶えることなく続いている正真正銘の忍冬酒です。その製法は一子相伝、門外不出。まったく分からないのですが、その味や、古文書が伝えるその他の忍冬酒の製法を見る限り、単なる「スイカズラの茎葉の浸出液と焼酎との混成酒」ではなく、「焼酎にスイカズラ、麹と糯米を仕込んだもの」でした。

焼酎に麹と糯米を入れても新たにアルコール発酵はしません。糯米が麹によって分解され「糖化」するのです。それはまさに味淋の造り方。近年味淋を飲む人は少なくなりましたが、同様の酒に「柳陰(関東では本直し)」があります。夏に冷やして飲む甘い酒。上方落語「青菜」にも「当今はともかく、昔は大名酒言うて大名しかお召し上がりにならなんだ・・・・」とあります。

2.紀伊忍冬酒略史

紀伊忍冬酒については、松本武一郎氏が業界紙「醸界タイムズ」に昭和49年に連載していた「紀伊忍冬酒」、それを踏まえて平成11年に書かれた「和歌山県酒造史」にとても詳しく記されています。ここでとやかく言うのもおこがましいですね。簡単に示しておきましょう。

表1 紀伊忍冬酒略年表

できごと
天正5(1577)年 浅野長政、初代源次郎太夫に忍冬酒の製法を伝授
天正13(1585)年 源次郎太夫、鷺ノ森に転居。忍冬酒製造開始
寛永14(1637)年 紀州藩主の依頼により、幕府老中に製法伝授
寛永15(1638)年 忍冬酒が紀州藩御用(市販禁止)となる
元禄10(1697)年 六代目源次郎、藩の酒改検査を拒否
明治2(1869)年 版籍奉還、忍冬酒市販となる
明治11(1878)年 廃業
図2 紀伊忍冬酒販売量
図2 紀伊忍冬酒販売量
※ 延宝8(1680)年〜宝永4(1707)年は納入量。
宝永5年〜明治2(1869)年、明治4年、同6・7年は不明。

紀伊忍冬酒を造っていた源次郎太夫の初代は、もとは下和佐に住む弓の名手でした。これを知った羽柴秀吉配下の浅野長政が出仕要請したのですが、固辞。惜しんだ浅野長政が生活の資となるよう忍冬酒の製法を伝授したとされています。

のちに和歌山城下鷺森に居を移し忍冬酒製造を始めました。天正13(1585)年のことです。さぞかし評判が良かったのでしょうか、寛永15(1638)年には紀州藩が全て買い取ることになり、市販はできなくなりました。

右のグラフは紀伊忍冬酒の生産石高をひろったものです。最大でも25.83石(1石=10斗=100升=1000合)、藩の財政や藩主の好みで生産量はころころ変わりました。

そして、明治2(1869)年の版籍奉還とともに藩の買上はなくなり、市販に切り替えたのですが、その頃の生産量はたった1〜2石。明治11(1878)年廃業届を提出し、その歴史に幕が下ろされました。

この、紀州藩とともにあった歴史から分かることがひとつあります。紀伊忍冬酒は、少量生産の上、極一部の者しか手に入らない究極のプレミア酒だったのです。

3.その後の紀伊忍冬酒

これほどまでに歴史を彩った銘酒でありながら、書物に名を残すのみの紀伊忍冬酒。博物館に行っても何もありません。でも江戸時代の紀伊忍冬酒の縁を残すものが少しだけ存在します。ひとつは容器。高麗焼で水差しに改造されたものです。現在は個人蔵。もうひとつ、徳利がありました。徳川葵のご紋付きの箱に入っていたそうです。残念ながら現在は行方不明。どなたかご存じの方おられましたらお教えください。

戦後、一度紀伊忍冬酒は復活しました。海南市の山西専太郎商店さんが造ったそうです。

庭でスイカズラを栽培し、花だけを焼酎に入れて造ったものだと飲まれた方に聞いたことがあります。残念ながら現在この忍冬酒を見ることはできません。

図3 紀伊忍冬酒容器
図3 紀伊忍冬酒容器
図4 紀伊忍冬酒徳利
図4 紀伊忍冬酒徳利
いずれも醸界タイムス昭和49年2月9日号より転載

紀伊忍冬酒の造り方

飲みたくても飲めない究極のプレミア酒。様々な書物に書き連ねられた賛辞も当然かも知れません。と、なれば当然次は「どんな味なのか」知りたくなって当然ですよね。

しかし紀伊忍冬酒も、製法は一子相伝。レシピは存在しません。唯一、幕府老中に製法を書面で伝授しているのですが、その重要部分は未だ発見されていません。ところが、「紀州源次郎太夫流」なるレシピはいくつか存在するのです。ほぼ似たような内容なので、そのうち「摂州伊丹万願寺屋伝」をご紹介します。

忍冬酒の事  和歌山の町 源次郎太夫
一醤酎取様ハ粕拾貫目ニ而弐升用也、酒取ならバ壱升ニ而も弐升取也
一白朮弐拾匁、一肉桂四匁、一白檀四匁、一人参弐匁、一香附子五匁、一茯苓五匁、一紅花五匁、一丁字弐匁、一黄耆弐分、一桂心三匁
右之拾味、木の葉研ニ而粉ニして
一いばらの生花白びニして八升かさ程
一すいかづらの生花白びニして八升
右二色の花、白花ニ而能候、能干て其儘遣申候、但し其内へ青葉のまじらぬ様ニいたし申候、但し干申内ニうるしのきを媒申候
一上々白餅米四斗五升、此内壱斗四升取、糀ニして花付ずニ用ゆ、椛出次第ニ残ル三斗壱升の餅米、蒸て人肌ニさまし惣用を薬共ニませ合、壷ニ入、上ニしき布ヲきせ、足ニ而踏、此上ニ釣蓋置、醤酎壱石入、蓋も取、布も取、蓋をして口を張申候、三十七日か間ニ七日日々々ニかい入申候度々に口を張申候、惣別日数六十日め程置て揚申候、揚げ申候時分ニ辛口ニ候ハハ、又々日十日斗も置申候、但シ造ル時分冬卯月の花の有時分なり

以上をチャートにしたものが図5です。

図5 紀伊忍冬酒の造り方

見ていただければ分かるのですが、造り方は実に簡単。最近は麹付き乾燥米なんかも市販されていますので、ほとんど梅酒気分で造ることができます。特殊な設備も必要ありません。米焼酎とビン、煮出し袋等くるむ布、フィルター等濾過するものがあればOK。何処が秘伝なのかと思ってします。

秘伝中の秘伝は、恐らくは、その事前段階である「焼酎づくり」。球磨焼酎と同じように清酒を蒸留して焼酎をつくるのですが、紀伊忍冬酒の原料の焼酎は同じ量の清酒から、通常の焼酎の約半分しかつくれません。蒸留を繰り返した高アルコール濃度の焼酎だったようです。江戸時代には極めて高度なテクニックだったのでしょう。もしくは蒸留機が特殊だったのか。当時の通常の焼酎がどれほどのアルコール濃度なのかが分からないので、紀伊忍冬酒のアルコール度数も不明ですが、そのプレミア性とともに、アルコール度数が、全国の忍冬酒中1、2を争うブランドに押し上げた要因であったと想像できます。

味淋の甘さ、各種漢方薬と高濃度アルコールの辛さが渾然一体となって「其味辛甘相半」した味を織りなしていたのでしょう。あと、スイカズラは葉や茎ではなく花を、それも大量に用いたことも重要なポイントであったと推測できます。

松本武一郎氏はその連載の中で「アルコール度40度」を理想としてイメージしておられました。

表2 紀伊忍冬酒の材料になる漢方薬等

材料 別名等 効能 分量(焼酎1石に対し) 備考 日本薬局方
忍冬 忍冬 金銀花 解熱、解毒、利尿剤 8升 第二部収蔵医薬品(効能記載の場合のみ)
茨 のばら・のいばら 峻下、利尿薬、染料 8升 漢方薬として用いられるのは実(営実)。薬用風呂の場合は花びらを用いるが、市販はされていない。 第二部収蔵医薬品(実に限り効能記載の場合のみ)
白朮 白朮 きく科おけら(朮)の根茎 芳香性健胃、利尿薬 20匁 75g 第二部収蔵医薬品
肉桂 クスノキ科の肉桂の根皮 健胃薬 4匁 15g 桂心:肉桂からコルク層を取り除いたもの。おそらく日本での取扱いはない。通常ベトナム産肉桂(成分・芳香とも日本産より強い)を代替物としている。 第二部収蔵医薬品(効能記載の場合のみ)
桂心 クスノキ科のケイおよびその他同属植物の樹皮を乾燥したもの 健胃,駆風,矯味,発汗,解熱,鎮痛薬 3匁 11.25g
白檀 白檀 ビャクダン科常緑高木の芯材部分 鎮静・強壮・鎮痙 4匁 15g 第二部収蔵医薬品
人参 人参 ウコギ科オタネニンジンの根 強心,強壮,健胃補精,鎮製薬 2匁 7.5g 第二部収蔵医薬品(効能記載の場合のみ)
香附子 香附子 はますげの根茎 通経,浄血,鎮痛薬 5匁 18.75g 第二部収蔵医薬品
茯苓 茯苓 さるのこしかけ科まつほどの菌核 利尿薬,尿路疾患薬,精神神経用薬,鎮痛薬,健胃消化薬,止瀉整腸薬,鎮吐薬,保健 5匁 18.75g 第二部収蔵医薬品
紅花 紅花 キク科二年草の花の部分 強壮薬 5匁 18.75g 第二部収蔵医薬品(効能記載の場合のみ)
丁字 丁字 フトモモ科の常緑高木 蕾の乾燥物 芳香性健胃・食欲増進 2匁 7.5g 第二部収蔵医薬品(効能記載の場合のみ)
黄耆 黄耆 マメ科キバナオウギ,ナイモウオウギの根を乾燥したもの 止汗,利尿,強壮薬.肌表の水毒を去る効 2分 6mm 第二部収蔵医薬品

紀伊忍冬酒をつくってみよう

1.家庭版紀伊忍冬酒の造り方

さて、高濃度純米焼酎さえあれば造り方は簡単、用いる漢方薬は(一部を除いて)漢方薬局で入手可能とあれば、自分で作ってみたくなるのが人情。でも、ダメです。酒類に米や米麹を混和することは酒類の製造と見なされます。紀伊忍冬酒は酒税法上「リキュール類」という立派な酒類です。免許を受けないで酒類を製造すると5年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処されます。

米と米麹がだめならば、梅酒同様、氷砂糖で甘味を出す方法はあります。現在、漢方薬酒としてのスイカズラ(金銀花)酒は焼酎もしくはホワイトリカーに氷砂糖を入れて造られるのが一般的です。しかし氷砂糖では味淋の複雑な甘さを出すことは不可能。そこで思いついたのが、みりん風調味料。糯米が糖化したものと基本的な成分が違うのですが、最も近しい味であることには変わりありません。通常市販されているのは液体なので、焼酎のアルコール度を薄めてしまいます。しかし業務用ならば粉末タイプがあります。幸い、武田キリン食品様に粉末みりん風調味料「味しるべ」試供品をご提供いただくことができました。

焼酎には完成時40度以上を確保するために50度の球磨焼酎(酒税法上の分類はスピリッツ)を用意。

図6 紀の川市某山中で見つけたスイカズラ
図6 紀の川市某山中で見つけたスイカズラ

問題はスイカズラ他の漢方薬。たいていのものは漢方薬局で手に入ります。スイカズラの花、金銀花も購入可能。しかしどうせなら生花で試してみましょう。ノイバラの花は漢方薬ではないので薬局にはありません。つまり、この二つの花は自分で採取するしかないのです。で、開花時期の5月、いざ山中へ。

ノイバラはあちこちで咲いているのですが、肝心のスイカズラはどこにあるのでしょう?実はこの2種類の花、開花時期に半月ほどの開きがあるのです。何度も通いあちこち探した結果、紀の川市内で何カ所か咲いている所を見つけました。

では、材料もそろったところでいよいよ家庭版紀伊忍冬酒の製造に取りかかりましょう。

一般の方が造られる場合は図5のほうではなく、こちらを参考にしてください。

用意するもの(家庭版紀伊忍冬酒1升分)

スイカズラ花びら(干したもの)・・・・0.8合
ノイバラ花びら(干したもの)・・・・0.8合

球磨焼酎(アルコール度50度)・・・・1升
粉末みりん風調味料・・・・100g程度

果実酒用ビン(3リットル程度)
煮出し袋(大きめのもの)
(A)

おけら・・・・0.75g
肉桂・・・・0.15g
ベトナム産肉桂・・・・0.1125g
白檀・・・・0.15g
人参・・・・0.075g
香附子・・・・0.1875g
茯苓・・・・0.1875g
紅花・・・・0.1875g
丁字・・・・0.075g
黄耆・・・・0.06mm
図7 紀伊忍冬酒製造中。
図7 紀伊忍冬酒製造中。
  1. (A)をそれぞれ乳鉢で粉にして混ぜ合わせます。
  2. スイカズラ・ノイバラの花びらに@をまぶします。
  3. 球磨焼酎を果実酒用ビンにあけます。
  4. (2)を煮出し袋に入れ、ビンに投入します。
  5. 粉末みりん風調味料も入れ、蓋をしっかりと閉めます。
  6. 週に一度軽くかき回し、32日間暗所で保存します。
  7. 32日たったら煮出し袋を取り出し、さらに28日間暗所で保存します。

これでできあがりです。粉末みりん風調味料がない場合は、本みりん(三河みりんが望ましい)を入れてください。アルコール度は落ちますが、より忍冬酒らしい味になります。

2.家庭版紀伊忍冬酒の味

上記以外にも色々と試しましたが、氷砂糖を使うとどうしても甘さが尖ってしまいます。みりん風調味料の場合は甘さに深みが増しますが、と同時にくどさも出ます。アルコール度数が高いほど、このくどさを抑えてくれるようです。アルコール度数40度の場合には、ほのかで上品な甘さに変身します。ロックで飲むと結構美味しくいただけます。

3.伝紀州源次郎太夫流の信憑性

一応造ってはみましたが、この「摂州伊丹万願寺屋伝」の製法の信憑性は如何なるものなのでしょうか。この忍冬酒にはノイバラの花を入れます。しかし「本朝食鑑」では「紀陽家の酒は・・・・焼酎にて造る」に対し「伊勢家は・・・・金銀花茨の花を用い、米、麹、焼酎に醸し之を造る」とあり、ノイバラを用いるのは伊勢忍冬酒であると記されています。もしかすると紀伊忍冬酒に限っては本直しベースですらなかったということすら考えられます。なにせ「苦辣評烈」ですから。

また、専門の方に聞いたところ、伝わるとおり造った場合、麹の糖化に適した温度で造るとかなりの甘さになることが分かりました。「其味辛甘相半」と言うには少しつらいのです。残されている資料によると源次郎太夫家では11月〜3月の間に造っています。低温での糖化で甘さが抑えられるのかもしれませんが。

幕府ですらそうであったように、全国の大名家が知りたがったブランド酒の製法です。もしかすると紛い物の製法が出回っていた可能性も捨てきれないのです。

新・紀伊忍冬酒へ向けて

1.復元へのハードル

江戸時代、日本1、2を争ったブランド酒。御三家紀州藩と共にあり、よほど権力にコネがない限り口にすることもできなかったプレミア酒。復元できれば新しい和歌山名産にならないだろうか・・・・と、考えました。しかし、以下の課題が残されました。

  1. 製法がはっきりしない。
  2. アルコールがかなりの高濃度であることが予想される。甘さのおかげで度数の割に飲みやすいとはいえ、だれでも飲めるという代物ではない。割ると甘さがぼやけてしまう。
  3. 高アルコール度の焼酎、多種の漢方薬、大量のスイカズラ生花を原料とするため、商品化した場合の製造原価もかなり高額になると考えられる。

そしてもう一つ。どうしても乗り越えられない法の壁がありました。

  1. 今回用いた漢方薬のうち白朮、白檀、香附子、茯苓、黄耆は薬事法に基づき定められた医薬品の規格基準書「日本薬局方」で第二部収蔵医薬品に分類される。ここに分類されているものを用いた酒は完全な医薬品扱い。その製造には薬事法第12条の許可が必要になる。

古くからの製法を継承している一部の薬酒を除いて、酒造メーカーがこの許可を新たに受けるのはほとんど不可能です。仮に「摂州伊丹万願寺屋伝」の製法が真実だとすると、復元忍冬酒を製造することも販売することもできないということになります。

2.遠州忍冬酒の例

広辞苑第4版には「【忍冬酒】薬用酒の一。スイカズラの茎葉の浸出液と焼酎との混成酒。・・・・」と記されていると前で述べました。でも続きがあるのです。「・・・・浜松市の名産。」と。しかし平成7年当時、当の浜松市には心当たりがありませんでした。

紀伊忍冬酒同様、江戸時代から遠州忍冬酒がありました。遠州忍冬酒は明治維新以降も廃れることなく造り続けられ駅の売店でも売られるほどの浜松名物になりました。しかし第二次大戦中の昭和18年製造中止に追い込まれると以後急速に忘れ去られ、広辞苑の記述だけが残ったのです。

この平成7年のこと、浜松市の酒屋さん等で結成されている「遠州夢倶楽部」の人達がこれを知り、復活に挑戦しました。遠州夢倶楽部は「やらまいか」を合い言葉にいろんな商品開発を行ってきたグループです。しかし、やはり製法は不明。そこで試行錯誤の結果、現代人にも好まれるようにと梅酒の甘さをベースに、新生遠州忍冬酒を誕生させました(製造メーカーの事情により、現在は本直しベースの2代目忍冬酒になっています。)。

梅酒といえば、和歌山のお家芸といっても過言ではありません。その気があれば、こういう復活もあり得るのです。本直しベースの薬酒にこだわるより、和歌山のスイカズラ、和歌山の梅等々、地産地消にこだわった方が、それでいて現代人受けするのであれば、それこそが新・紀伊忍冬酒と呼べるものになるのではないでしょうか。

この拙文をお読みいただいた酒造メーカーの方。よろしければ挑戦していただけないものでしょうか。微力ながらお手伝いさせていただきます。

* 紀伊忍冬酒の成分指標 *

試作忍冬酒の分析結果をもとに、専門家にご意見をいただいて本直しベースであった場合の紀伊忍冬酒の成分指標(推定)を作ってみました。
試作してみようと思われたメーカーのみなさまのご参考になれば幸いです。

日本酒度 +20
酸度 0.25
アミノ酸度 0.35
アルコール 40
Bx 22

付録―現在入手可能な各地の忍冬酒―

「今市販されている忍冬酒の味が見たい」という方のために、入手可能な全国の忍冬酒をご紹介します。

唯一、江戸時代当初からの味を守り続けているのが前述、愛知県犬山市の和泉屋小島醸造の忍冬酒。紀伊忍冬酒と同じ御三家尾張藩に保護された忍冬酒です。「葱苳酒」と書きます。中身もすごいんですが、造っているところも昔ながらの造り酒屋の建物がそのまま残っています。江戸時代を彷彿とさせる味と佇まいは、観光都市犬山には無くてはならない資源となっています(図8)。

遠州忍冬酒は前述のとおり遠州夢倶楽部が復活させた忍冬酒。初代の梅酒ベースのお酒は幻の味となりましたが、現在は本格的な本直しベースの忍冬酒が味わえます。復活は平成9年。しかし最初の創業は永禄元(1558)年にさかのぼります(図9)。

最後はちょっと変わり種。奈良県桜井市大神神社の有名な「薬まつり(鎮花祭)」の授与品です。なので、入手できるのは年に一度薬祭の時だけ。こちらは昭和39年の誕生です(図10)。

図8 尾州葱苳酒
図8 尾州葱苳酒
図9 遠州忍冬酒
図9 遠州忍冬酒
図10 大神神社忍冬酒
図10 大神神社忍冬酒

追記(平成23年6月)

と、いうような駄文を書き連ねたのが平成18年。駄文とは言え書いてみるもので、目にされた方から時折新情報をいただくことがあります。「海内無双の紀伊忍冬酒」UPから5年、ついに見つかりました!今までモノクロでしかお見せできなかった徳利(図4)、「そのうち1本を持ってるよ。」というお電話が!

和歌山市の骨董品店から売られていった徳利は滋賀県にありました(この3本のうちのどれか、と決まったわけではありませんが。)。では、ご覧いただきましょう、総天然色で徳利を。

図11 紀伊忍冬酒徳利(その2)
図11 紀伊忍冬酒徳利(その2)
図12 紀伊忍冬酒徳利(底)
図12 紀伊忍冬酒徳利(底)

商品化を夢見た頃、「キオスクに置くなら男山焼の容器にいれなきゃね。」てなことを言っていたような気がします。そしてそれはまさにそのもの。南紀男山焼。当時、「殖産興業」で市井にも多く出回っていたことを考えれば、当然と言えば当然かもしれませんが、筆者にとっては「夢のコラボ」だったのです。その事実が分かっただけでも大満足。

というのも、この徳利、残念ながらオークションに出され、またいずこかへ旅立ちました。でも、いつかきっと和歌山へ帰ってきてくれるよね?(無論、筆者もこのオークションに参加したのですが・・・・・・当然のごとく勝てませんでした。ごめんなさい。)

参考資料・図等出典、お世話になった方々

参考資料・引用
  • 紀伊忍冬酒(松本武一郎著 醸界タイムズ昭和49年1月23日〜2月16日連載)
  • 和歌山県酒造史(和歌山県酒造史編纂委員会編集 平成11年1月23日)
  • 酒の事典(外池良三著 昭和50年6月15日)
  • 本朝食鑑(人見必大著 延宝18年 (島田勇雄訳注 昭和51年11年25日))
  • 和漢三才図会(寺島良安著 正徳3年 (島田勇雄他訳注 1991年5年15日))
  • 大和本草 貝原益軒著 宝永5年
  • 紀伊名所図會 高市志友編 文化8(1811)年
  • 紀伊続風土記 仁井田好古ほか編 天保10(1839)年
図出典
  • 紀伊忍冬酒容器・徳利
  •    醸界タイムス昭和49年2月9日号(株式会社醸界タイムス社発行)
お世話になった方々
  • 世界一統製造部枝長様、中野BC中野社長様・西田部長様・我藤様・上野山様、武田キリン食品高浜様、内田様ほか遠州夢倶楽部の皆様、角谷文治郎商店社長様、酒造組合連合会南様、和歌山県工業技術センターの皆様、県環境衛生研究センターの皆様、大森社長・平沢様ほか醸界タイムス社の皆様、奈良県中井様、滋賀県の坂田様その他本当に多くの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。

(2006.3)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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