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アルテリーヴォ和歌山「誕生物語」

研究部長  田 朋男

1.プロローグ

児玉は本気だった。
「全員で日産の車を買おう」と決意した。
誰が何と言うと、日産の車を購入して、横浜F・マリノスを強くするのだ。

そこまで、彼女を追い詰めたのは、横浜F・マリノスへの思いであった。この年、横浜F・マリノスは不調であった。有力選手の移籍が相次ぎ、しかも親会社の日産自動車も経営不振に喘いでいたのである。この苦境から脱するために、自ら出来ることは、せめて日産の車を買って、横浜F・マリノスを応援することだった。そしてサポーターにその思いの輪が広がり・・・・・・・・。

そして、その熱き思いは、アルテリーヴォ和歌山に対しても引き継がれている。

1993年にJリーグが発足して以来、地方の中核都市を拠点としたサッカーチームが数多く生まれた。そしてそれぞれのチームが苦しみながらも、J1を目指して日夜練習に明け暮れている。長い道のりを懸けてもこだわるのは、地元にプロのサッカーチームを育てることで、地域が活性化するとの思いからだろう。ホームタウンのスタジアムで対戦相手を迎え、町がその試合一色となり、あちこちでそのことが話題となる。そして試合当日は選手と一体となって応援する。地元を愛する所以である。郷土を愛し誇りに思う事が出来る。これはまさに地域活性化の証だと思う。

私たちの故郷、和歌山にも2007年にアルテリーヴォ和歌山が誕生した。しかし今までの歩みは決して平坦なものではなかった。その生みの苦しみや現在の取り組みについて、ゼネラルマネージャー、監督そして有力選手等のインタビューを交えながら、このエッセイでは紹介していきたい。そして地方都市の成功事例としてアルビレックス新潟のケースを考察するとともに、アルテリーヴォ和歌山への提言についても触れていきたい。

アルテリーヴォ和歌山のシンボルマーク
アルテリーヴォ和歌山のシンボルマーク
熊野那智大社の八咫烏
熊野那智大社の八咫烏
八咫烏とシンボルマーク

八咫烏は「古事記」に記せられているように、神武東征の際、神武天皇に遣わされ、熊野から大和に道案内した烏である。では何故、日本サッカー協会のシンボルマークになったのかと言うと、日本で初めてサッカーを紹介し、日本サッカーの生みの親と呼ばれている“中村覚之助”に因んだからだという。中村が那智勝浦町の出身であったことから、熊野三山の八咫烏をデザインして作ったのではないかと言われている。そして、アルテリーヴォ和歌山もこのことに思いを寄せ、同じようにシンボルマークに八咫烏を取り入れた。ちなみに、「八咫烏」は神道では神使である。アルテリーヴォ和歌山も神の使いのような素晴らしいチームに育ち、日本サッカー界を道案内してほしい。
チーム名の由来

アルテリーヴォの「アルテ」はイタリア語「ARTE」から「芸術」、「リーヴォ」は同じくイタリア語「ARRIVO」から「到達」と言う意味をあわせた造語だという。また、このチーム名は和歌山県民の公募より決定したという。

2.アルテリーヴォ和歌山の誕生

上述のプロローグでは、ノンフィクション仕立てで始めたが、アルテリーヴォ和歌山の誕生の軌跡を辿る時、やはり児玉佳世子ゼネラルマネージャーを抜きにしては語れないと思う。誕生を巡る円(縁でもあるが)運動の中心に常にいたことは間違いない。それゆえ、誕生のエピソードを書き綴る際、彼女の眼から見た場面等を集めていくのが、もっとも効果的に誕生物語が出来ると思ったのである。それでは、草創期に焦点を当てた誕生物語に話を戻そう。

もともと児玉は、横浜F・マリノス、特にゴールキーパーの川口能活のファンであった。たまたま家族で横浜F・マリノスの試合を見に行った時、その強烈な印象から虜になりはじめた。横浜F・マリノスの川口選手が全身でサポーターに「勝利コール」を呼び掛け、それに呼応する聴衆、テレビでは決して味わえないこの一体感に魅了された。まるでスタジアムが揺れるような感動であった。それ以来、横浜F・マリノスのホーム試合は欠かさず応援に行くことになってしまう。

Jリーグにすっかりはまっていた2005年の夏頃、「和歌山にもJリーグを目指すサッカーチームをつくろう」という話が同級生から聞こえてきた。最初は、「できたらいいなあ」という軽いノリでその話に加わっていくことになった。

それから間もない同年の秋、少し肌寒い夜、呼びかけに応じて二十数名のサッカーファンが集まった。この集まりで、サッカーチームをつくることを話合う予定であったが、会議が進むにつれ、それぞれがサッカーの思いを語るだけの会議になってしまい、単なる情報交換の場と化してしまった。それからも何回か集まりがあったが、同じようなことの繰り返しであった。“雀荘”のようなタバコの煙が充満した会議室で、ひとり児玉は「こんなことで、本当にできるのかなあ」と思い始めていた。

ここで通常よくあるテレビドラマなら、この膠着状態を打ち破るために、颯爽とした助っ人が登場して、ドラマを盛り上げていく。いわゆる主人公を脇で支える助演スターの出番となるわけである。何と面白いことに、この誕生物語にも、同じような助演スターが登場したのである。そしてテレビドラマにおいても、ノンフィクションの小説においても、この助っ人は、“変わり者(価値観の違う人又は異能の人)”か“外部の人間”の何れかと相場が決まっている。いわゆるサークル外(特定の集団以外)の人である。例えば、司馬遼太郎の『花神』の大村益次郎のように。

この誕生物語における大村益次郎役は、大手証券会社の転勤族の社員(岡田)だった。まさに外部の人間だったのである。

そして、一般的に外部の人間に対しては、結構、警戒感を抱くものである。例えば、一昔前「外資」ことを“禿鷹ファンド”と呼んだように。同じように、岡田が大手証券会社だったことから、変な噂が立った。サッカーチームを利用してカネ儲けをたくらんでいるのではないか、というものである。テレビドラマ風に言えば、主人公に対して横やりを入れる意地悪な脇役が取り留めもない噂を流す類である。

現実の岡田は、この噂話とは正反対の人物だった。極めて純粋にサッカーを愛し、地元和歌山の事を真剣に考え向き合ったのである。岡田は学生時代からサッカー人生を一筋に歩んできた関係で、和歌山においてJリーグを目指すチームを作るという話を聞きこんで、居てもたってもいられずこの会議に飛び込んできたのである。

岡田は、まず自らの人脈から大手シンクタンクの三崎を手繰り寄せ、このプロジェクトに投入した。三崎は、あるチームのJリーグ昇格に関わったプロ中のプロである。児玉は当時を振り返り、「私たちとは次元の違う頼もしいビジネスマンが現れた」と思ったという。

そしてこの二人が登場してからは、同じ会議とは思えないような着実な歩みを見せ始めた。その事の次第はこうである。

まず会議の進め方を一新した。KJ法(川喜田二郎氏が考案した創造性の開発手法)を取り入れながらワークショップ形式にしたのである。そして二人が“ファシリテーター”役に徹し、「いつまでに」「何を」「誰が」「どのように」してサッカーチームを立ち上げていくか、地元の思いを取り入れながら、議論を進めていった。二人が登場する以前とは、まったく雰囲気が変わってしまった。児玉曰く、会議を覆う空気が違うのである。

しかしながら、会議の内容が具体化すればするほど、困難な課題が立ちはだかってくる。このことはすべてプロジェクトに共通するものだろう。そしてこのワークショップにおいても同じだった。

ワークショップが進むにつれ、足踏み状態になることがあった。組織体をどのようにするか、そして財源問題である。さらに周知方法と有力選手の獲得方法についてである。このことについても、二人はワークショップで粘り強く議論し課題解決に向け方策を煮詰めていった。そして、誘致チームの努力により、やっとの思いでアルテリーヴォらしい選手のピックアップ作業が終わった。

しかしこれだけで事が済むわけではない。紙上に描いた絵を具体的に動かしていくには、ペーパーの世界から現実の世界への飛躍が必要不可欠である。このジャンプに失敗すると、理想と現実のギャップというジレンマに陥り、すぐにプロジェクトは暗礁に乗り上げてしまう。

ここで助っ人の岡田が打った手が、「サッカーで和歌山を盛り上げる会」だった。アルテリーヴォ和歌山という名前さえ決まっていない段階で、地元からの声を呼び起こし、結成に向けての勢いをつけるため実施を思いついたのである。もちろんJリーグ昇格の経験則を活かした取り組みである。和歌山のように、サッカーの不毛地とは言わないまでも、サッカー人気が野球より下回る土地柄の場合、サッカー好きになるにはきっかけを必要としている。二人はこのことを見抜いていた。そして2006年4月「サッカーで和歌山を盛り上げる会」の当日。県民文化会館の小ホールには、約400名のサッカーファンが集った。「サッカーで和歌山を盛り上げる会」の開催は思ったよりうまく事が運び、その成果として関係者間で勢いが少しつきはじめた。いわば想定していた周知に成功したのである。

がしかし、喜んだのも束の間、「禍福は糾える縄の如し」という故事の如く、児玉にとって、ショックな出来事が襲ってきた。それは岡田の東京転勤という突然の出来事だった。頭の中が真っ白になった。明日からどうしら良いのだろうか・・・・・・。

内心のショックを隠しながら、その後は、バタバタと結成に向けての雑務が山のように児玉に押し寄せてきた。しかし児玉にとっては、この時がもっとも充実した時間だった。「和歌山からJリーグを目指すチームが生まれる」と思うと夜も眠れないほど嬉しかった。ワクワク感がまわりにも伝わってきた。最終的に組織体としては、NPO法人でスタートすることが決まり、セレクション(選手選考会)の実施により、アルテリーヴォらしいチーム編成ができることとなった。そして忘れもしない「アルテリーヴォ和歌山」として2009年、第89回天皇杯へ初出場を果たしたのである。千人もの観客という和歌山では考えられない人数がやってきた。紀三井寺陸上競技場のスタンドを見上げた児玉の目には、涙とともに本当にたくさんの同志の姿が映っていた。そしてやっとここまでたどり着いたという万感の思いが込み上げてきたのだった。

だが、これで物語が終わったわけではない。その後も荒波から暴風雨まで幾多の試練が待ち構えていたのである。そのことについては、機会があれば筆を取りたいと考えている。このエッセイは草創期に焦点を当てたものなので、取り敢えず物語をここで閉じることとしたい。

それにしても、ここまでの経緯を書き綴ってきて思うことは、草創期の最大の貢献者は岡田だったのではないかということである。

岡田は、サッカーチームの立ち上げのために、まさに粉骨砕身の努力を行った。このことは関係者の一致する見方である。彼はサッカーに興味がある人物だと思ったら、迷うことなく「Jリーグを目指すサッカーチームを和歌山につくろう」と声を掛けまくった。それだけではない。Jリーグの選手で、少しでも移籍可能な選手と思えば、熱い思いのこもった手紙を書き、是非、和歌山へと呼び掛けたのである。本人が何人に声をかけたか言わないので、児玉も正確な人数は分からない。しかし、おそらく相当な数に上ったように思う。このような行動はなかなか出来るものではない。誕生の裏には、こういう善意に満ちた支えがあったのだ。そしていつか歴史秘話として人々の口にのぼることを期待したい。

この二人は、サッカーを食い物にする「禿鷹」ではなく、まさにJリーグへと道案内する二羽の「八咫烏」だったのである。

(以上の誕生物語は、児玉佳世子ゼネラルマネージャー及び北詰俊三理事等からのインタビューをもとに、草創期に焦点を当てノンフィクション物語として作成したものである。従って、誠に申し訳ないが「児玉氏」「岡田氏」「三崎氏」の敬称は省略させていただいた。)

3.「ひと」の紹介(監督・有力選手・サポーター・マネージャー)

このコーナーでは、インタビュー(4月上旬実施)をもとに新聞各紙の「ひとの欄」を模して、監督、有力選手、サポーター、ゼネラル・マネージャーを紹介したい。

河村優 監督
河村優 監督

河村監督にはチーム作りの哲学を聞いてみた。その答えは「私が目指すチーム像としては、サッカーは11人で行うスポーツなので、11人で攻撃し11人で守備をするという全員サッカーを目指している」とのことだった。
そして今季の目標は勿論、関西リーグ優勝。そしてJ3への確かな足がかりを築くこと。
河村監督の第一印象は、「陽の人」だと思った。古来より戦いのリーダーは「陽の人」が勝利者となると言われている。正直、期待できる監督だと思った。
田丸 誠 選手
田丸 誠 選手

今季からキャプテンを務めている田丸選手。「アルテリーヴォ和歌山には潜在力があるので、期待してほしい」と語ってくれた。
そして、「和歌山のサッカーの受け入れ環境もすごく良い。2009年天皇杯の時には紀三井寺陸上競技場に千人の観客が集まった。サッカーに対する理解と人気があるように思う」と力強く語ってくれた。
JFLの経験者として期待に応えてくれる選手だ。
阿部巧也 選手
阿部巧也 選手

“カズ”こと三浦知良に憧れて、サッカーを始めた阿部選手。そのカズと同じピッチに立った日のことが忘れられないという。
JFLの経験を活かしチームの大黒柱として、もっとも期待されている選手の一人である。
第一印象としては、頼りがいのある兄貴。逸材だけあって職場でも人望があり、慕われているという。
選手会長としてアルテリーヴォを強力に引っ張っていってほしい。
井戸俊サポーター
井戸俊サポーター

もともとアントラーズファンだった井戸さん。
「和歌山にJリーグを目指すチームができたのでサポーターになった」という明快な答えが返ってきた。アルテリーヴォ和歌山のサポーターにはこういう明るく前向きな人いい。
サッカーの魅力について聞くと、「まずスピード、ダイナミック、プレーの迫力。他のスポーツには見られないものがある」と、これまた明快だ。和歌山には貴重な根っからのサッカーファンである。
浜口貴司 サポーター
浜口貴司サポーター
井戸さんと双璧をなすサポーターの浜口さん。浜口さんもセレッソ大阪のファンだったという。
長いサッカーファンとしての蓄積から「試合結果の分析や戦略について」素晴らしい話を聞くことが出来る。
このことについて尋ねると「最初のころは分からなかったが、サッカーを知るにつれ、戦術面も含めて分析できるようになった。深く知れば知るほど面白味が出てくるのがサッカーだ」と自信を持って紹介された。
サポーターとしてなくてはならない人である。
児玉佳世子ゼネラルマネージャー
児玉佳世子
ゼネラルマネージャー

「私の夢は、アルテリーヴォ和歌山がJリーグに進出して、元の『Jリーグのサポーター』になることです」と語る児玉ゼネラルマネージャー。
是非、その夢を実現してほしい。

アルテリーヴォ和歌山とそれ以前のチームとの違いを一言で述べると、「Jリーグ」へ上がる可能性がある本格的なチームだということ。従って、実績のある監督の加入・JFLで活躍した有力選手をはじめとした選手層の厚み・フロント体制の確立・サポーターの意識が非常に高いことなど、Jリーグを目指す階段を着実に歩んでいるように見える。これがいままで和歌山にはなかったサッカーチームなのである。


Jリーグへの道

アルテリーヴォ和歌山は、現在、関西リーグ1部(下図の「地域リーグ」に所属)で活躍中であるが、今後、Jリーグへの代表的な道のりとしては、関西リーグ1部で優勝し、全国地域リーグ決勝大会で準優勝以上の成績を収めてJFL(日本フットボールリーグ)への昇格を果たし、JFLにおいても優勝等の成績を収めて、アマチュアであるJFLからプロであるJリーグの切符を手に入れることである。
険しい道のりであるが、幸い、来年度J3(2014年度に新設予定の3部リーグ)が創設されるので、現在のJFLの有力チームが移行することになる。このため、地域リーグからJFLへの昇格のハードルがクリアしやすくなってくる。即ち、チャンスが広がるのである。
しかもJ3は将来構想として最大60クラブまで拡大する方向だという。従って短期的な勝敗にとらわれず、中長期的な視野も考慮に入れながら、Jリーグ入りを目指してほしい。
Jリーグディビジョン3
(公益社団法人 日本プロサッカーリーグの公表資料より引用)

4.アルビレックス新潟に関する一考察

Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)には、現在、30都道府県に本拠地を置く40のプロサッカークラブが存在しており、J1には18クラブ、J2には22クラブが所属している。そして平成23年度の平均観客動員数では、浦和レッズが約36,600人、次いでアルビレックス新潟の約25,000人となっている。地方都市(新潟市の人口規模81万人)に本拠地を構えるアルビレックス新潟が、2位を占めているのである。このことだけでも、Jリーグの中でもっとも光彩を放っている代表的なクラブの一つであると言えるだろう。

ここでは、このアルビレックス新潟をケーススタディとして取り上げてみたい。アルテリーヴォ和歌山が参考にするには、あまりにも高みにあるクラブで身近な存在とは言えないかもしれない。しかしながら、成功事例を考察する場合は、頂点を学び参考にしなければ、頂上(≒「芸術」=「アルテ」)どころか中腹までも到達(「リーヴォ」)できないと思うからである。従って同じ地方都市でありながら、何故このような大きな成果を手に入れることが出来たのか、このことを私達の学びの出発点としたいのである。

いまここに、飯塚健司著「アルビレックス新潟の奇跡」(小学館発行)という本がある。この本に基づきながら、アルビレックス新潟の歩みを振り返ると、『天の時』『地の利』『人の和』を得ていたことが分かる。1992年、新潟市はワールドカップ2002の開催候補地に立候補した。このことがきっかけで、民間企業30社が発起人となり株式会社アルビレオ新潟(97年にアルビレックス新潟に改名)が設立された。そして2001年にビックスワン(新潟スタジアム)が完成し、2002年にワールドカップが開催されると、サッカーに対する熱気が一気に盛り上がり、その勢いが今度は地元のアルビレックス新潟に向かい始めたのである。この一陣の風を大きな流れに変え呼び込んだことが、第一の成功要因だと考えられる。いわば『天の時』を迎えるようにうまく流れを起こしたのである。

第二に、新潟はサッカー“不毛の地”と自ら称していた。高校サッカーも弱いし、新潟出身のプロの選手は一人しかでていない状況だったのである。サッカーが好きになる土壌が形成されていなかった。そこで考えたのが、「逆転の発想」だった。不毛の地だから何も育たないのではなく、「今」何もないからこそ、そこには大きな需要が眠っている。そう考えることにより、執るべき戦略が違ってくる。例えば、ファンクラブではなく、サポーターズクラブに統一するとともに、無料チケットをただ配るのではなく、観客からサポーターへと転換させるよう、事前に都合を調べそれに合わしながら配布したのである。このような様々な取り組み(「天の時」も活用)を通して『地の利』がまったくないと思われた新潟が、「逆転の発想」で『地の利』を自ら生み出していったのである。

第三に、『人の和』を育成したことである。前述の本の中において、株式会社アルビレックス新潟“初代社長”で現会長である池田弘氏が次のように述べている。

「最初はサッカーに関してはよくわかりませんでした。だけど、勝負ごとなので勝つときがあれば、負けるときもあることを知りました。どんなに強化しても、北信越リーグから全国地域リーグの決勝大会にいくまでに苦労したし、地域リーグの決勝大会でも最初は失敗しました。そんななか、負けても存続できることをベースに考えないと経営的に辛いと思いました。負け続けたなかから学ぶことができました。赤字を覚悟して先行投資しても、勝負ごとだから結果はわからない。そう考えると、予算内で堅実に経営することが大事だとわかりました。それが、1999年からの黒字につながったのです。限られた予算のなかで、選手を集め、スタッフを集め、体制を整えていった。たとえ負け続けても、愛してもらえるチームになる、クラブのテーマとして、私はそのことを掲げていました。クラブコンセプトとして、一家族、一人ひとりと丁寧にコミュニケーションを取る、そうするなか、ついにJ1昇格を果たすことができました。ああ、ようやくここまで来たんだなと思いましたよ」。

ここで着目すべきは、次の言葉である。

クラブのテーマ    たとえ負け続けても愛してもらえるチームになる

クラブコンセプト   一家族、一人ひとりと丁寧にコミュニケーションを取る

この言葉から“選手の社会”と“サポーターの世界”を融合して、一つの家族としてのまとまりを意識したコンセプトとして捉えることが出来る。このことは極めて大事な視点である。
別掲図(「図―1」)のとおり、選手の社会は、得てして「機能体組織(ゲゼルシャフト)=利益社会」的な結びつきをしており、ともすると団結力に乱れが生じやすい性格を内包している。それに対しサポーターの世界は、働きかけ方一つで「共同体組織(ゲマインシャフト)=共同社会」としての結束が生じやすく、たとえ負け続けても応援していこうという性格を内包している。従って、サポーターの世界を共同社会型に育てる一方、選手の社会も「共同社会」的な性格を強めることが出来れば、ひとつの家族のようなまとまり方をし、『人の和』を実現したこととなる。
新潟の場合、おそらく「図―1」のような構成関係を意識していないと思われるが、結果的に関係する人・組織をうまく結合させ、きわめて結束力のあるスポーツクラブに育てた。いわば本当の意味で地域密着型のスポーツクラブの実現を目指したのである。そしてこのことが大きな成功要因(=良い循環の形成)だったと考えられる。

ちなみに逆のケースが、J2時代の大分トリニータであろう。木村元彦著『社長・溝畑宏の天国と地獄』(集英社)の中で次のような指摘がなされている。
「(2000年当時の社長の述懐として)トリニータは『無用の長物』と思われていた。こういう環境の中で認知をさせるには、チームが勝ち続けるしかないという現実であった。弱くても応援するサッカー文化というよりも、勝者の求心力のみが頼りであった」と。
この状況は悪循環(勝ちを意識しすぎ負ける⇒観客減少⇒悪評⇒フロント・選手に焦り)に陥っていたと考えられる。一方2008年のナビスコカップ優勝時の強さは何より“チームの和”であったと記述されている。

図−1
参考:「図―1」の説明

ここでいう「共同体組織(ゲマインシャフトGemeinschaft)」及び「機能体組織(ゲゼルシャフトGesellschaft))」とは、ドイツの社会学者フェルディナント・テンニエスが提唱した「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」に依拠している。
F・テンニエスは著書『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』で次のように定義している。ゲマインシャフトの本質は実在的有機的な生命体であり、ゲゼルシャフトの概念は観念的機械的な形成物であると。従って「ゲマインシャフトではあらゆる分離にもかかわらず結合しつづけているが、ゲゼルシャフトではあらゆる結合にもかかわらず依然として分離しつづける」と述べている。
またマックス・ウェーバーは『法社会学』の中で、ゲゼルシャフト(「利益社会関係」)の特質として「利益考量的」・「合理的」・「目的意識的」・「組織的」な社会関係と指摘している。そしてゲマインシャフト(「共同社会関係」)においては、「利益社会関係」とは違い、兄弟盟約的な連帯関係が結ばれていると捉えている。
この論考においては、この二つの著書をベースに知見として独自に別掲図(「図―1」)を作成したものである。
池田弘氏 アルビレックス新潟の初代社長で現会長である池田弘氏は、新潟で名前を知らない人はいないと言われるほどの著名人である。今回、池田会長のご好意によりインタビューをさせていただいた。
「アルビレックス新潟のあり方を考える時、ヨーロッパのサッカーを抜きにして考えてはならないと思った。Jリーグもヨーロッパをモデルにしており、『おらが街のチーム』をを応援するという地域密着型が望ましいと考えた。ヨーロッパのサッカーには百年にわたる市民の支えが存在する。地元のチームと関わりには、地元の人々、家族全体の思いが詰まっている。地元スタジアムの同じ席を三代にわたり、ずっとシーズンチケットを買い続ける。結果的に五代にわたるファミリーが地元スタジアムの同じ席で観戦し応援する。このような地元の人々と歴史を重ねていく劇場を新潟にも再現したいと考えた。」

このアルビレックス新潟の成功事例から、私たちのアルテリーヴォ和歌山が学ぶものがあるとすれば、第一に「わかやま国体」という一陣の風をどう活用して、地元のサッカー熱を呼び起こし結び付けていくかである。例えば、数ある国体の種目の中でも、“サッカーだけは特別だ”との空気をどう醸成していくかである。
第二に、今後の様々な取り組みを通して、「地の利」をどう得ていくかである。換言すると、クラブパートナーとの「winwinの関係」を構築し、サポーターの世界のみならず広く深く大きく“地域愛という花”をどう咲かせるかである。
第三に、「図―1」を意識しながら、本物の地域密着型のスポーツクラブをどう実現していくかである。詳言すると、この「共同社会」と「利益社会」の両翼のバランスを取りながら、如何に結合させていくかである。そしてそのすべては、ゼネラルマネージャーを始めとしたフロントの双肩にかかっていると言えよう。
(私見としては、米国の“経営学研究”の一大潮流と言われている「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の分野である「弱い結びつきと強い結びつき」あるいは「ストラクチュアル・ホール」等の研究成果を考慮に入れる必要があるかもしれない。)

5.最強の背番号12 (結びに代えて)

降りしきる雨の中、新潟人が誇りとする「ビックスワンスタジアム」に到着した。この豪雨とも思える天候でも、「この街にサッカーがある幸せ」の旗の下、ぞくぞくと人が集まってくる。アルビ(アルビレックス新潟の愛称)ならではだろう。そして応援歌の歌声がスタジアムから大きく漏れ聞こえてくる。その歌声を背に、やっと試合開始30分前に席に着くことが出来た。左手に見えるアルビの応援席(約二千人)は、大いに盛り上がっていた。それもそのはずである。サポーターにとっては、久しぶりのアルビの試合だから。コンフェデレーションズカップに日本代表が出場していた関係で、約一か月間中断していたのである。そのため、アルビは42日ぶりの公式戦となる。

今日(7月6日)の試合(「アルビレックス新潟」対「柏レイソル」)は、新潟日報サンクスデーということもあり、観客に新潟日報が配られた。そして「ビックスワンをオレンジで埋めつくせ」という大きな見出しの下には次のような“熱き言葉”が載っていた。

「20年前。この国にJリーグが誕生したとき、新潟にはプロのサッカークラブも、大きなスタジアムもなかった。サッカーが盛んな土地ですらなかった。でもやるんだ。できる。そう信じた人たちが本当に作ってしまったクラブ、それがアルビレックス新潟だ。僕らは知ってしまった。サッカーの面白さを。愛すべきチームを持つ幸せを。J2優勝。所属選手の代表選出。奇跡のJ1残留。アルビは、何物にも代えがたい喜びをいくつも味わせてくれた。ときには絶望的な気分にしてくれるが、声で、拍手で、祈るような思いで、僕らは選手の背中を押し続けた。気がつけば、オレンジで埋めつくされたビックスワンは、新潟の誇りになっていた。僕らの声はチームを動かせる。僕らの声が大きければ大きいほど、選手はギリギリの所で踏んばれる。J1リーグ中断後の初戦、選手に届くと信じて声援を送ろう。アルビがそばに在り続けてくれることに感謝しながら。」

いよいよ試合開始が近づいてきた。両チームの応援の歌声が一層大きくなり、スタジアムの隅々まで響く。野球とは違った会場の雰囲気である。“懸命に応援する”というよりは、12人目の選手として“これから一緒に戦うぞ”という気持ちが伝わってくる。そのサポーターの熱い心が会場全体に広がり、観客をも巻き込んで異次元の世界へと誘ってくれる。こんな経験をすると、サッカーに魅了されるのが頷ける。

例えば、GKの東口がピッチに立つと、何度となく“東口コール”が一斉に響いた。試合終了後に分かったことだが、大けがのため約9か月休んでおり、やっとの思いで公式戦に復帰したので、サポーターが激励の気持ちを込めてコールを行ったのである。選手一人一人に対するサポーターの気持ちが見ている者にも伝わってくる。

前半戦は、柏が6対4以上の割合で、ボールを支配していた。いつ失点してもおかしくない状態であった。特に柏のインターセプトが目立った。そしてパスをうまく繋ぎながら、ゴール付近までボールを運び、模範的なゴールへのシュート(あるいはヘディングシュート)を放った。しかし得点にはならなかった。すべてGK東口の活躍である。3点入れられていても不思議ではなかったくらい、もう駄目だと思えるようなシュート(あるいはヘディングシュート)であったが、すべてGK東口が止めたのである。見事なセービングだ。
特に、中盤に差し掛かった頃、コーナーキックからゴール前に最高のボールが運ばれ、柏の選手が見事にヘディングシュートをワンバウンドで行った。もちろんボールはゴール目がけて鋭く早い弾道を描いていった。GK東口は体全体で横跳びをし、辛うじて手の先でセービングをした。ボールは、僅かの隙を残してゴールポストの後ろへと跳ねていったのである。沸き起こる“東口コール”。素晴らしい試合である。あっという間に、前半戦が終了した。
それにしても、J1におけるパスのボールスピードが関西リーグとは違うと思った。例えば、「股抜き」も現場で初めて目にした。「股抜き」は相手の両足に体重が乗った瞬間を狙えと言われている非常に難しいプレーである。消されたはずのスペースを生み出し、ディフェンダーに精神的なショックを与える一撃必殺の技とも言われている。この「股抜き」をJ1の公式試合で、目撃することが出来た。

ハーフタイムが終了し、後半戦は始まった。そして後半4分。待望の一点が入った。今度は、逆に12分、同点に追いつかれ、38分には逆転された。残り時間を考えると、敗戦の空気がスタジアムに漂ってもおかしくないのだが、全くその気配が感じられないほど、サポーターの声援が鳴り響く。90分間、ずっと立ちっぱなしでの応援である。後半戦40分過ぎからは、目まぐるしいほどカウンター攻撃の連続が始まった。前半戦の試合とは打って変わっての両チームによる試合運びである。このまま終わるのかなあと(私だけだと思うが)諦めかけていた時、後半43分、同点に追いついた。スタジアムは盛り上がり、歓声が全体を包む。しかし試合は終わらない。それからのロスタイムに入っても、同じように激しいカウンター攻撃が続く。インターセプトしてからの縦パスが速い。やはり選手の疲労もあり、運動量にも限界があるので、カウンター攻撃がそれぞれ有効だと判断して行っているのだろうか。そしていよいよその時がやってきた。アルビのFW岡本が右足で決勝ゴールを決めたのである。そして終了のホイッスル。まるで絵にかいたような勝利である。当然、スタジアムは歓喜の渦。鳴り止まない歌声。揺れるスタジアム。サポーターは、試合終了後、どれくらい歌い続けるのだろう。あるいは場所を変えて。バス停の長蛇の列に身を置き、魂の籠った歌声を聴きながら、ふとそんなことを想像していた。

そして私の耳に「愛している新潟」の歌声が、今も鳴り響いている。

〜 〜 俺たちが ついてるさ 新潟
     火傷させてくれ このゲーム
     俺たちが ついてるさ 新潟
     伝えたい この想い 愛している新潟  〜 〜

(2013.9)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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