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「子供に負けるな」

研究部長  櫻井 明

はじめに

私が研究職にいた時、一緒に仕事をしている仲間、後輩等と話す機会があればよく「子供に負けるな」と話していた。その意味するところは、皆さんよくご存知のように子供(赤ちゃん)は最初の内、喋ることも、歩く事も出来ない。しかし3〜4歳ともなると“赤ちゃんことば”から意味が明確に伝わる“言葉”に進化する。そして運動機能も危なっかしい伝い歩きからヨチヨチ歩きを経て、走り回るまでに成長する。行動範囲も広まり外の世界を知るや否や周りの自然全てに興味を持ち「なんで」「なんで」を繰返す。

『子供は、1年々いや、月々、日々大きな成長、進化を遂げている。そして周りの自然に興味を持ち、不思議を感じ納得の行くまで質問を繰返す。それに比べあなた方は同じ1年の間にどれだけ「成長」「進化」をしたのか?「何故」を忘れ「そんなものよ」と片付けていないか?』と話したものです。つまり「子供に負けるな」である。

1.子供・人間にとっての「理科・科学の大切さ」

かなり前に入手した興味深い参考文献に文部省1952年(昭和27年)2月「小学校学習指導要綱・理科編(試案)」がある。これは私が生まれる以前に発行された初版の改訂版であり第1章理科の目標から始まる。それと最近見つけた「若者の科学する心の喪失」を抜粋、引用しながら子供にとって、人にとっての「理科・科学の大切さ」についてまとめた。

「小学校学習指導要綱・理科編(試案)」

(1) 科学とは何か

私たちは科学というと、物理学や化学や天文学・生物学・生理学などの学問の体系や、また、それらの学問の応用されたいろいろな物事を思い起こし、非常に難しいもの、近づきにくいものと考えやすい。しかし、このような学問上の理論や、体系や科学の成果ととして生まれた文明の利器が科学なのである。

1)自然現象の事実

ある子供が蛙を飼って、その成長の変化を観察して、記録を作った。父親がその記録を見ると、蛙の変態が動物学の本に書いてあるものに比べて、1か月も長い日数がかかっていることに気がついた。そこで、子供の観察した事実が間違っていると考えて子供の日付を訂正して、動物学の本にあるように書き直した。父親が狭い科学的な知識を振りかざして子供がとらわれない心で観察した自然の事実を誤りであると決定したのである。この父親は「いついかなる場合にも、自然現象には誤という事はあり得ない。」事を忘れているものである。この自然現象を人が解釈する場合に、人の解釈が誤っている事は起こりうる事である。科学の事を考えるにあたって、まず第一に重要な事は、この自然現象の真実とは何かを、はっきりわきまえる事である。

2)科学の客観性と普遍性

身の周りに起こったいろいろな出来事に対して、「これは何故だろう」と思う事がよくある。そうすると、何とかして、この問題を解決したいと思い、これまでのいろいろな経験を基にして考えてみる。ところがそれでは分らない場合が多い。そうすると、ある予想をたてて、いろいろと実際に試してみる。試した結果が問題の良い説明にならない場合には、また予想をたてなおして、またためしてみる。そうして、この問題にしていた事柄がよく説明されるようになるとはじめて納得がいくのである。

しかし、ここで納得のいったものも独りよがりでなく、多くの人が判断しても同じ結論が得られるものでなくてはならない。ということは、多くの人の経験した事実に矛盾しない解釈が下されているという事になる。これは科学が主観的なものでなくて、客観性のあるものだと言われることである。また、条件が同じであれば、常に同じ結果が、どこでも、いつでも得られなくてはならない。これが科学の普遍性といわれるものである。納得のいった解釈が、この客観性や普遍性をもっているならば、このような解釈で築きあげられている知識の体系は、完全な科学という事ができる。

3)子供の科学

科学を誰にでも納得される知識の体系と考えると、私たちにとって重要な考えが一つ生まれてくる。それは子供たちは、それぞれの発達の段階において、ある科学を持っていると考えられる事である。

たとえば、4歳の子供の持っている知識と、7歳の子供の持っている知識とは違ったものであるに違いない。4歳の子供に「おたまじゃくしは何になるの?」と尋ねたらけげんそうな顔をするだろうし、7歳の子供は「おたまじゃくしは蛙になるよ」と答えるだろう。7歳の子供はより進んだ知識を持っている。7歳の子供が満足する蛙の発生についての答えでは、15歳の子供は満足しない場合があるに違いない。7歳の時の知識体系よりも、15歳になった場合の知識の体系のほうが、より発達したものになっているに違いない。

科学をこのように、子供の持っている知識の体系と考えることは、大人や科学者の持っている科学と本質においては変わりない。科学者でも、子供たちと同じように、自分の経験や知識で解決されない事柄に問題を持ち、予想をたてて実験を試み、事実と照らし合わせて一つの理解に達するのである。そして、科学者の最も進んだ業績でも、新しい経験を積めば、また訂正されるのである。

子供たちの知識は年齢が進むにつれて、広く、深くなるのであって、子供の科学といわれるものは常に進歩すると考えてよいであろう。(引用文献:1)

「若者の科学する心の喪失」

(1)科学への関心と現代社会〜好奇心を持てる環境とは〜

必要性も重要な因子だが、科学への好奇心が何にも増して大切だろう。科学への興味や好奇心がどのようにして醸成されるものなのか、専門家でない筆者にはわからないが、個人的には次のような要素があるように思っている。

1)不思議な現象について知りたいと思う気持ち

それは、例えば山、海、森、空野生生物などが多かったのではないだろうか。筆者自身、若き日によく山に登って多くの刺激を受けた。山で見る満天の星、月の異様な明るさ、雲海に昇る朝日、野鳥のさえずり、野生動物を見つけた興奮、高山植物の奇妙な姿。深夜の大雨で山小屋が水浸しになり、ぬれた衣類のままロウソク一本で暖をとって夜明けを待つ時間の長さ、稜線で見たブロッケン現象の不思議さ。自然現象への畏れや好奇心、自然の中の制御不能なもの、不思議なものへの憧れ・畏れと探究心。そんなものが科学への興味を増大させていったと感じている。

2)狩猟(?)の本能

人は探すこと、追うこと、捕らえることに本能的な喜びを持っているように思う。これこそが、科学する心と結びついているように思えてならない。欲しいもの、それは人によって異なるだろうが、それらをどのようにして探し、追いかけていってどのように捕らえるかを工夫する。それは科学の研究にも通じるプロセスである。

自然豊かな空き地や公園で遊ぶ子供たちにとって、自然はこの上ない教師である。池で蛙の産卵、おたまじゃくしの誕生は子供たちにとっては驚異そのものである。現代でも、池におたまじゃくしが現われれば、小中学生は狂喜してつかまえにかかる。低学年では男女を問わない。人間にはおたまじゃくしを黙って見ていられない遺伝子があるに違いない。その結果、わが屋の小さな池のおたまじゃくしは21世紀になった今でも子供たちの本能の犠牲者となりつづけている。筆者自身、子供の頃に、庭の穴に芋虫を引きずり込んでいくジガバチにいたく感激した記憶があり、また軒下のアリジゴクが作るすり鉢型の巣と仕組みに興味を持って研究まがいのことを行った。そこには、本に書かれていない事実がたくさんあることを肌で感じることも出来たのである。池に張る氷、土を持ち上げる霜柱、夜空の天の川と星座など生物とは異なる自然現象も身近に観察する機会がいくらでもあった。自然の複雑なこと、合目的性など、自然に学んだことは多い。(中略)

「沈黙の春」の著者、レイチェル・カーソンの以下の言葉は筆者自身の体験とも相俟って心に響く。

『子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに住みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。

「もしわたしが、すべての子供の成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子供に、生涯消えることのない『センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性』を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」

(レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」上遠恵子訳)(引用文献:2)

2.自然の中に感じた「何故」

身の回りに起こるいろいろな現象に興味、疑問を持つことが科学的思考に不可欠なものであることはご理解いただけたと思う。

小さい時から、また60歳も間近となった今でも自然の中に感じる「何故」「どうして」「何の為に」・・・は数多い。

その中でいくつかを例に挙げそれらに対する答の1例を、文献その他から引用して整理したい。答を見ずにいくつ答えられるでしょうか。

そんなもの知らなくても特に困るわけではないと片付けないで、答の例は、子供さんにもし聞かれた時の参考にはなると考えます。

(1)地球関連:1)空について 2)海について
(2)動物関連:1)蛙について 2)蝉について
(3)植物関連:1)花について

(1)地球関連
1)空について : 空は「何故」青いの?

子供心に、空は「何故」青いのかと考えた時があった。太陽の光は白く見えるが、光は7色から構成されている事を理科で習った直後のことであった。

《答の1例》

空が青く見えるのは太陽の光と大気によるものです。太陽の光が私達のいるところに届くためには大気を通ります。そして太陽の光が大気を通ると大気がその中にある小さな小さな粒によって青色の光が散らばってしまいます。大気中で散った青色の光によって私達は空が青く見えるというわけです。
ただ大気の状態は常に同じ状態ではありません。だから、青色の光の散り方も常に同じではありません。その結果、空の青色の度合いもいつも同じではないという事になります。
例えば水蒸気が多い場合にはたくさんの光が散ってしまい、白っぽく見えるそうです。また標高が高いところでは、青色より波長の短い紫色の波長が散るため、空が紫っぽく見えるそうです。(引用文献:3)

2)海について : 海は「何故」青色で塩からいの?

《答の1例》

太陽の光は虹(にじ)と同じ7色に分れ、全部が合わさって白い色になります。
光は海水に吸収(きゅうしゅう)されていきますが、7色のうちいちばん深くまで届く青い色が海底(かいてい)や海の中で反射(はんしゃ)して、多く戻(もど)ってくるので、海は青く見えるのです。天気や海の中にただよう砂(すな)やプランクトンなどによっても青さは変化します。
今から約(やく)40億(おく)年前、生まれたての地球には海がなく熱(あつ)い地面から噴き出た水蒸気(すいじょうき)や火山ガスに包(つつ)まれていました。火山ガスには塩のもとのひとつの(塩素・えんそ)もふくまれていました。約40億年前、地球が冷(ひ)えてくると水蒸気が雨になって降(ふ)りました。この雨は、塩素をふくんだ酸(さん)の雨で、大地の低(ひく)いところにたまって海となり、岩の中からもうひとつの塩のもと(ナトリュウム)をとかし出しました。海の中でふたつの塩のもとが出会ったので海水には塩がはいっているのです。約30億年前くらいから海のこさはほとんどかわっていないと考えられています。

余談:「海と塩はなくならない?」⇒海水中の塩はで約(やく)34700兆(ちょう)トン。地球全部を約130mの厚(あつさ)さでおおう計算になるよ。
年間使用量(ねんかんしようりょう)が約2億トンなので1735万年分。(引用文献:4)

(2)動物関連
1)蛙について : おたまじゃくしは「どうして」蛙になるの?

この疑問は長い間どうしても解けなかった。ある時研究メンバーの一人に「おたまじゃくしはどうして蛙になるの?」とのいつもの疑問をぶつけたところ、いとも明確に「そりゃ蛙の子だもの」・・・。私は「Why」ではなく、「How to」を考えての疑問であった。

《答の1例》

脊椎動物の発生過程には、体の形を完成させるために、一度つくった体の一部を壊して作り換えをする、「リモデリング」というプログラムがある。ホ乳類では手の指の形成が例である。丸い固まりの手がいったんできて、指の間の組織を削って5本の指を持つ手が完成する。
最も顕著な例は、両生類の変態に見ることが出来る。おたまじゃくし(幼生)は、一度はえたしっぽを退縮させ手足をもつカエル(成体)へと体を作り換える。体のほぼ半分を占めるしっぽ組織を退縮させるこの過程は、ホルモン作用によって自律的に進行するというのが定説になっている。この定説に対し、成体の免疫によってしっぽが拒絶されるという考えもある。
また、具体的に、しっぽのカルシウムを基に手足を形成させる関係でおたまじゃくしは太陽光を浴びるため水面近いところで漂っているのだとか、水瓶におたまじゃくしを飼って蓋をして太陽光を遮断すると蛙になりにくいとの説もあるようだ。是非、検証してみたい気もするが、そのおたまじゃくしがかわいそうでこれまで実行出来ず現在に至る。(引用文献:5)

2)蝉について : 蝉は「何故」成虫になるのに7年も掛かるの?

《答の1例》

蝉の幼虫期間ですが、正直なところ、まだ十分に解明されていないのではないでしょうか。しばしば7年ということが言われますが、この根拠はあまりありません。少なくともすべての(自然環境下における)アブラゼミ、さらに他の種も含め7年と言う事はありません。すなわち分っているのは主に室内における飼育によるもので、限られた状況下での結果です。(屋外と気温も異なることが多い)。したがって、自然の環境ではさらに年数が延びる可能性も否定できません。
結果としては、何故7年(数年)も掛かるのかの答は謎のままで、現在もすっきりしていない。研究?は継続して行きたいと考えている。(引用文献:6)

(2)植物関連
1)花について : 花には「何故」こんなにいろんな色があるの?

《答の1例》

いろいろな花を見ていると、それぞれの花の美しさについて目を奪われます。花そのものだけでなく葉、茎や枝の立ち姿などの美しさもあります。またその花の持つ力強さや品を感じます。でもこれらのなかで、私達が植物を見たとき一番分かりやすく目に飛び込んでくるのは色の美しさでしょう。
それでは一体花の色ってどうしてこんなにあるのって考えたことはないですか?
まず色が発色するためには太陽に光や蛍光灯が必要ですね。光がなければ花だけじゃなくすべてのものに色はありませんね。光が花や葉にあたって初めて私たちには色として感じる事ができます。花に光が当ると一部の光は花から反射、一部の光は吸収または透過します。これらの光のうち、反射または透過した光が人間の目に入って神経を刺激して色を感じているのです。私たちが紫に感じる花は紫の光をその花が反射・透過しているからなのです。ではどうしてこのように反射する光がそれぞれ違うのでしょうか。
それは花や葉、茎の中にそれぞれの光を反射する色素が含まれているからなのです。
花の色素を大別すると
 紅葉の仕掛け人「フラボノイド」:白からクリーム、黄、橙赤、赤紫、青までの色を出す色素
 タンポポの色「カロチノイド」:黄から橙、橙赤を出す
 限られた植物だけに見られる「ベタレイン」:黄から赤、紫を出す
 光合成に欠かせない「クロロフィル」:緑を出す
これらによって私たちは美しい花の色を目にすることができます。
注:色を出す色素の化学名が記載されているがその詳細はここでは省略した。(引用文献:7)

花の色がどうして美しいかは理解できた。しかし花が人間のために美しく咲いているはずはない。昆虫の目にはどう映っているかは興味深いところであるが、今回は紙面の関係で省略する。

あとがき

これまで自然の中に感じる「何故(Why)」「どうして(How to)」「何の為に(for what)」はこれ以外にも数多く、調査研究を完了したもの、調査中のもの、今後新たにテーマとして出会うもの等々。きっと際限なく直面すると思う。

それに対しては今後も、「素直さ」「謙虚さ」「好奇心」を忘れることなく、「子供に負けるな」の精神で取組んで行きたいと考えている。

引用文献一覧

  1. 1952年(昭和27年)2月「小学校学習指導要綱・理科編(試案)」
  2. 清水 誠 「若者の科学する心の喪失」 学術の動向2004.8 P37〜42
  3. NIDEK 目のおはなし「空が青く見えるのは?」
  4. たばこと塩の博物館 第27回夏休み塩の学習塾 「海と塩のハテナ?」
    ハテナ1海はなに色?、ハテナ4 海はなぜしょっぱい?
  5. 井筒ゆみ「おたまじゃくしの尾はなぜ消える?/免疫学の視点から」ミクロスコピア、23;15−21(2006)
  6. セミの家FAQ(よくある質問) 税所 康正
  7. FLOWER MESSAGE 花の色 花の色・自然の色について Naoko Hashimoto

(2008.7)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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