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私的「ヨーロッパ」という問題

主任研究員  山東 良朗

概要

研修期間 平成13年11月4日(日)〜11月13日(火)(10日間)
研修先 イギリス、ドイツ、スイス、フランス

11月上旬、ヨーロッパ4カ国の農業関連の視察をする機会が与えられた。限られた紙数で視察模様のすべてを載せることができないので、視察の詳細は「ヨーロッパ11日間(ELEVEN DAYS IN EOUROPE)」に譲るとして、ここではヨーロッパで考えたこと、感じたことを記しておきたい。

私は余り海外の事情には通じてはいないのだが、わずかに、北アメリカやオーストラリアの国土の広さは実際に見て実感としてわかっている。これらの国の広さは、山の多い小さな国土に1億2000万人を超える国民が住む日本では望むべくもないもので、正しく別世界のことだと諦めていた。しかし、日本の広さはヨーロッパの諸国とは遜色ないものと思っていたのだが、ヨーロッパのこの広さは一体どういうことだろう。今回訪問したイギリス、ドイツ、フランス、スイスの4カ国のうち、スイスを除く3カ国には、水平線まで広がる平らな大地がある。フランス以外はむしろ日本の方が国土面積は広いのだが、そんな実感が湧いて来ない。アルプスの国スイスですら、上空から見れば相当な面積の農地を持っているのがわかる。

国力を示す指標は色々考えられよう。例えば、人口、国民総生産額、国土面積、保有する軍隊の規模、このほか所有する特許件数やノーベル賞受賞者数など、様々な指標は存在するだろうが、国民の食糧を満たす農耕地の広さは最も古典的な国力を示す指標かも知れない。農村が美しく、農耕地がよく耕されているのを見れば、その国が健全に発展していることを如実に知ることができる。日本においても、美しい田畑が残されている地域では、古来からのよき文化が残されている地域である。

ヨーロッパの農耕地は美しい。まず畑と住宅の混在は見られず、法的規制なのか伝統なのか厳密に両者は区分されている。なだらかにうねる畑地が、11月に入っても緑で覆われている。ヨーロッパは肉食を中心に発展した文明圏であるから、農耕地に占める割合は牧草地が圧倒的に多い。牛を育てる場合、本来広大な牧草地を確保して、牛に自然の草を食べさせる必要があるだろう。日本の場合、十分な牧草地を確保することができないことから、どうしても配合飼料に頼らなければならなくなる。日本で健全な家畜を大量に飼育するのは、かなり無理があるということだ。しかし日本に限らず人間の経済活動は、手間がかかり肥育速度の遅い牧草で育てるよりも、価格が安く肥育効率のよい飼料を使う方向に流されて行く。経済性を優先するあまり、狂牛病はイギリスで猛威をふるい、ヨーロッパ大陸へ、そして日本でも2001年(平成13年)9月に狂牛病の牛が発見された。処分するのに費用のかかる屑肉や骨をリサイクルと称して、反芻する草食動物の飼料にした結果であった。イギリス南部の広い放牧場に居るのは羊ばかりで、牛の姿はほとんど見られなかった。主のいない広い放牧地は余計に広く感じるものだ。

ドイツは意外に国土がなだらかである。海に近い北部から丘陵の広がる中部までは自然の要害はほとんどない。またドイツはヨーロッパの中央部に位置しており、その位置関係がドイツの悲劇を生んだ。もともとはフランク王国の一部であったが、カール大帝の死後分裂して出来た東フランク王国が神聖ローマ帝国となりドイツの祖になる。しかしドイツ人はフランク人ではなく、この地域に細々と住んでいた違う言語を持つ人々がドイツ人である。「ドイツ」とは「民衆の言語」という意味で、言葉により連帯感を高めた民族だ。中世ドイツは三十年戦争という国際紛争の戦場となるなど幾たびも戦乱の舞台となり、国土は荒れ果て国家の形態がとれない時期が長く続く。19世紀に入って、西からはフランスのナポレオンによって攻められ、東からはロシア皇帝アレキサンドルに圧力をかけられていた。やがてナポレオンに占領され、ドイツはナポレオン軍のロシア攻撃の尖兵にならされる。ドイツの国土を幾度も強国が駆け抜けたのである。周辺の強国に翻弄され続けたドイツが強くなったとき、二回の世界大戦の火付け役を演じ、人類史に不幸な刻印を残してしまったのである。

スイスは周知のとおりEU(ヨーロッパ連合)には加盟していない。長い間永世中立国という独自の道を歩んできた。永世中立国という言葉からは、平和で争い事にはおよそ関係のない牧歌的な国の印象を持つが、実際はどんな小さな町にも巨大な武器倉庫があり、いざ有事となれば国民全員が武器を持って戦うという緊迫したシステムであるらしい。他国を攻めない、他国の争いには関与しないし、紛争に巻き込まれない、しかし自分たちの国は自分たちで守り、他国をあてにしない、というスイス国民の自覚を感じる。収入の半分近い税負担など、孤高で有り続けるための代償は軽くないが、スイス国民はそれを支持している。憲法で交戦権を制限されているとはいえ、アメリカの軍事的保護下で『平和』を享受している日本とは、国を思う国民の心に自ずと差が生まれてくるのではないか。

そのスイスは山国であるため、山の中腹斜面には針葉樹を中心に森林が残されている。スイスの森林限界は約2000メートルというが、国全体の標高が高いからすぐ樹木がまばらになる。残された森林の姿も、日本の里山のやさしい姿とは随分違って見える。そういう里山の有無と関係があるのか、全体的にヨーロッパには森が少ない。広大な農地を抱える反面で、森林面積が圧迫されている。イギリスやフランスは遠の昔に大部分の森林を切り開き、農地に変えてしまっており、広大な国土にはナイフで切り取ったような森がところどころに残るだけである。ドイツのシュワルツバルトは日本で言えば杉林のようなものだが、このような森なら日本にはいくらでもある。古来、家畜を襲うオオカミを恐れるあまりに、森はどんどん切り開かれた。やっと残されたシュワルツバルトも酸性雨の影響を受けて減少の一途を辿っているという。森の面積を比べれば断然日本の方が広くなる。

この森の木を住民の生活に影響が出るほど切ってしまった時点から、ヨーロッパは外に膨張を始める。まずローマ帝国は周辺の森林を切尽くしたことにより、表土を失い農耕地に作物ができなくなった。カエサルが著した「ガリア戦記」のガリアとはフランスの穀倉地帯を指し、ローマ帝国にはどうしても必要な土地であった。それと同時に、軍船を建造するための材料すらなくなり、ローマ帝国による地中海支配も危うくなる。ローマはヨーロッパの森と農地を求めて膨張するのだ。ギリシャやイタリアの山野では、今も森林は回復せず、石の遺跡が文明の遺骨のように荒野にさらされている。

スペイン、イギリス、フランス、ドイツ、オランダなどの国が海外に植民地を持つに至るのは、森林の荒廃が遠因となっているのだろう。森林がなくなるということは、水の涵養や日々の生活の燃料が得られないことや、農地への栄養補給ができなくなる他、人間の精神にすら影響を来すのかもしれない。中世の無慈悲な魔女狩りの流行に続いて、ヨーロッパ内での絶えない戦争(各国の歴史を見れば、呆れるほど戦争や内乱が多い)、白人以外の民族に対し目を覆うばかりの残虐行為を行うようになった。ヨーロッパの膨張は、森林をなくすとどうなるかという不幸な実験であったといえないだろうか。

ヨーロッパでは100万人を超えるような巨大な都市は少ないようだ。その中でロンドンやパリ、ベルリンなどは例外的に人口の集積度が高い。いずれの都市も重厚な石造りが建築物の基本になっており、何百年も景観は変わらかったし、今後何百年も変わらないだろう。さらに地震が全くないため、人為的な破壊がなければ天災や火災で塵芥に帰すようなおそれもない。人々の服装や乗り物が変わっても、南方熊楠や夏目漱石がいた1900年頃とほとんど街並みは変わっていないのだ。街並み景観からすれば、これらの都市は壮麗さと荘厳さを持っていて羨ましい限りである。聞くところによると、古い石造りの構造は外観だけで、内部は近代的に改良が加えられ、住民は第一級の快適さが享受できるらしい。例のマクドナルドでさえ、石の建物の中に律儀に収まっている。

パリの街並みを見たときの最初の感動が収まると、何故かはじめてここに来たとは思えなくなった。どこかで体験したことのある雰囲気を感じ、そのときはそれが何かわからなかったが、帰国してから東京の雰囲気と同じだと気が付いた。西洋文明を基礎に置いて肥大化した都市という意味では、ロンドンもパリもニューヨークもそして東京も同じなのだろう。東京には、パリのように華やかさはないものの、同じ西洋文明下で巨大になった都市のざわめきを内に秘めている。日本の地方から来た私には、油断のならないものを感じさせる。その都市の装置はどこかエキゾチックであり、ともすれば知らず知らずに人間を酔わせてしまう。それがパリの魅力であろうか。

11月11日は第一次世界大戦の終わった日であった。フランスは戦勝記念日で一種のお祭りである一方、ドイツでは敗戦の日である。第二次世界大戦後、過去の経験からフランスとドイツは常に同じ組織に組み入れておかないと争いの種になるとの認識から、1952年に設立されたヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を足がかりに、1967年にヨーロッパ共同体(EC)、1993年のマーストリヒト条約によりヨーロッパ連合(EU)が発足した。その同じEUの中で、一方は年2回の戦勝の祭を遠慮なく行い、一方は2回の敗戦の日を迎えねばならない。EUは2002年元旦から通貨統合を行う。イギリス、スウェーデン、デンマークは不参加を表明するなど、ほころびも見られる一方で、2002年中にヨーロッパの新たな10カ国が加入を予定し、実現すれば25カ国のアメリカを遙かにしのぐ巨大国家連合となる。しかし構成国が多くなれば足並みも揃いにくい。EUが今後どのように運営されていくのか、大変興味深いことである。

ヨーロッパは19世紀まで、内容の善し悪しは別にして、軍事的にも経済的にも世界を牽引してきた。その地位は既にアメリカに譲ってしまったのだが、現在の最も重要な地球環境の問題では、アメリカに牽引能力はなく、やはりヨーロッパが世界をリードしている。これはヨーロッパという常に先頭に立って、新しい世界を切り開いてきた地域の宿命的な使命なのかも知れない。ヨーロッパには今後も期待するものが残されている。

モンマルトルの丘の朝、サクレ・クール寺院の木の椅子に坐ると、心は凛とした祈りの空間に漂っている。人々の口から低く漏れる祈りのリズムがこの空間を形づくっている。宗教は違っても、祈りは全人類に共通する崇高な精神の営みである。ここでは誰も悪いことを祈るはずはないのだ。ヨーロッパ最後の時間はこのように過ぎて行った。

(2002.9)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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