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サンチャゴ巡礼の路(El Camino de Santiago)

元理事・研究部長  崎山 頌一

今年の5月初旬に関空を発ち、約800kmのサンチャゴ巡礼の路を40日かけて歩いてきた。

この数年、熊野古道を歩き続けている。紀伊路から中辺路、大辺路などを歩くうちに、やはり巡礼路は歩くものだと感じるようになり、熊野古道と姉妹道提携をしているサンチャゴ巡礼の路を歩いてみたいと言う気持ちが高まった。

熊野古道の滝尻から本宮までの約40kmを1泊2日で何度か歩いたことがある。本宮大社に到着した時には足が痛くてそれ以上歩けなかった。私の足で800kmを歩き通せる自信はまったく無かった。無理をしないで歩けるところまで行こう。出来ればレオンまで、悪くともブルゴスまで歩けたら残りは来年また来ればよいと思い、ネットで復路便の変更可能なパリまでの航空券を購入した。

宿泊施設や旅の準備品などの情報は全てインターネットの紀行文から得た。「荷物は8kg以下に」の忠告に従い、辞書やガイドブックなどを外し、衣類も最低限のものにしたが、水1リットルと若干の食料、途中で買ったガイドブックなどが加わり、10kg近いリックを担いでの巡礼となった。


(「http://www.humnet.ucla.edu/santiago/iagohome.html」より)

巡礼路

スペイン国内のサンチャゴへの巡礼路はいくつかある。一般的なのが私の歩いたロンセスバレスからからサンチャゴまでのフランス・ルートである。ほとんどが地道で、大きな石ころが転がっていたり、ぬかるみであったりと悪路と言うべき路も多い。また木の柵のゲートを開け私有の牧草地の中を通ることも時々あった。

巡礼路には道標が完璧に整備されている。石造りの道標など立派なものもあるが、圧倒的に多いのがペンキで書かれた黄色の矢印で、樹の幹、電信柱、家の壁、石垣など至る所に書かれており、誰でも迷わずに巡礼路を行くことが出来る。分かれ道に差し掛かった場合、必ず黄色の矢印を探すのである。もっとも大きな町中では、この印を探すのは困難なこともある。地元の人に「この道はカミーノ(サンチャゴ巡礼路のこと)ではないよ。向こうだ」と教えられたことも2、3度あった。

樹の幹に書かれた黄色の矢印
樹の幹に書かれた黄色の矢印

単調な日々の連続

サン・ジャンで貰ったアルベルゲの一覧表を見ながら今日は何処まで歩くのかを決める。アルベルゲは大体5kmごとにある。中には次のアルベルゲまで15km以上離れたところもある。

日の出と同時にアルベルゲを出発。前後に人影のない道をひたすら歩き続ける。行けども、行けども麦畑、牧草地、ブドウ畑。はるか彼方に町が見えてくる。バル(BAR:飲食店)に入ってコーヒーを飲んでしばし休憩。バルで顔見知りの巡礼者と話をする。

アルベルゲの開くのを待つ巡礼者
アルベルゲの開くのを待つ巡礼者

昼前、太陽が頭上近くなると猛烈に熱くなる。足が痛くなり、リックの重さが肩にこたえる。道端に座り込むと他の巡礼者が追い越していく。「Buen Camino」(良い巡礼を)と声を掛け合い、彼らを見送る。一日に平均20km歩く。20kmを越えると急に疲れが出てくる。アルベルゲの開く午後2時までには一日の歩きを終える。アルベルゲの受付を済ませ、まずシャワーと洗濯。それからバルに行ってビールを飲む。その後は食糧などの買い物、昼寝

夕方、町の散策に出かけ、7ユーロ(約千円)前後の定食(ワインまたはミネラル・ウォーターが1本付いている)を食べる。午後10時には寝袋に入る。実に単調な日々の連続である。

巡礼の友

ピレネー越えの初日、顔見知りは一人もいなかったが、日がたつにつれ顔見知りが増えてくる。アルベルゲで泊まった人、歩いている時に話し掛けられた人など、何度か顔を合わせると次第に親しくなってくる。

早朝、村中を歩いていると、民宿の2階の窓から「サキ」と声がかかる。数日振りに会う人である。「元気かい、今日は何処まで歩くのか?」。時々このような場面に出くわす。

アルベルゲのベッド
アルベルゲのベッド

私が遅くにアルベルゲに到着した時、空いたベッドを必死に探してくれたドイツ人。ベッドで寝ている私に「スパゲッティを作ったから食べよう」と声をかけてくれたイタリア人。アルベルゲが満室の時、「安い部屋を探して一緒に泊ろう」と誘ってくれたオランダ人夫婦。ワインにハムやチーズを囲んでの仲間同士の酒盛りに「グラスを持ってここに来い」と誘ってくれたスペイン人。アルベルゲで下段の空いたベッドが無い時、自分の寝袋を上段に上げ「ここに寝ろ」とベッドを代わってくれたスペインの若者。バルでワインをご馳走になった人などを含めると、お世話になった人は数え切れない。私もバルで朝食の代金を支払ったり、足の裏をマッサージしてあげたりと、お返しに務めたが、何も出来ないまま途中で別れた人もいる。

巡礼者は異教徒である私に対しても親切である。でも親切が重なると、それが重荷に感じることもある。あの連中とは会わないようにと2、3日短い距離を歩いた。ところが4、5日後にばったりと出会う。「何処を歩いていたのだ」と再会を喜び合う。「サンチャゴ巡礼の魅力は他国の巡礼者との触れ合いだ」と言う人が多い。

グラノンの町で教会の2階に泊まった時、初めてミサにでた。ミサを終え外に出るとジーパンに着替えた神父に声を掛けられた。「何処から来たのですか」、「よくぞカミーノに来てくれました。今日、イタリア料理のディナーを出すから食べて下さい」と、カソリックでない私に笑顔で手を差し出した。ここのアルベルゲは宿泊代が無料(寄付)なのに巡礼者全員に夕食が提供された。

サンチャゴ巡礼を終えて

大聖堂南門前にて巡礼者とともに
大聖堂南門前にて巡礼者とともに
巡礼証明書
巡礼証明書

聖地サンチャゴにはサン・ジャンを出発してから40日目の朝に到着。大聖堂の周辺で多くの巡礼の友に再会し、無事の到着を喜び合い、栄光の門をくぐった。

巡礼路は素朴な田舎の村や町を通っており、さほど俗化されていない。その分、不便なことも多い。おまけに私はスペイン語がほとんど話せない。英語も中学生程度で、正直言って欧米人との会話は疲れる。それでも、何とか一緒に歩けた。

公設のアルベルゲはボランティアで運営されている。このホスピターレにも随分お世話になった。道中、コーヒーなどの接待を受けたこともあった。彼らから受けた親切が不思議と今も印象に残っている。

足に自信が無いので1週間ほどで挫折するのではと、出発前には思っていた。でも、歩けば歩けるものだ。よくぞサンチャゴに到着できたと、我ながら驚きと同時に感激するものがあった。

歩くだけの単調な日々でありながら全てを忘れた40日間であり、不思議と充実感のある“ほんまもん”の旅であった。

(2006.12)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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