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森を考えるヒント(2)

主任研究員  山東 良朗

第2部 森の生態学 〜地球の不思議・森の不思議〜

1.地球の歴史
■ 陸に生命が上がるまで

堀田善衛氏、司馬遼太郎氏、宮崎駿氏の鼎談の内容を収めた『時代の風音』の中で、司馬さんは宮崎さんに「宮崎さんに一つ作ってほしいテーマがあるのですが。平安時代の京の闇に棲んでいたもの物の怪のことです。・・・・・典雅で、もののあわれと哄笑が同時にあって、人間への大きな批判をこめた平安朝の物の怪は、アニメーションにならないでしょうか。」と話している。このリクエストに応えて、宮崎監督は『もののけ姫』を創ったのかどうかは知らないが、また、この作品がいつの時代を背景にしているのかも不明であるが、ここで描かれている太古の森(この森は屋久島をモデルにしたといわれる)とそれを切り開こうとする人間、そして森を守ろうとする物の怪たちがいきいき描かれている。森の神「獅子神」は、メソポタミア文明のギルガメッシュ叙事詩に出てくる森の神「フンババ」と同じ神である。フンババが殺されて、森の開発を妨げる呪縛が解けたように、獅子神が死んで日本の森は人間が自由にできる場所になったということであろうか。

この作品に描かれた太古の森の姿から、われわれはこの世のすべてがはじまったかのように感じるのだが、森林はそれ以前遙か困難な歴史を有しており、その過程を知ることは、今、人類が直面している環境問題の本質を理解することにつながるのである。それにしても司馬さんはもちろん、宮崎さんは『千と千尋の神隠し』を見てもただ者ではない思想家であることがわかる。

植物が陸上に登場したのは、4億年ほど前のことであるが、海の中では35億年ほど前から原始的な生命であるバクテリアや藻類が活動を始めていた。藻類は葉緑素を持ち、水と二酸化炭素を分解して糖を作りそれを養分とし、その過程で余剰物として酸素を出していた。このとき地球は生命のあふれる星になる光輝な運命を担ったことになる。その初期にはこの酸素は海水に溶けていた鉄を酸化するのに費やされ、海底に膨大な鉄鉱層を堆積させた。海中の鉄を酸化し終えて、ようやく大気中に酸素が放出されるようになった。それまで大気には酸素はほとんどなかったのである。大気中に放出された酸素はまず岩石中の鉄と結合し、オーストラリアに見られるような赤茶けた大地を創りあげたのだ。

もちろんこのとき地上には生命はなにもない。藻類が酸素を供給しはじめて30億年以上経過して植物は地上に姿を現すことになる。この長大な準備期間を経て、ようやく大気が生物を受け入れられる成分構成に変化したのである。同時に大気中に増加した酸素に紫外線がぶつかるとオゾンに変化し、地上約30キロから50キロの上空にあるオゾン層が形成され、有害な紫外線をカットした。このことが生物が地上に進出できる最低の条件であった。植物が陸に進出した約4億年前の大気中の酸素量は現在と同じレベルであり、したがって紫外線も十分に防がれていたと考えられる。植物が地上に現れる過程では、潮の干満の差がそのきっかけをつくるのに大きな役割を果たしたのではないかと思う。もしそうであれば、地球に不釣り合いな巨大な衛星「月」の存在は重要であった。

植物自身も地上に進出するための構造上の準備が必要であった。地中から水分を吸い上げて全身に供給し、また光合成によってつくられた栄養分を運ぶ維管束の形成であるが、何よりも地上では体を支えるのにこの器官が重要である。現在見ることができる植物のほとんどに維管束があり、総称して「維管束植物」と呼ばれている。

■ 急速な植物の進化

地上に進出する準備に30億年かかったが、一度地上に出ると植物の進化は急テンポに進む。わずか5,000万年で根、茎、葉、そして堅い木質組織を発達させ、森林と呼べるものを形成していた。

植物が陸上に進出する歴史は、いかに水辺から離れ乾燥した内陸部の環境に適用するかの歴史であった。陸地で体を支えるための維管束の他に、もうひとつどうしても越えねばならないハードルは生殖の方法である。シダ植物は精子と卵細胞が結合するためには、どうしても精子が泳ぐ水が必要である。だから水辺や湿地帯から離れることができなかったが、そこで最も大きな革命的改革が行われた。それは種子をもつことである。

種子を得たことにより、水への直接的な依存を断ち切ることができたのだ。これに成功したのは「裸子植物」であった。理科の時間のように詳しくはふれないが、裸子植物の場合、シダ植物の精子にあたるのが花粉で、花粉は風に乗って雌花まで運ばれ、将来種子になる胚珠と呼ばれる器官の中の花粉管を伸ばして、精核は卵核と結合する。自動車のモデルチェンジのようにマイナーなチェンジは短い周期で行われていたが、ときには例えばガソリン車から水素を燃料とする自動車の出現のような、根本的な仕組みに革命的変化が生じるようなことが自然界にも登場する。

この大きなモデルチェンジによって、内陸部にまで植物の進出が可能になる。植物が進出を始めると、極端な乾燥地は別として、地上は次第に湿潤化し始める。マツやスギの仲間はこのとき陸地の至る所に進出したので、現在もごくふつうに見ることができるようになった。

さらに植物は大きなモデルチェンジを重ねる。およそ1億年ほど前、「被子植物」が登場したのだ。私たちの周りにある可憐な花をつける植物はすべて被子植物である。被子植物の登場をダーウィンは「忌まわしいほど謎に満ちている」と、解明できない不思議さを表現している。被子植物の登場は、1億年前突然のことであった。

裸子植物は胚珠が空気中にむき出しになっているが、被子植物では胚珠は花の付け根のところにある子房の中に包み込まれている。外気に接しないため被子植物は乾燥化をはじめ、様々な環境の変化に対応できるようになったのである。

被子植物が誕生したのは、地球が気候的に乾燥化したためか、あるいは植物があらゆる進化を模索していて、ようやく辿り着いた最高水準の技術が採用されそれに人気が集まり、爆発的に広まったようなものであろうか、推測するしかない。しかし、被子植物が採用されるには条件があった。それは花粉を運ぶ、昆虫や鳥の存在が必要だということである。被子植物は昆虫や鳥類とともに進化してきたといえよう。おおまかにいえば、赤系統のラッパ型の花は小型の鳥に、その他の系統の花は昆虫に花粉を運ばせるように進化した、と分類できるようだ。昆虫の目では赤は見えないが、鳥の目は構造が人の目に近いうえ、さらに紫外線も見えるため、華やかな赤い色の方が目に付きやすい。しかし花粉を運ぶ主役はやはり昆虫で、わずかな蜜の報酬だけで不平も言わずによく働いている。また、花のいい香りは虫を誘う甘い香りであって、人間に喜んでもらうためのものではない。尤も魚の腐ったような臭いが好きな昆虫もいて、植物はそれにも対応している。鳥は嗅覚が利かないため、鳥に花粉を運ばせる花には香りはない。ただし、海鳥や死肉をあさるコンドルなどは、鋭い嗅覚を持っている。

ところで、すべての植物がこのシステムを採用するには至らなかった。相変わらず花粉を風任せにまき散らす旧モデルの植物が残ったのは、今後起こる様々な変化に対応するため多様性を残したのかもしれない。このため、毎年早春から初夏にかけてつらい思いをしなければならないのである。もちろん花粉症の原因は植物にあるのではなく、人類が自ら起こした大気汚染なのであるから、スギ、ヒノキを目の敵にするのはお門違いであろう。

■ 地上の湿潤化

私は先ほど植物が進出すると、乾燥から湿潤に変化すると書いた。このことの意味は雨が多くなったとか、空気中の湿度が高くなったということではない。雨が少なくても海流の影響で湿度が高い地域もあり、寒冷地域では雨量は少なくても森を十分維持することができるが、赤道直下で同じ雨量であれば砂漠となってしまう。問題は空気中の湿度の量ではなく、土中にどれだけ水があるかということである。植物は根以外から水分を吸収できないため、土の中にどれくらい水をためられるか、ということが植物の生存上重要な鍵となる。つまり湿潤化とは土中の水分量の増加を指している。そして土中に水をためる役割を果たすのが、他ならぬ植物自身の作用なのである。

森からは常に水蒸気が大気中に放出されている。樹木が根から吸い上げた水を、葉の気孔を通してゆっくりと外部に出されるのである。この作用、つまり気化熱によって、どんなに暑い日でも森の中に入るとひんやり感じるのである。また少々の日照りが続いても、森は同じように水蒸気を放出し続けるのである。これは森が土の層の中に、相当量の水をためる能力を持つことを顕わしている。

さて、森が無く土がむき出しになると、降った雨をつなぎ止めるものがなくなるため、水は土にほとんど染みこまずに表面を一気に流れ去ってしまう。このため、雨が止めばたちまち水の無いからからの状態になってしまうのである。

植物が陸地に進出するにつれて、内陸深くでも土に水分が蓄えられ、常に大気中に水蒸気が放出されるようになる。大気の湿度が一定して高くなるため、陸地全体が湿潤な気候に変わって行ったと考えられる。この湿潤な気候になるということは、大まかに言えば海水の中の環境に近づくことである。つまり、植物が地上環境を湿潤に変えたことによって、植物以外の生物も海中から地上に進出できる条件を整えたことになる。

太陽エネルギーの行方も大きく変わる。森は太陽エネルギーの約90パーセントを吸収する。樹木が熱を蓄えて暖かくなるのではない。そのうちの70パーセントは葉から水分が蒸発するときの気化熱として消費され、水蒸気は潜熱をおびたまま上昇し、やがて宇宙に熱を排出するのだ。つまり太陽エネルギーの余分な熱を、この水冷システムを使って宇宙に捨てることによって、地域の一定の気温を保持する役目を担っている。

もし気化熱となる水分が維持されていなければ、言い換えれば森がなければ、太陽エネルギーは地表を熱して、その熱を除く術がないため、ひどい乾燥に見舞われることになる。昼暑く、夜寒い砂漠の極端な気候がそれである。そのような環境に適用できる生物は、今日でもわずかしかいない。

地球を生命のあふれる星にするというこの星最大のプロジェクトは、気紛れな試行錯誤の末に進んで来たように思えるが、案外精確で無駄のないシナリオに沿って進められてきたのかもしれない。

■ 奇跡の連続する惑星

地球は奇跡の惑星と呼ばれることは多いが、私はそうではなく、奇跡が連続(重複)する惑星だと思う。たったひとつの奇跡が生命をもたらしたのではなく、多くの条件が奇跡的に連続して満たされて、はじめてこの星は存在する。例えば、太陽の寿命が短かったり、太陽との距離が近すぎたり遠すぎたり、地球の質量が大きすぎて水循環がうまく行かなかったり、質量が小さすぎて水や空気が宇宙に逃げてしまったりしては、生命は生まれなかったであろう。微妙なバランスの上に生命の星地球が成り立っている。

余談になるが、地球のような星が宇宙(銀河系内)にどれくらいあるのだろう、気にかかるところである。イギリスの天文学者エディントンは地球の存在する確率を、猫がピアノの鍵盤上を歩いてベートーヴェンのソナタを演奏するくらいの確率だ、と言ったようだが、これではゼロと言っているのに等しい。映画「コンタクト」の原作者カール・セーガンは次のような推定を行い、銀河系に約1千万個の文明星が存在すると言っている。

銀河系の恒星の数 4.0×10の11乗個
その1/3に平均10個の惑星 1.3×10の12乗個
生物存在に適した惑星はその1/5 2.6×10の11乗個
その1/3に生命が誕生 0.9×10の11乗個
その1/100に知的生物 0.9×10の 9乗個
現存文明星はその1 / 100 0.9×10の 7乗個 つまり、約1千万個。

この数字では宇宙から頻繁に「コンタクト」がありそうで、少し大き過ぎるのではないかと思う。

またフランク・ドレイクが考案したとわれるドレイクの式、すなわち

  N = Ns × fp × ne × fl × fi × fc × L / G

という方程式が提案されている。Nsは銀河系内に存在する恒星の数、fpはその恒星が惑星系を伴っている確率、neはその惑星系で生物が生存可能な環境をもつ惑星の数、flはその惑星に生命の発生する確率、fiはそうした生命が人類のような高等生命に進化する確率、fcはその高等生命が他の星に対して通信を行えるような高等文明を構築する確率、Lは高等文明の継続時間、Gは恒星の寿命である。松井孝典氏が『地球・宇宙・そして人間』の中で氏なりの適当な数字をこの方程式に当てはめて、1,000という数値を出している。セーガンの数値より現実的に思えるが、1,000もあればどこからかもうそろそろ「コンタクト」があっても良さそうに思うのだが、銀河系は星の塊であるが、直径が10万光年もある円盤型をしているため、膨大な星数であっても中はスカスカで、星と星の距離は相当離れている。光の速さで10万年もかかる空間であるから、これまで人類が模索できたのは、ごく近くまで来ていた光や電波の状況にすぎない。例えば、地球外から電波が来ることに気がついたのは1935年で、本格的に観測を始めたのは1945年以降であるから、地球まで光の速度で57年の距離に接近していた電波を受信したにすぎない。また、ラジオ放送は1920年にアメリカで始まっているが、その電波がうまく電離層を抜けて宇宙に飛び出したとしても、まだ82光年の距離にしか達していないのである。82光年内にある星の数はわずかである。銀河系の大きさから見れば、まだほんの目と鼻の先をうろついているに過ぎないのだ。だから、地球以外に1,000も高等生命がいたとしても、遭遇することは生命が生まれることと同等に難しいことかも知れない。光や電波でこの有様であるから、まして物体であるUFOが現れることなど有り得ないことになる。夢のない話であるが、しかしこれは仮説であるから現実はどうかわからない。

■ 現在の地球環境

これまで植物が陸上に上がった進化の過程を見てきたのだが、3億6000万年前の地層から、最初に陸に上がった脊椎動物といわれているイクチオステガの化石が発見されている。「イクチオ」は魚を意味しているように、発見された当初は魚の化石と思われていた。イクチオステガの全身骨格の化石が得られなかったので、果たしてイクチオステガが陸上動物なのか、水中動物なのか、明快な答えはその後長い間出なかったのである。しかしイクチオステガが頑丈な4本足の骨格を持っていたこと、体が上下に扁平であったこと、丈夫な肋骨を持っていたことなどが決め手となり、イクチオステガは最初に陸に上がった動物と考えられるようになった。

最初に植物が陸に上がってから数千万年しかたっていない時期である。数千万年が短いとはせいぜい百年で寿命が尽きるわれわれには思えないが、植物が地上に現れるまで30億年を費やしたことを思えば、数千万年は短いと言えるかも知れない。つまり、陸上に進出した植物は、急速に陸地の環境を変化させ、脊椎動物の陸上生活が可能な環境を整えたのである。

46億年前に宇宙空間に現れた地球は溶鉱炉の中のような状態だった。そのときから地球は冷え続け、ある段階で何かのきっかけで海中に微生物が誕生し、その微生物が地球の運命を変えてしまったのだ。原始地球の環境が生命誕生のほんの小さなヒントを与え、そこに生まれた生物が地球を根本から変えてしまったのである。地球が与えた生命誕生のヒントはどのようなものであったのかは推測の域を出ないが、一度生まれた生命はそこにある材料だけで体を複雑に進化させながら、荒涼とした環境を少しずつ変化させて行った。その変化の中心的役割を果たして来たのが、植物なのである。

砂漠を眺めているより森を眺めている方が心が和むのは、生命として数十億年培われてきた当然の本能なのであろう。その森を失うことは、地球を植物が地上に現れる以前の姿に戻すことであり、ようやく地上に現れたわれわれ陸上生物の存在を否定することになりかねない。

地球の大気を考えてみる。生命が誕生していなかったとすると、窒素1.9パーセント、酸素は微量、炭酸ガスは95パーセントという構成になるらしい。これは火星や金星の大気に近いという。しかし現在の地球は、窒素79パーセント、酸素21パーセント、炭酸ガス0.03パーセントとなっている。この炭酸ガスのわずか0.03パーセントが倍であるが1パーセントより遙かに小さい0.06パーセントになるとすると、平均気温が数度上昇し、海面が数メートル上昇するなど、地球の様相は一変してしまう。しかし植物の成長は逆に早くなる。また炭酸ガスが現在の半分になると、植物の光合成は困難になると考えられている。一方、酸素濃度がエベレストの頂上のように地上の3分の1程度に下がれば、われわれの生存が難しい状況になり、逆に数パーセント上昇すれば、金属が錆びやすくなったり食物が劣化しやすくなる。さらに火災の危険が一気に増加し、森などは焼けてなくなってしまうことになるという。この大気中の酸素21パーセント、炭酸ガス0.03パーセントの割合も絶妙なバランスにあるといえる。

2.森の生態学
○植物の生態
■ 光合成

植物の生態ではまず第一に「光合成」について述べねばならない。植物はわずかな無機塩類を含む水と炭酸ガスと光があれば、光合成を行って成長することができる。そのとき地球を生命あふれる星に導いた酸素の供給と、植物以外の生物を養っている有機物を作り出している。この原動力はただの太陽の光である。この天然のソーラーシステムが生命すべての源なのである。

光合成の模式図
光合成の模式図

明反応:水を分解し、光エネルギーを固定する反応
暗反応:炭酸ガスと水素を固定しブドウ糖を作る反応

日本林業技術協会編『森林の100不思議』より

図にあるように、光合成は光を必要とする明反応と必要としない暗反応に分かれ、明反応は反応系IとIIに分かれる。反応系IIでは、葉緑素でとらえた光エネルギーで水を水素と酸素に分解し、高いエネルギーをもった電子が作られる。この電子を体内に貯め、必要に応じて放出することにより化学反応を進めるATP(アデノシン三燐酸)に渡され、ここで光エネルギーが化学エネルギーに転換することになる。反応系Iでは、この電子が水の分解で得られた水素原子が補酵素(NADP)と結合するのを助け、水素が反応しやすい状態にする。一方暗反応は、明反応でできたATPのエネルギーを利用して、炭酸ガスと水素からブドウ糖を合成する。

以上、光合成の大まかな流れを『森林の100不思議』から抜粋して書いたが、実際の光合成は複雑で精巧な化学プラントともいえるものであり、そのシステムの素晴らしさは、現在人類が持つ科学技術を総動員しても創り出せないほどのものである。

光合成において、太陽の光に次いで重要な役割を果たしているのは水である。樹高100メートルを越えるような木であっても、根から吸収された水は髪の毛ほどの道管の束を通って先端の葉まで、葉から水が蒸発する力で音もなく絶えず送られている。葉の気孔からその水の90パーセントは蒸発により失われるが、残り10パーセントは光合成の材料に利用されるのである。

■ 炭酸ガスの吸収

植物の生態で現在最も注目されているのは、炭素ガスの吸収作用である。光合成の暗反応過程で空気中の炭酸ガスを取り入れるのだが、ただし植物は炭酸ガスを一方的に吸収し続けるものではない。1本の樹木が発芽し、成長し続ける過程では炭酸ガスを取り入れながら樹木は大きくなり、炭酸ガスを吸収し続けるように見えるが、この場合においても炭酸ガスの出し入れが起こっている。というのは、植物自身も呼吸作用により二酸化炭素を放出しているからだ。さらに、いったん樹体を作った炭素の一部は、葉や枝、また花などが枯れて落下したり、動物や昆虫に食べられて糞や遺体などのかたち(これらを総称して「リター」と呼ぶ)で土に還る。土には微生物や土壌生物がいて、リターを食べることにより生活しているが、その結果リターは分解され無機化されて土壌に蓄積されることになる。これらを再び植物が吸収して、植物の体を形成することになるのである。しかし炭酸ガスは根から吸収されることはないので、やがて土壌から大気中に放出されてしまう。

このように、無機質に限れば同じ森の中の収支はほぼ均衡状態にあり、森全体の現存量は一定に保たれることになる。炭酸ガスに関しては大気中を自由に移動するものであるから、地域を限定できるものではないが、光合成による吸収、一方呼吸による排出、さらにリターから分解されて大気中に放出される量は均衡していると考えられる。

ここでひとつ疑問が残るのだが、林業により人工林、天然林を問わず原木を持ち出すことは、その森林にとって循環していた貴重な無機質を失うことになり、長く林業を続ければ、やがてその場所は樹木の育たない貧しい土壌になってしまうのではないだろうか、ということである。

しかし、基本的に森の営みは土壌中の養分を増加させていくものである。水が十分確保されれば、ほとんど養分が無いような荒れ地でも草が生え、やがて低木が茂り、それが高木を誘い立派な森林に育って行くことができる。だから現在ハゲ山になっている場所は、もう二度と森林に戻らないかといえば、そうでもない。林業という数十年から百年以上もの期間で一巡する森の営みの中では、何とか様々な要因で養分は補われているのだろう。

■ 森の生産量

森の総生産量は1ヘクタール当たりの1年間に生産した乾燥重量(トン)で表されるが、生産量に影響する外的要因は第一に気温である。亜寒帯の常緑針葉樹は40〜50トン、温帯の落葉広葉樹は20〜40トン、温帯照葉樹林で70トン、マレーシアの熱帯雨林で80トンという報告がされている。大まかにいえば気温が高くなるほど生産量が増える傾向だが、温帯の落葉広葉樹では生産量が亜寒帯の常緑針葉樹より減少する。これは葉の量による差である。落葉樹林では葉量が最も少なく、冬期に葉をすべて落としてしまいすべての生産活動を停止するためだ。そして温帯照葉樹林から熱帯雨林へと生産量は増加する。

要するに、気温が高いほど活発に光合成が行われるが、1枚の葉の光合成量には限界があるから、葉の総量によって生産量は大きく変わってくるということであろう。しかし実際にはその樹木の樹齢や生えている土壌の状態によって、生産量が大きく変わるものであるようだ。

落葉広葉樹は冬に葉を落とし、春に新たな葉をつける。これは相当労力を要する仕事であるため、落葉広葉樹は常緑針葉樹に比較して寿命が短くなる。そのため数千年も生きる長寿の樹木は常緑針葉樹で占められている。

総生産量から呼吸量を差し引いたものが純生産量であるが、呼吸量は気温が高くなるほど増加する傾向があるので、純生産量は亜寒帯の森と熱帯の森との差は減少することになる。亜寒帯針葉樹林で11トン、温帯落葉広葉樹林で9トン、照葉樹林で21トン、熱帯雨林で25〜30トンといわれている。しかしこれも樹齢や土壌の状態による影響が大きい。

森の生産量を経済学のように総生産量Pgと考えると、次の式が成り立つ。

 Pg = Pn + R = y + L + G + R

Rは葉、枝、根、幹の呼吸消費量の合計、Rを総生産量Pgから引いたものを純生産量Pn、yは年間の現存量の増加量、Lは枯死量、Gは動物による被食量で、すべて期間は1年間とする。したがって純生産量Pnは、現存量の増加量yと枯死量Lと食べられた量Gの合計であることが導かれる。しかし成熟した森では現存量が増加する余地がなくなっていると考えられ、つまり、森全体として多くの樹木が成長するとそれに見合う樹木が枯れるという状態になり、y =L+ Gが成立する。どこかの樹木が枯れないと若い樹木が育たないという状況は、経済学でいうならば「パレート最適」の状態である。ただし、ここには人為的な伐採による損失は含まれない。

■ 極相林

日本の森の構造は外から見れば高木の集団に見えるが、その高木の下にも植物が詰まっている。その分類は亜高木層、低木層、草本層、苔層と大まかに分けられる。これらの層が複雑に入り組んでいるため、日本の森の中は道がないと歩きにくい。ところがヨーロッパの森では低木層がない場合が多いため、案外簡単に森の中に入ることができるようだ。天然の森がそのまま遊歩道になるのである。

高木に空を覆われると光が差し込まなくなる。光が当たると育ち、当たらないと成長できない木を「陽樹」といい、光が少なくても成長できる木を「陰樹」という。仮に森に重大な変化があり植物のない状態になったとすれば、真っ先に生えてくるのはクリ、アカマツ、シラカバのような陽樹だが、これらは短命な樹種が多いようだ。陽樹の茂った日陰で、陽樹が枯れるのを待っているのがシイ、ブナ、ミズナラなどの陰樹である。陽樹が枯れると待機していた陰樹が我先に空を覆ってしまう。そんな森に陽樹が芽を出しても育つことができないため、陽樹が大勢を占めることは最早ない。陰樹の森が一度出来上がると、安定した森になり、陰樹だけが世代交代を繰り返すことになる。このような森の最終形を「極相林」と呼ぶ。

さて、ヨーロッパの森は耐陰性の樹種が少ないため、陽が遮られると低木が育たない。これは氷河時代にそれらの樹種の大半が消失してしまったからのようだ。そのため陽樹から陰樹に変遷して安定した森を形成することは少なく、いわゆる「更新」が日本よりずっとスムーズに行われる。

○日本の森の動物

様々な動物の生態をここで披露するスペースはなく、簡略に日本の森に棲息する主な動物のことを書こうと思う。ここでまず断っておかなければならないことは、森は樹木だけで成り立っているのではないということだ。熱帯雨林の項目でも述べるが、地球のほとんどの生命は森を拠点として生活しているのである。生命の星地球でも、最も生命密度が高いのは森である。

■ ツキノワグマ

昔、独りで山に登るというと、クマが出て危ないからやめなさい、と警告する人が案外多かった。山に入れば、うじゃうじゃクマが闊歩しているように思っている人が多いようだ。本州にいるのはツキノワグマだが、このクマに出会ったことはない。遠くからちらりと見たことすらない。もともとクマは争い事を好まない動物で、遠くから人間が近づいて来るのがわかれば、さっさと進路を変えてしまう平和主義者である。危ないのは出会い頭にクマに接近することだ。だからクマの出現をおそれる人は鈴を持って歩くとか、ラジオを鳴らしながら歩くなど、簡単な方法でクマをよけることができるのである。

そのクマも、年間を通じて雪により人間の行動が制限されない九州ではほぼ絶滅、四国、中国、紀伊半島のそれぞれ一部分に孤立した分布域が残るだけだ。岐阜県から東北地方にかけて分布域が広がるが、これも道路や市街地の拡大によって、行動範囲が大きく制限されており、数が著しく減少し、絶滅の心配さえ出てきている。ツキノワグマの数を激減させたのは、彼らのエサ場となる広葉樹林を切り開き、針葉樹中心の人工林を増やしたことが最大の原因である。冬眠を前に栄養を貯えねばならないクマは、エサを求めて人里に降りてくる。それで有害危険動物という烙印を押され駆除されるのである。万病に効くという特効薬として「熊の胆」を狙われて殺されたり、この森の王者はさんざんな目に遭っている。今でも年に1,000〜2,000頭が捕獲されている。

樹木に対するクマの害は、北海道のヒグマでは報告されていないが、本州のツキノワグマは「クマ剥ぎ」という樹木の皮を剥がす行動をする。大径木の最も価格の高い下方の「元玉」と呼ばれる部分に被害が集中するので、林業にとっては損害が大きい。被害は6月から7月に集中しており、この頃樹皮が柔らかくなり、粗タンパク質や可溶性の無機窒素が豊富になるらしい。

なわばりをつくる習性のあるツキノワグマ1頭が生きていくのに必要な森林面積は、50〜100ヘクタールと考えられている。ツキノワグマが生息できるということは、そこにかなりの良質のまとまった森が広がっているということになる。ツキノワグマは森林の豊かさを測るバロメーターと呼べるかもしれない。

■ イノシシ

ツキノワグマとは逆に個体数を増やしているのはイノシシである。かなしいかなイノシシは足が短いため雪の積もる場所は苦手で、温かい地域を好む。北関東辺りまでが生息域であったものが、近年では暖冬の影響だろうか、東北地方に進出をはじめているようだ。イノシシが増加しているのは、イノシシの仔(一般的に背の模様から「ウリ坊」と呼ばれる)を補食するキツネなどの肉食獣が、野ネズミ駆除用のフラトール団子で死んだネズミを食べて、数を減少させたことが原因のようだ。そこに猟師の後継者が少なくなり、余り捕獲されなくなったこともある。イノシシはブタの原型であるから、繁殖力は旺盛である上、木の実や新芽、魚、蛙、昆虫、ミミズ、ヘビなど好き嫌いせずに何でも食べる健康体である。人家に近ければ、ニワトリなども補食する。クマよりも雑食の範囲は広く、最後まで生き残る逞しさを有する動物だ。

しかし、イノシシも人が植えた針葉樹の森だけでは食べ物に困り、里に下りては畑を荒らしたり、ゴミを漁ったりするため、これまた害獣として駆除されるのである。樹木に害を与えることは少ないようだが、イモやニンジン、トウモロコシ、コメなど農業被害は深刻である。ただネギ、タマネギ、ニンニクなど臭いの強い野菜は、風貌に似合わず苦手であるようだ。食害だけでなく、畑はイノシシにすれば恰好の遊び場で、元気に走り回ったり、泥浴びしたりと、一夜で畑が全滅することもある。ともあれ絶滅の危惧はないのだが、その生存が理解され難い動物である。

■ ニホンカモシカとニホンジカ

ニホンカモシカは日本本土にしか分布しない珍しい動物で、1934年(昭和9年)に天然記念物に指定され保護されたものの、密猟が絶えずさらに数を減らしたことから、1955年(昭和30年)に特別天然記念物に格上げされて厳重に保護されることになった。その結果順調に数は回復し、今ではヒノキの幼樹の新芽を食べたりする害獣になっているが、特別天然記念物であるだけに手が出せないでいる。そのうえニホンカモシカも自分たちが特別天然記念物であることに気が付いたのか、案外山でも簡単に見かけるようになった。人間が手出しできないことをいいことに、小首を傾げながら山の岩場に突っ立ってこちらを眺めて、人間が近づいても一向に動じない。

ニホンジカは雪の少ない太平洋側に棲んでいる。ニホンジカも木の皮を剥ぎ取るため害獣と呼ばれている。奈良県と三重県にまたがる大台ヶ原では、トウヒなどの天然林の密度は近年低くなり、一面に生していたはずの苔が無くなっているのには驚かされる。トウヒの皮をニホンジカが剥ぎ取るためトウヒが枯れ、森に日射しが入り乾燥したことが、苔がなくなった原因のようだ。トウヒの樹皮が地上から2メートル近くまで、まるで磨き丸太のようにきれいに剥がされている光景は、想像以上にニホンジカの害が深刻であることを顕している。このような被害はスギにも及び、5月から6月に集中して被害が出ている。ツキノワクマのところで述べたが、この時期の樹皮にはかなり栄養があることを知っているようだ。この樹皮を剥ぐという習性はカモシカにはない。このほかにニホンジカは「角こすり」という行動をする。シカの角は毎年生え替わり、4月頃から皮膚を被ったまま成長をはじめ、8月末には成長がとまる。この頃から角こすりをはじめるようで、具体的な理由はわかっていないが、メスをめぐって戦う練習をしているとか、なわばりのマーキングをしているなどの理由が考えられる。とにかく森の樹木にとってはシカが最も厄介な生き物である。

ニホンカモシカもニホンジカも広い広葉樹林があり、そこで充分な木の実などが得られれば、少なくとも人工林に対する被害は少なくなるに違いないのだ。増えすぎれば駆除してしまえばいい、と考えるのは余りに短絡的な結論である。山に大型獣がいなくなれば、生物の階層構造が崩れ、害虫が大発生したり、病気がはやったりして、より大きな被害をもたらすこともある。もともと、ニホンカモシカやニホンジカが減ったり増えたりするのは、人間の仕業であった。昔森にはニホンオオカミがいて、カモシカやシカを適当に間引いていた。そのニホンオオカミを人間が直接、間接に絶滅に追いやったのだから、非は人間にあるのだろう。クマもイノシシもシカもカモシカも、人間と反目せずに長く共生できる関係を作らねばならない。それが結局は人間の環境に最もいいはずである。

○熱帯雨林の生態学
■ 熱帯の生物の多様性

森林面積の減少を世界に向かって最初に警告したのは、2002年(平成14年)にノーベル平和賞を受賞したカーター元米大統領が大統領任期中の1980年(昭和55年)に、合衆国政府がまとめた特別調査報告書『西暦2000年の地球』であった。それまでローマクラブの『成長の限界』など、工業化した人類の将来に警鐘を鳴らすレポートはいくつかあったが、森林の減少が人類に大きなわざわいをもたらすことを警告したのは、このレポートが最初である。そこで警告されているとおり森林の破壊が進行してしまったのが、これから述べる熱帯雨林なのである。

熱帯雨林の生態的特徴のひとつは、熱帯では温帯の10倍以上の樹種が生えているといわれるほどの、樹木が多種多様であるということである。1ヘクタールに200種類ともいわれているが、これはつまり同じ樹種がその中に2、3本しかないということになる。だから種としては同種のものと巡り会える機会は少なく、その面では厳しい生存環境にあるといえるかもしれない。

生物圏の種の数

分類単位 記載
種数
分類単位 記載
種数
原核菌類(細菌、藍藻類) 4,800 軟体動物 50,000
真菌類 47,000 棘皮動物(ヒトデなど) 6,100
藻類 27,000 昆虫類 750,000
植物(多細胞植物) 250,000 昆虫以外の節足動物 120,000
原生動物 31,000 魚類 19,000
海綿動物(カイメン) 5,000 両生類 4,200
腔腸動物(クラゲ、サンゴ、クシクラゲ) 9,000 爬虫類 6,300
扁形動物(ウズムシ) 12,000 鳥類 9,000
線虫(回虫) 12,000 哺乳類 4,500
環形動物(ミミズなど) 12,000

岩波講座 地球環境学5 「生物多様性とその保全」より

熱帯雨林の生物の多様性は植物だけではなく、あらゆる生き物においてもその種は猛烈に数が多い。実際に種類が多いのは確かなようだが、その全容は現時点では明らかになっていない。地球上に存在する生物は300万から1千万種といわれているが、このうち現在登録されている種は微生物・菌類・藻類・無脊椎動物が35万種、植物25万種、昆虫75万種、脊椎動物4万種、計140万種程である。つまり半分以上の種は未だ登録されていないことになる。そして種全体のおよそ半分が熱帯雨林に存在しているとの専門家の見解だが、危惧されるのは毎年1万種近くが絶滅しているのではないかといわれていることだ。その中には人類にとって画期的な、例えばエイズなど一夜にして治すような有用種が含まれているかもしれないし、何よりもこの星の環境を維持してきた生物の多様性が失われることに、最大の問題がある。

■ 熱帯雨林の成長速度

典型的な熱帯雨林では、最大樹高が45〜60メートルの層があり、その下に20〜30メートルの層、その下に10〜15メートルの層の3つの樹層から成り立っていることが多い。しかし月雨量が100ミリ以下になると水不足の兆候が現れ、50ミリを下回る月もあるような地域では樹高はずっと低くなる。

熱帯の樹木の形態は、つる植物を除けば類似の形態をもっている。すなわち木の幹が細長く真っ直ぐに伸び、異常に高い枝下部分を持っていることだ。真っ直ぐにすっと伸び枝位置が高いため、枝打ちをしなくてもフタバガキ科(日本では「ラワン材」などと呼ばれている)の樹木は優良材に育つのである。幹の下方に枝がないのは、上方で葉が密集し陽が当たらないため葉をつけても無駄になるからである。熱帯ではとにかく早く背を伸ばさねばならない。日本が大量に輸入するフタバガキ科は、アフリカや南アメリカにも産するが、そのほとんどは東南アジアにあり、特にマレーシアではフタバガキ科550種のうち386種を産している。

熱帯という暑くて湿気の多い環境は植物には最適であるため、熱帯雨林ではすくすく成長するように考えられるが、「森の生産量」の項で述べたように、熱帯雨林の成長が特別早いということでもない。

熱帯雨林の1年間の直径増加速度は、直径30〜50センチクラスの木の成長速度が最も速く、年に0.7センチも大きくなる木もあるが、それより大きくても小さくても直径増加速度は0.3センチ以下に過ぎないという。この成長速度では直径1メートルまで育つには数百年の歳月が必要になり、これは日本の樹木の成長とそれほど変わらない。流石に日本の寒冷地では冬季の間成長が止まるため、熱帯雨林の方が早くなるようだが、温暖地では差は認められない。したがって、熱帯の樹木は成長が早いから無尽蔵に伐採できると考えるのは誤りである。

ただし、伐採した跡地などでは1年もすると、人の背を越す「先駆種」の木が茂るようになるほど回復が早いそうだが、こういう樹木は材質が柔らかく、バルサ材のような模型飛行機に使うくらいの用途しかない木であり、寿命も10年から20年ほどで大木にはならない。よって、森は回復しても木材として活用することはできない樹種の森である。

これらの樹種が枯れてから、2代目の樹種が伸びてくるが、これも元の熱帯雨林を形成する樹種ではない。こういう現象が繰り返され、やがて元の樹種(「極相種」)が茂る森が復元される。だから完全に元の森に戻るまで、数百年を要することになる。このように何段階にも分けなければ復活しないのだから、地球上のどの森より回復速度は遅いといえるかもしれない。

先駆種と極相種の性質の差

先 駆 種 極 相 種
光合成の性質 陽樹 陰樹
成長 早い 遅い
樹木の寿命 短い 長い
木材の比重 小さい 大きい
成熟年齢 早い 遅い
結実性 連続的 隔年的
種子サイズ 大きい 小さい
種子の散布距離 遠い 近い
種子の寿命 長い 短い

四手井綱英、吉良竜夫監修『熱帯雨林を考える』より

■ 熱帯雨林の土壌

次にこれも驚くことなのだが、熱帯雨林の土壌は意外に養分が少ないのである。養分とは有機物のことだが、マレーシアの熱帯雨林で1ヘクタール当たり100トンであるが、西日本の照葉樹林では150トン、北海道の常緑針葉樹林では220トンと、寒くなるほど土壌が厚く、その中の養分も増加する傾向にある。これは土の上に落ちたリターなどの有機物が分解される速度の差で、気温が高くなるほど盛んに分解され、すぐに植物が吸収可能な無機状態になることを示している。熱帯雨林では1年でリターの分解が完了するのに対し、温帯では4年、寒帯では30年かかるともいわれている。したがって、分解されていない有機物の蓄積は、寒い地域ほど多くなるのである。

熱帯では多くの落ち葉等をすばやく分解して、できた養分を即座に吸収することにより、熱帯雨林ならではの密度や巨木を維持しているのである。すばらしい外観をもつ森の秘密はここにあるが、見方をかえれば、土中には常に養分が不足しているということである。あるいは不足はないまでも、余裕もない均衡状態である。わが国の森で見かける分厚い腐葉土の層は、熱帯雨林にはない。貯蓄なしで生活している安サラリーマンようなもので、万一のことが起こった場合の心細さがつきまとう。森を支える養分はどこから来るのかと言えば、その大部分は樹木のそれぞれの葉や枝や、あるいは枯れた樹木本体であって、大地からもらった養分を大地に返しているのである。水は雨、炭酸ガスは大気から取り入れているが、その他の養分は森の中でぐるぐる回しているだけである。もちろん高い場所から雨によって養分が流されて来たり、動物の死体や糞が新たに供給されることもあるだろうが、それらも結局は森の産物なのである。

樹木が素早く吸収できる養分とは水溶性でなければならないから、大量の雨が降れば流される。雨に流される前に樹木は養分を吸収しなければならないのだ。したがって、熱帯雨林が伐採され土が現れると、猛烈な雨によって簡単に表面の養分は洗い流されてしまうことになる。

熱帯雨林の土は茶褐色の「ラテライト」である。ラテライトは鉄の酸化物とアルミの酸化物が混合したもので、植物にとっては有り難くない成分である。わずかな表土の下はこのラテライトで、そこに根を伸ばしても植物には害はあっても余り利益がないため、熱帯雨林の植物の根は相対的に浅くなっている。それでは不安定になるため、板の仕切りのような板根を発達させて巨大な体を支えている。

■ 熱帯雨林の喪失

熱帯雨林の破壊の元凶のひとつに、日本が南洋材として熱帯の木材を買うことが挙げられる。しかしそれが熱帯雨林に壊滅的打撃を与え、その面積を減少させている主たる元凶かといえば、必ずしもそうではない。国内では伐期を迎えた人工林は皆伐という形で、一定の範囲の木を全部切り倒してしまうが、これは同一樹種を同一時期に植林したから可能になることだ。一方、熱帯雨林は植林されたものではないため、雑多な樹種が混じり合っている。その中でフタバガキ科やマホガニー類などの有用樹種の大木はヘクタールあたり数本しかないため、ここでは皆伐ではなく「択伐」が行われる。だから伐採された後、猛烈な雨に表土が流失して、森林が再生できなくなるような打撃を与えることは、まずないのである。

ただ托伐であっても、数十メートルの大木を搬出するブルドーザーなどの重機を入れるためにつける道自体は、相当な森の破壊になる。また、大木を切り倒すとき、密度の高い熱帯の森では多くの木々を傷つけることになる。しかしこれらも致命傷ではなく、驚くほどの早さで熱帯雨林は再生する。ただし、先に書いたように伐採跡に直ぐに復活するのは先駆種で、伐採した有用樹種が復活するには、場合によっては百年以上もかかるのである。

このように森内で択伐すること自体一般に言われるほど大きな問題ではないが、伐採に付随してつけられる林道という装置が問題となる。林道ができると、地元の定住農村からあふれ出た農民が森の奥地に浸入しやすく、森の奥地で焼き畑農業を営む場合が多くなる。すると膨大な面積の森が失われることになる。南アメリカでは畑ではなく牧場にする場合も多い。これはメソポタミア文明やインダス文明の滅亡の原因となったように、植物に致命的な打撃を与えることになる。日々報道される熱帯雨林の減少は、農地や牧場への転換が最大の原因である。とはいえ、その遠因は熱帯雨林の伐採にあるのだから、わが国の木材輸入が全く罪を免れるというものではない。

熱帯雨林減少の原因図
熱帯雨林減少の原因図

『岩波講座 地球環境学6 「生物資源の持続的利用」』より一部改変

地元住民が熱帯雨林の奥地まで焼き畑農業に利用しなければならない原因は、これらの地域での人口の爆発的な増加にある。農村部で増大した人口は都市に仕事を求めて集まり、都市にスラムを形成して来た。しかし近年発展途上国でも都市の美化や衛生の問題で、スラムを排除することが多くなり、都市から貧しい者を追い出す方向に動いている。都市からあぶれた人々は、森を守るために定められた旧来の約束事を破って、森に入り勝手に焼き畑を始めるのである。ただ空腹を癒すための止むに止まれぬ行いが、熱帯雨林に致命的な打撃を与え続けている。

やがて放牧や換金用作物プランテーションなどの経営に発展すれば、熱帯雨林は再生が難しくなる。これらの陰には熱帯雨林の保護などに頓着しない、先進国の経済活動が見え隠れしている。

熱帯雨林を護るために、放牧して多額の現金収入を得ようとする人は別として、まず生きるためだけに森林を焼く人々の生活を安定させなければならない。そのためには、同じ土地で連作でき、しかも高カロリーの栽培作物が必要だ。それには水田耕作による米作しかない。米は生産カロリーで考えれば麦の倍以上になり、何よりも芋や麦作と違って水田は何千年と連作しても、土地の生産力は衰えないすぐれた農地なのだ。その水田を健全に維持するためには、周囲の森を健全に保たねばならないから、熱帯雨林の保護にもつながる。彼らを焼き畑農耕から水田農耕へ転換させること、それが熱帯雨林を救う唯一の方法だと私は思う。

3.森の機能
■ 炭酸ガス固定

水分を除いた樹木の成分のおよそ半分は炭素である。その炭素を供給しているのは大気中に含まれている炭酸ガスである。既述のとおり、炭酸ガスは空気の容積のわずか0.03パーセントを占めているに過ぎない。大気中に存在する炭素の総量はおよそ8,300億トンであるが、それと同じ量が樹木の体内に蓄えられているという。地球にあるすべての植物が1年間に光合成によって取り込む炭素の量は、約60億トンにのぼると考えられる。すると大気中の炭酸ガスは140年程でなくなってしまうことになる。森林がどんどん炭素を吸ってくれるのなら、産業活動で出す炭酸ガスを60億トン以内に抑さえれば、大気中の炭酸ガスの増加は防げることになる。

しかし、そうはうまく行かない。既に述べたように植物にも寿命があり、枯れると微生物によって分解され、ゆっくりとであるが炭酸ガスが大気中に戻って行く。その量が年間ほぼ60億トンと考えられる。したがって、森林が吸収する炭酸ガスの量と排出する炭酸ガスの量は均衡しており、大気中の炭酸ガスの量は一定に保たれているのである。だから人間が出す炭酸ガス分だけ増加して行くことになる。

その上、森林面積は減少の一途を辿っているのであるから、減少した森林に含まれていた炭酸ガスは大気中に放出されることになる。炭酸ガスを含んでいるのは樹木ばかりではない。森が抱える土の中にある分解途上の有機物に含まれる炭酸ガスの量も莫大で、すべての生きた樹木が抱える炭酸ガスの分量を上回ると見られている。このため森林を失うということは、樹木本体に加え、その樹木が護って来た土に含まれる炭酸ガスも大気中に放出されることになる。

以上のように、地球温暖化防止にとって、森林面積を減らすことは致命的である。産業活動を続けるのなら、そこから発生するのに見合う炭酸ガスを吸収する分だけ森林を増やさなければならないのである。今ある森林をいくら保護しても、地球温暖化の対策にはならない。森林面積が増加してはじめて、地球温暖化の防止施策と成り得るのだ。

地球の炭素循環
地球の炭素循環

熊崎実著『地球環境と森』より

炭酸ガスを減らすのにマングローブが注目されている。マングローブは生存環境が海岸部の濃い塩水地域にあることから、塩を濾して真水を得るため葉はもちろん、海面から出ている根でも光合成を盛んに行い、大量の炭酸ガスを取り入れて成長する。さらに、落ち葉や枝は塩分が濃いため腐敗せずにそのまま長期に蓄積され、炭酸ガスを閉じこめたままにする。タイなどでは、日本の企業が温暖化防止の一環として、かつてエビの養殖のために伐採してしまったマングローブの森を復活させようと、現地の人と共に植林の努力している。

因みに、林業において生産される木材を家屋や家具などに活用することにより、森林以外で木材をストックすることは炭素ガスを大気中に放出せずに備蓄することになる。木造建築をはじめ家具などに木材をふんだんに使い、伐採地には必ず植林を施すことは、地球温暖化防止に大きく貢献することになるのである。

さて、地球温暖化で炭酸ガスのことはよく問題になるが、植物が生産する酸素のことは余り問題にされないのは何故だろう。1年間に地球上の植物から放出される酸素は、すでに存在する大気中の酸素の数千分の1に過ぎない少量で、既存の酸素量だけで現在の世界人口が10万年呼吸しても10パーセント程度の減少にしかならないらしい。化石燃料を今の程度燃焼し続けても、当面はそれほどの影響はないようだ。ということで、目下の問題は炭酸ガスに絞られている。

もちろん地球温暖化をもたらすものは他にもあり、メタン、フロン、亜酸化窒素や四塩化炭素などがそれである。温暖化に対しては、むしろメタンやフロンの方が寄与率は高い。メタンは炭酸ガスの25倍、フロンに至っては炭酸ガスの1万倍もあり、オゾン層の破壊だけでなく、温暖化防止の観点からもフロンは大気に放してはならない物質である。

■ 水循環

地球の表面積の約72パーセントは水面で、水の総量は約14億立方キロメートルに及び、地球の表面を平にしてしまえば、3,000メートルの水深で地球を覆うことができるという膨大な量である。水の循環を世界の平均値で表すと、陸地から蒸発する水は500ミリ、陸地での降水は750ミリで、この差の250ミリは海に流出することになる。一方海面からは840ミリ蒸発し、740ミリが雨などの降水となる。蒸発量は海上では多く陸上では少なくなり、降水量は陸上で多く、海上で少なくなる傾向がある。これは地形や森の存在が原因だが、その分だけわれわれが利用できる水が多くなっている。陸地の平均降雨量は750ミリであるが、1,000ミリ以上の降水がある面積は全体の4分の1程度で、大半は年間500ミリ以下の乾燥地である。日本は1,800ミリの降雨があり、非常に恵まれている地域である。日本の国土を人間が手を加えずに放置すると、すべての土地はやがて森林にもどる、というのはこの雨量があるからである。

森林内の水循環フロー
森林内の水循環フロー

江崎・岸上・井上編著『水と土と緑のはなし』より

ある河川の流域内に降った雨をPとすると、Pは次の式に表される。

 P = D + E + G + X + △S

Dは表面流失量、Eは蒸発量と蒸散量、Gは地下水の流動量、Xは流域外に逃げる量、△Sは流域内貯留の変化量である。降雨はこのいずれかの形で消費されることになる。

森林に降った雨の4分の1は樹冠(枝や葉が茂っている部分)に引っ掛かりそこからの蒸発か、根から吸い上げられて葉の気孔から蒸発している。地表面を流れるにしても、森林には落ち葉や枝などが堆積し腐葉土となっているところを通過するため、土がむき出している土地やアスファルトの上とは比較にならないゆっくりとした速度で流れ、かなりの水量が地中に浸透することになる。この水はさらに長い時間をかけて流下するため、雨が長期に降らなくても土の中に水分が含まれていることになる。森林が水を涵養するというのはこの作用である。

日本の森全体で考えれば、降水量は年間約4,100億トンで、約30パーセントは表面流出で失われて、約70パーセントが土壌に浸透すると考えられている。土壌に浸透する水のうち、約600億トンが樹木に吸い上げられ、残りの約2,300億トンが日本の森の水の涵養量という大ざっぱな計算もある。この数字を人口で割ると、1人あたり年1,800トン余りの水量となる。言い換えれば、1人1,800トンの水を森がストックしているということだ。明治のはじめ来日したオランダの土木技術者ヨハネス・デ=レーケが富山県の常願寺川を見て、「これは川ではない、滝だ」と言ったように、放っておけばすぐに海に流れてしまう河川水を、水田と相俟って、森は一時期とどめる役割を果たしている。中でもブナの大木はその土に1トンもの水を貯えるといわれている。森と水田が天然のダムと呼ばれる所以である。ダム建設が公共事業なら、造林事業や水田の維持管理も、効果のある立派な公共事業であることを知ってほしい。

■ 水産資源保護

海と一口にいっても場所によってその様相は異なる。魚が主に棲むのは沿岸地域の大陸棚と呼ばれる、水深が数百メートルまでの海域であるが、水深が浅ければ浅いほど魚の種類、個体数は著しく増加する。これは水深が深くなれば様々な条件が過酷になることもあるが、沿岸と遠洋や深海では魚の食糧事情が異なっているためだ。つまり魚のエサとなるプランクトンの量が沿岸部の方がはるかに多いのである。

日本の河川が流れ込む海域の生産力(プランクトン量)は、1年で1平方メートル当たり400グラム程度といわれている。日本列島に沿って北から南に流れる親潮は割合豊かな海流であるが、それでも沿岸の3分の1程度しかプランクトンはいない。河川から流れる栄養によってプランクトンが発生し、そのプランクトンを食べる魚が集まり、その魚を食べる大型の魚が集まるという図式である。

河川水が育てるのは魚だけでない。コンブやワカメなどの海藻類も育てるのである。このような海藻類は魚の産卵場所となるため、豊かな漁場ほど近くに海藻類が繁茂している。

つまりプランクトンや藻場を育てている、窒素、リン、カリ、鉄分などの養分は、森の土に含まれている養分なのである。だから森が無くなったり、荒れたり、またダムなどで海と遮断されると、プランクトンや藻場が育たなくなり、よってわれわれ日本人にとって重要なタンパク源である近海の魚介類が減少することになる。

しかし、現実に川からもたらされる養分は、途中のダムで遮断され海まで到達できる量は少なくなっている。さらに、森自体が貧弱になり、養分の生成能力にも幾分かげりが見られている。また藻場は、主に河口付近の浅い海底にできるのであるが、戦後工業用地を確保するため絶好の埋め立て用地となってしまい、高度経済成長期はいうまでもなく、1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)までに2,000ヘクタールが消滅し、更に1978年から1992年(平成4年)まで7,200ヘクタールが消失し、今なお減少を続けている。陸上の森林を失うことが、われわれ人類に大きな脅威を与えるということが判明してきたのと同時に、藻場を失うことは魚介類、ひいては人類にとって大きなマイナス要因となるのである。藻場の存在は普段われわれの目に触れないため、その保護には一層気をつけなければならない。

これらの内陸の森の他に、海岸や湖岸、河岸近くで直接に魚群を誘ったり、漁場環境を保全したりする森も古くから知られている。これらを「魚付林」と呼ぶが、どこにあってもすべての森は何らかのかたちで水産資源保護に寄与しているのである。

■ 国土保全

日本のように国土のほとんどが急峻な山岳地域で、しかも自然災害の多い国では森の存在は無視できない。表土を膨大な雨にも流されずにつなぎ止めておけるのは、森の大きな働きである。すでに述べたようにひとときに降る大量の雨を貯留し、日照りの間も徐々に水を湧出する水源涵養の機能も重要である。その大役を担っているのは植物の根であるが、ピーター・トムプキンズとクリストファー・バードの共著『植物の神秘生活』によると、たった1本のライ麦に支根総数が1,300万以上あり、それをつなげば全長600キロメートルになるという。そして樹木の根の重量は地上部分の3分の1に達している。そのような根が森の土壌中や堅い岩盤にまで縦横に張り巡らされている。その根は土砂崩れを防ぎ、表土を雨から護り、その隙間にたっぷりと水を蓄えるのである。

あまり意識はされないのだが、森は日本の気候を穏やかに保つ役割をはたしている。気候、湿度、降雨量などを森が一定範囲内に収まるように働いている。しかし、森の手に負えないような気温や降雨量の変化が外的要因で起これば、森そのものが被害を受け、この機能を十分に果たせなくなる。

昨夏、東京に集中豪雨が頻発した。これは東京という森の少ない地域が太陽に熱せられ、いわゆるヒートアイランド現象が起こり、東京上空に強い上昇気流が発生したため、ここに周辺の山間部で生成された湿度の高い空気が流れ込んだことから招いた現象である。結果的に東京は冷やされることになったが、東京自体はそれほど大量の雨を必要としないし、東京に降った雨はほとんど役に立たず直接海に流れてしまうのである。一方東京に降った雨量の分だけ、周辺の山地から水が奪われたことになる。こちらの方が問題かもしれない。

この他すでに述べた魚付林や、炭酸ガスの吸収や空気中の汚染物質の除去などの浄化作用、野生動植物の保護、レクリエーションの場の提供、雪崩の防止、景観の保全、木材の供給など数え切れない役割を森は果たしている。また、阪神淡路大震災のとき、人々を火災や落下物などから護ったのは、樹木が密に植えられている都市公園であったことも忘れてはならない。

このような森の機能を保持するため、1897年(明治30年)に制定された森林法によって、保安林制度が設けられている。現在、国有林、民有林を含めた森林面積の約30パーセントが保安林に指定されている。保安林に指定されると、立木の伐採や植林方法が制限されるが、その制約は森林環境の状態や保安林の目的によって異なっている。保安林は17種類あるが、このうち水源涵養保安林が74パーセントと圧倒的に広く、土砂流出防備保安林が22パーセント、土砂崩壊防備保安林が0.6パーセントとなっている。上位3つの保安林で全体の96パーセントを超え、他の14の保安林をあわせても3パーセント程度に過ぎない。つまり、保安林制度は水源涵養と、国土の崩壊や土の流失を防ぐことを主たる目的に定められた制度といえる。

しかしこの保安林制度は呼び名こそ違うが、江戸時代には既に存在していた。水源涵養林は水山とか水持山、飛砂防止林は砂留山とか屏風山、防風林は風除林と呼ばれ、これらは日本各地にあり大切にされていた。

また、1915年(大正4年)にはじまった「保護林」という制度もある。これは学術的、景観的に将来に残すべき森を護るためのもので、最初に上高地周辺の1万ヘクタールが指定されている。1989年(平成元年)から「森林生態系保護地域」が新たに設けられ、世界遺産の白神山地や屋久島が指定された。さらに1994年(平成6年)から様々な遺伝子を森ごと残すという目的で「森林生物遺伝資源保存林」の制度もできた。この他に「植物群落保安林」「特定動物生息地保護林」などもある。ようやく、森がもつ多様な機能の重要性が認められはじめたように感じる。

保安林の種類と機能

保安林の種類 機   能
水源涵養保安林 利水機能の保持と流量調節により洪水、渇水を緩和し、用水を確保する。
土砂流出防備保安林 表土の流出による土砂流出を防止する。
土砂崩壊防備保安林 傾斜地の崩壊を防止し、家屋、農地、道路などを保護する。
飛砂防備保安林 飛砂の発生および被害を防止する。
防風保安林 風速を緩和して、強風による被害を防止する。
水害防備保安林 洪水時の砂礫や高水位による被害を防止する。
潮害防備保安林 津波や高潮の被害を防止する。
干害防備保安林 貯水池の水枯れを防止する。
防雪保安林 吹雪、吹きだまりなどの雪害を防止する。
10 防霧保安林 海霧の発生や被害を防止する。
11 なだれ防止保安林 なだれの発生や被害を防止する。
12 落石防止保安林 地盤を固定して落石の危険を防止する。
13 防火保安林 防火樹帯により火災の延焼を防止する。
14 魚つき保安林 陰影、水質保全などによって魚類の生息と繁殖を助ける。
15 航行目標保安林 漁船の航行目標として航行の安全を図る。
16 保健保安林 大気浄化、騒音防止など生活環境を保護し、森林リクリエーションの場を提供する。
17 風致保安林 名所、旧跡の趣きのある景色などを保存する。
■ 植物の身近な効用

いつの頃だったか、森林浴という言葉がもてはやされ、野山に遠征する人がにわかに増えた時期があった。家の中には様々な観葉植物が並べられていたが、ブームの去った今はそのときの観葉植物はどうしているのであろう。

それはともかく、森の中に入れば何かわからないが清涼感がある。それが精神の健康にもいいとよくいわれている。精神衛生上の効果があるかどうかわからないが、実感として森の中に入ればほっとするものがある。その原因のひとつには、夏など森に入れば気温が数度下がることだ。そして科学的には、植物の出すフィトンチッドという物質が何らかの効果を与えていることがわかっている。ただしこのフィトンチッドの効果は、林内に30メートル以上入り込まないと期待できないということだ。だから街路樹の下にもぐり込んでも、フィトンチッドの効果は得られない。

フィトンチッドは「フィトン」と「チッド」のギリシャ語の合成語で、フィトンは「植物」のことで、チッドは「殺す」という物騒な意味である。植物はこの物質を人間の精神衛生のために放出しているのではなく、動物のように外敵が近づいて来ても逃げるわけにはいかないので、外敵を少しでも追い払うために出す物質がフィトンチッドである。「殺す」といっても、外敵をばったばったとやっつけるのではなく、害虫が嫌う成分とか、病原菌の繁殖を抑える成分などの放出で、平和的な自衛手段を講じているのである。

フィトンチッドには多くの種類があり、その効果のうちで古くから活用されて来たのが、カビや菌類を防ぐ作用である。刺身につけるワサビには、アリルイソチオシアネートという抗菌性物質があり、ワサビが刺身に味覚で適うだけでなく、腐敗しやすい刺身を抗菌コートしている。大航海時代には、香辛料は同じ重さの金と交換できたといわれるほど高価なものであったが、それは生肉の保存のために使用されたのだった。身近な食べ物では、ネギ、ニンニク、ショウガ、サンショウなどにこのような作用がある。また、桜餅や柏餅、ちまき、笹団子、柿の葉寿司などは、葉を包み紙のように使用しているだけではなく、葉の持つ殺菌作用を利用している。人工の防腐剤のように長期にわたって威力を発揮するものではないが、安全で数日程度の効果はあるようだ。そのうえ独特の香りが食物の魅力を増進している。鮮魚の下によく敷かれているのはヒバの葉だが、見栄えのために敷いているのではなく、ピシフェニン酸という強い酸化防止作用をもつ物質を含むためである。

薬理作用を持つ主な植物成分

成  分 作   用 その成分を含む植物
1,8-シネオール 気管支の分泌促進 ユーカリ
リモネン 鎮痛作用、中枢抑制作用、末梢血管収縮作用、血清コレストロール低下作用 ローソンヒノキ、サワラ、ネズコ
リナロール 興奮、血圧低下作用 トドマツ、ヒノキ、スギ
ボルネオール 覚醒作用 トドマツ、エゾマツ
カンファー 興奮 クスノキ
シトナール 抗ヒスタミン作用、血管拡張(血圧降下) バラ
メントール 局所刺激、鎮痛 ハッカ
テレピン 油去たん、利尿作用 マツ類
メントン 局所血管拡張作用、呼吸、血管運動中枢興奮作用 ハッカ

谷田貝光克著『森の力』より

■ ほとんど雑学の効用

酒を直接燗して呑むのは日本の清酒くらいである。ウィスキーや焼酎の湯割りにはするが、酒そのものを暖めるのは清酒だけだろう。これは防腐剤のない時代に、酒の酸化防止剤として杉の葉を使っていたことがあり、その杉の臭いをとばすために暖める習慣になったと聞いたことがある。杉を使わなくなった今も燗の習慣だけが残っているのだ。この話は杉が腐敗防止に役立っていた証拠である。偶然に生まれた燗であるが、常温で呑むより燗酒の方が体にいいといわれる。さらに、酒樽には必ずスギ材が使われ、清酒にいい香りをつけている。スギの中心付近の赤い部分と外側の白い部分の境目あたりに、人間に心地よい香りを出す部分があるのを、うまく利用しているのだ。

鉛筆に使うエンピツビャクシンという木の鉋屑を、睡眠薬を投与したネズミの巣に敷いてやると、ネズミの睡眠時間がどんどん短くなり、やがて睡眠薬が効かなくなるという。他の木の鉋屑に戻すと睡眠薬が効くようになる。最近、鉛筆は鉛筆削機で削るため、ナイフで削るときのように鉛筆の香りを嗅ぐことはなくなった。現代は鉛筆そのものを使わなくなったから、鉛筆の香り自体懐かしいものになっているが、主にテルペン類のこの香りは睡眠薬を解毒する作用を持っている。

東アジアを旅行中に漢方薬の店に入れば、わざと火傷をして、その傷跡に薬を塗って、他の漢方薬の説明を聞いている間にその火傷が治る、という一種の興行をよく見るが、どうも胡散臭くてにわかには信用できないものである。しかしルネ=モーリス・ガットというフランスの学者が実験中に火傷をしたとき、近くにあったラベンダーの精油を塗ると数時間できれいに治ったということがあった。案外漢方薬は効くのかもしれない。このことをヒントにアロマテラピーという、植物の花などの香りを嗅いでストレスを軽減し、心身に健康をもたらすという療法を見つけたといわれている。

このような植物の持つ効能を挙げていけば切りがなく、また恐らく人間はまだその一部しか知らないのだろう。特にアマゾンなど熱帯雨林に住む原住民は、われわれのように森から離れた人間より豊富な知識があろう。例えばキニーネがマラリアに効くことを発見したのはインディヘナで、彼らがマラリアになったとき口にする葉にキニーネが含まれていたのだ。ところがインディヘナたちはどうしてこのことを知ったかというと、サルがマラリアになるとこの植物の葉を食べていたので真似たということだ。人間がサル真似をして大発見をしたのである。サルがどうして知ったのか、サルに訊いても教えてくれないが、サルに教わらなければならないことはまだまだ多くあるだろう。

さて、話を戻すと樹木にとって重要なことは、フィトンチッドは自分を害虫などから護ることのほかに、自分が害虫などの危険にさらされていることを、周囲の木に知らせる役割も果たしているということだ。この知らせを受けた植物は、害虫などの嫌がる物質(フィトンチッド)を急いで分泌するのである。この複雑なシステムはよくわからないが、植物は自分一人では生きているのではなく、林や森という集合体として生きている、つまり森自体が一個の生命体のように連携しあっているという解釈もできるだろう。コミュニティをつくるのは人間だけではないようだ。

人間が木を切る場合、そのことが樹木にわかり、人間に好ましくない材質に変えてしまう、ということを信じている人々がいる(もちろん真実かもしれない)。これは稲本正氏の『森の形 森の仕事』に出てくるライアン・ワトソン博士の話だが、アフリカのズールー族が木を切るとき儀式を行う。儀式は木に話しかけるかたちで「どうしても木が必要であるからお前を切らせてもらう」と、頻りに謝りながら伐採の許しを請う。そしていざ切る段階になると、一同一目散に走り出して1キロ以上も離れたところに別の木を見つけると、いきなり切ってしまうという。この部族では樹木の間で情報交換がされていると信じられており、ある木が切られようとしていることは既に他の木は知っているが、それは他人事と油断しているのだという。それで1キロ以上も走って、油断してまだ材質が変化していない木をばっさり切っていい材質を手に入れるという、騙し討ち的伐採事例である。

手術中に血の赤い色を見ていて、その後白い布を見ると緑色が浮かんで来るという話がある。赤は信号や消防車の色などに使われるように危険を示す色であり、その色を見ることで緊張を強いられる。赤の補色が緑という関係があるため、赤を見続けるとその裏の緑が見えてくるのであるが、緑は緊張をほぐすのに役立っている。住環境を緑で包むことにより、そこに住む人間の心がほぐれて、犯罪のない平和な社会を築くことが出来るのかも知れない。まちの緑化は単なる飾りではなく、人間の深い精神の営みに働きかける重要な施策かもしれない。

多少脱線しながら「森の生態学」について書いて来たが、何処まで書いても切りがないように思う。この項を調べているうちに気づいたことは、森に依存する生態系は決して平和共存しているわけではなく、むしろ敵対関係や捕食関係が基本となりながら、存在基盤である森を巧みに維持しているということだ。すべての生命が森を精一杯活用している一方で、森のバランスを保持している。人類が目指さなければならない森の活用の姿が、そこに見えてくるような気がする。

参考文献

  • 『地球大紀行2及び3』  (NHK取材班編)  日本放送出版協会
  • 『生命−40億年はるかな旅2』  (NHK取材班編)  日本放送出版協会
  • 『地球・宇宙・そして人間』  (松井孝典著)  徳間書店
  • 『森林の100不思議』  (日本林業技術協会編)  東京書籍
  • 『森林の生活』  (堤 利夫著)  中公新書
  • 『熱帯林の生態』  (吉良竜夫著)  人文書院
  • 『熱帯雨林を考える』  (四手井綱英、吉良竜夫監修)  人文書院
  • 『熱帯雨林』  (湯本貴和著)  岩波新書
  • 『熱帯林の100不思議』  (日本林業技術協会編)  東京書籍
  • 『森を読む』  (大場秀章著)  岩波書店
  • 『割ばしと法隆寺』  (滝島恵一郎編)  かんき出版
  • 『森の力』  (谷田貝光克著)  現代書林
  • 『森の不思議』  (神山恵三著)  岩波新書
  • 『森が消えれば海も死ぬ』  (松永勝彦著)  ブルーパックス
  • 『生態学からみた自然』  (吉良竜夫著)  河出書房新社
  • 『水と土と緑のはなし』  (江崎春雄、岸上定男、井上嘉幸編著)  技報堂出版
  • 『水と空気の100不思議』  (左巻健男編著)  東京書籍
  • 『生物科学 第41巻第3号』 特集「野生動物の保護を考える」   岩波書店
  • 『生物科学 第43巻第4号』 特集「野生動物保護」   岩波書店
  • 『科学 Vol.63 NO.12 』 特集「熱帯雨林からみた地球生態系」   岩波書店
  • 『森物語』  (高田 宏著)  世界文化社
  • 『森の惑星』  (稲本 正著)  世界文化社
  • 『森の形 森の仕事』  (稲本 正著)  世界文化社
  • 『人間にとって森林とは何か』  (菅原 聰著)  ブルーバックス
  • 『岩波講座 地球環境学7 水循環と流域環境』  岩波書店
  • 『生命の多様性』  (エドワード・O・ウィルソン著)  岩波書店
  • 『森と木のある生活』  (市川健夫著)  白水社
  • 『日本動物大百科1 哺乳類I』  (日高敏隆監修)  平凡社
  • 『FRONT 1997.4』 特集「マングローブ」   リバーフロント整備センター
  • 『森の力』  (矢部三雄著)  講談社+α新書

(2003.3)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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