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私の「知る楽」(お菊さんの皿とホルトノキ)

研究部長  中山 健太

何か縁あったのでしょうか、昨年7月に(財)和歌山社会経済研究所勤務を命じられ、20年振りに当地へ単身赴任してきました。昨年までの6年間、東京に単身赴任していたのですが、家族と離れての生活となれば、日頃の体調管理・健康維持が何よりも肝要と、週末には必ず都内の未知の街をひたすら歩き回る散歩に出掛けていました。そのうち歩くだけでは物足りなく退屈になりましたので、都心の名のある坂を全部訪ねることを目標(約500坂)としました。当初は闇雲に歩いて坂を探し回ったのですが、主だった有名な坂を訪ねた後、そうそう名のある坂は見つかりません。詳細な地図でも記載の無い場合が多いのです。でも良くしたもので、この「坂の世界」にも専門家・プロの方々がおいでになり、著作もあり、中にはバイブルのように言われている本もあることを知りました。そうなると、絶版となったこれら著作を求めて神田古本屋街を探し回る楽しみ、購入できたときの喜び、一つ一つの坂にまつわる曰く因縁を知る楽しみ、と単身赴任の利点を最大限活用して休日・オフの殆どを「知る楽」に投入していました。戦前、東京の車夫(タクシー運転手)が地理を覚えるのに、山手は坂名で、下町は橋名でと言われていたそうです。坂を一通り全て歩き尽くしたので、次の目標を橋巡り(約500橋)としました。最終的には、坂と橋併せて1100ほどを巡りましたが、これだけ歩くと東京の地理(と言っても概ね山手線の内側と下町だけですが)に苦労しなくなりました。幸か不幸か単身赴任が長く続きましたので、更に都心の公園・庭園・霊園巡り、七福神巡り、商店街巡り、旧赤線跡巡り、天然物鯛焼屋?巡りなどなどテーマを定めて、古い東京や江戸の残滓を見たり食べたりして、知ることを極上の楽しみにして暮らしていました。

帯坂(東京都千代田区番町)
帯坂(東京都千代田区番町)

こういう私が和歌山に来てこれは面白そうと思いましたもののうち2つを御紹介したいと思います。一つは怪談「番町皿屋敷」のお菊さんが割った皿の残りが和歌山市内にあるとの話です。東京で坂巡りをしていた折、千代田区番町で帯坂という名の坂を見つけました。説明板にはお菊さんが『髪を振り乱し、帯をひきずって逃げた』坂とのこと。

ホントかなと半信半疑になりましたが、特徴の無い坂であるにも拘らず、なるほどねと妙に印象深く記憶に残りました。ところが当地和歌山にはお皿が残っているとのこと。どの観光案内書にも記載が無く、和歌山に長く居住している人でも「知らない、初耳だ」とのこと。ビックリしましたが、これは面白そうと「知る楽」魂が刺激され、早速調べてみました。市内吹上の曹洞宗龍門山窓誉寺に汁物として伝わるお皿(7枚、非公開)です。お寺で頂いたパンフレットには、紀州にいた青山主膳の伯母(エイ)から、お菊の亡霊を供養して頂くようにと持ち込まれたとの説明。境内南側に回るとそこには高さ50cmほどの「お菊地蔵」が安置され、その背後には「青山栄墓」と墓碑銘の入ったお墓がありました。これだけ揃うと真物と思いたくなります。

お菊さんの皿 窓誉寺(和歌山市)
お菊さんの皿 窓誉寺(和歌山市)
お菊地蔵 窓誉寺(和歌山市)
お菊地蔵 窓誉寺(和歌山市)

「番町皿屋敷」のことを調べていたら、全国各地に皿屋敷伝説があることを知りました。雲州(松江)、播州(姫路)に始まり、長崎・高知・尼崎・彦根・佐渡・三条とあり、江戸東京でも番町もあれば麹町、麻布桜田町と随分たくさん伝承されているものです。江戸時代、武家の屋敷に花嫁修業を兼ねて勤めていた女性達が家宝を毀損し(冤罪も含め)、お手打ちにあうことが度々起こっていたことも想像できますから、日本中に皿屋敷伝説があっても不思議ではないようにも思えます。

お皿なのですが、和歌山以外にも皿屋敷の皿が残っていました。滋賀県彦根市の長久寺には6枚(予約公開)あり、岩手県盛岡市の大泉寺には4枚(年1回公開)伝わっているとのこと。3ヶ所合計すると17枚になり、落語「皿屋敷」の中で、井戸から出てきたお菊さんの幽霊が、明日の休日分を含めて18枚(9枚×2日分)まで数える“おち”に近づいて来たのには笑ってしまいました。

お菊さんの皿 長久寺(彦根市)
お菊さんの皿 長久寺(彦根市)
お菊さんの皿 大泉寺(盛岡市)
お菊さんの皿 大泉寺(盛岡市)
お菊さんの墓 栖厳院(東京都杉並区)
お菊さんの墓 栖厳院(東京都杉並区)

更に、彦根観光協会のパンフレットによると、長久寺にはお菊さんのお墓もあるとのことですが、お墓は彦根以外にも、神奈川県平塚市晴雲寺にもありますし、東京杉並区の栖巌院にもあります。お皿にしてもお墓にしても曰く因縁由緒はそれぞれあるので、真偽を問うのは野暮なこと、複数存在することを楽しみたいものです。

ホルトノキの図絵 「物類品隲」
ホルトノキの図絵 「物類品隲」

次に「知る楽」魂を刺激されたのは「ホルトノキ」です。きっかけは、平成18年2月7日朝日新聞「花おりおり」欄に掲載された「ホルトノキ」について、『ホルトはポルトガルの転訛。平賀源内は紀州の湯浅町でこの木を見て、ポルトガル由来のオリーブと誤解した。』との一文でした。

ホルトノキを初めて知ったのは、熊野古道歩きで切目神社に参詣し、境内で見つけた樹齢300年の県指定天然記念物との説明が付いていた老木でした。その時は「初めて聞く面白い名前の木だなあ」と漠然と思い、謂れまでは考えもしませんでした。その謂れとなったホルトノキが湯浅町にあったとは吃驚。

湯浅は昔ながらの町並みを保存し、町づくりを地道に進めている町です。私のような町歩き大好き人間にはとても魅力的な町で、昨年来何度も公私を問わず訪れているのですが、観光案内パンフレット等のどこにもこの木についての記述はありませんでした。湯浅町の路地は殆ど歩き尽くしたつもりでいたのに、一寸悔しい思い。また、平賀源内と言えば、東京浅草寺の北、吉原よりも更に北、白髭橋西詰のお墓にお参りしていたのも何かの縁、とこじつけこの「ホルトノキ」があったというお寺探しを始めました。

平賀源内墓所  東京 墨田区
平賀源内墓所  東京 墨田区

平賀源内の著作「物類品隲」(平賀源内全集発行所:平賀源内先生顕彰会 昭和7年12月28日発行に編集)の中に、宝暦10年(1760年)、彼が貝類採取を目的に紀州を旅したときの記録「紀州産物志」があり、『御国之湯浅之寺にホルトカルト申木御座候。甚珍木ニ而御座候。人存不申候。此木之実を取、油にしぼり候ヘハ、ポルトガル之油と申候而、蛮流外療家常用之品に御座候。』とありました。

しかし、これではどこの寺か不明だし、なるほどこの木の実から油を採取するところは“オリーブ”らしいが、“オリーブ”とは書いてない。

『「物類品隲」に(ホルトノキの)果を図示』との新聞記事を思い出し、挿絵ばかりを探したら、「巻の五 図絵」に「擔八樹(たんばんじゅ)」としてよく似た植物画がありました。「擔八樹」を手掛かりに「巻の四 木部」を探しますと、「擔八香」と「擔八樹」の項目がありました。少し長くなりますが引用します。

 「擔八香」 『和俗ポルトガルノ油と名ヅクポルトガルハ蛮国の名ナリ此モノ其国ニ出ル故ニ名ヅク 紅毛語ヲヲリヨヲレイヒト云ヲヲリヨハ油ナリヲレイヒハ此木実ノ名ナリ・・・・・』
 「擔八樹」 『紀伊産方言ヅクノ木ト云湯浅深専寺内ニ大木アリ・・・・予紀伊ニ遊テ始テ是ヲ得タリ蛮産ノ実ヲ以テ是ヲ較ルニ蛮産ハ大ニ和産ハ小ナリトイヘドモ全ク同物ナリ・・・・・紅毛人東都ニ来ル予是ヲ携テ紅毛外療ポルストルマンニ質ス亦真物ナリト云・・・・』
ホルトノキ 深専寺(湯浅町)
ホルトノキ 深専寺(湯浅町)
ホルトノキの乾燥した実 深専寺(湯浅町)
ホルトノキの乾燥した実 深専寺(湯浅町)

これで湯浅の寺とは浄土宗玉光山深専寺とわかりました。お寺は行基の開基。町内中央部を通る熊野古道沿いにあり、天皇・上皇の宿所だったそうで、安政元年(1854年)の「大地震津波心得の記」の石碑が門前に設置されています。

序に「物類品隲」以外の書物も探してみました。「紀伊国名所図絵 後編巻の四」(1811年から1851年にかけて刊行されたものの復刻版)玉光山深専寺の項には、「・・・擔八樹の大木あり。・・・今猶枝葉年々繁茂せり。」とありました。昭和42年刊行の湯浅町誌にも「・・・墓地東北隅に、ほるとの老樹がある。本幹の上部が腐朽、大きな空洞、ほとんど外皮のみでいきている・・・」とあり、「和歌山県の文化財 第2巻」(昭和56年刊行)では「本幹は朽ちているが、樹勢良好、樹冠部に老衰の色がみえない。」とのこと。それでは、まだこの樹は現存しているかもしれないと、現地へ赴きました。

深専寺の墓地へ入ると隅の方にありました。説明書きは見当たらず一寸寂しい思いをしましたが、木そのものは、確かに外皮一枚ではありますが元気そうでした。本幹は割れたように空洞になっていますが、樹冠は緑の葉が空を覆うように繁茂していました。樹下にびっしりと敷き詰められたように落ちていた実を、当時わが国最高の知識人であった源内さんが騙されたホルトノキの実として記念に拾って帰りました。この実は乾燥して茶色になっていましたが、木に実っているときは濃い緑色です。源内さんはきっとこれを江戸に持ち帰り、彼が主催していた東都薬品会(現代の薬草博覧会のようなもの)にも出品していたのではと想像が拡がります。

それにしても解せないのは、オリーブの実と比較してホルトノキの実は細長く長楕円形だし、これを見せた外国人医師が見まごうはずはないと思うのですが、何故間違えたのでしょう?これは継続検討課題としておきましょう。

和歌山市内にホルトノキはあちらこちらに植生していますが、和歌山城の追廻門横や旧本丸跡の階段を上ったところにもありますので、ホルトノキに花が咲くのを楽しみにしたいと思います。

ホルトノキの実 和歌山城旧本丸跡
ホルトノキの実 和歌山城旧本丸跡
ホルトノキ 和歌山城追廻門前
ホルトノキ 和歌山城追廻門前

以上、愚にもつかないお話なのですが、興味の持ちようも十人十色と言うことでお許しください。これからも、自分なりに見つけた、自分の知的好奇心をくすぐり楽しませてくれるものを一つ一つ探して参りたいと思っています。

(注)「知る楽」はNHK教育テレビ 月曜〜木曜夜10:25から放送の番組タイトル

(2006.8)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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