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「感性社会資本」としての世界遺産

研究員  谷 奈々

1.「紀伊山地の霊場と参詣道」

「紀伊山地の霊場と参詣道」が、来年6月に開催される第28回世界遺産委員会において、世界遺産一覧表への記載の可否が決定されることになった。

当地域は、修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の聖地「熊野三山」、真言密教の根本道場である「高野山」という三霊場とそれらを結ぶ参詣道から構成されるもので、今なお連綿と人々の心と生活の中に息づいている点においても、極めて貴重な文化的遺産、人類の資産である。

【その特異性】

吉野・大峯、熊野三山、高野山は、古代以来、自然崇拝に根ざした神道、中国から伝来し、わが国で独自の展開をみせた仏教、その両者がむすびついた修験道など、多様な信仰の形態が育んだ神仏の霊場であり、大峯奥駈道、熊野参詣道、高野山町石道などの参詣道とともに、広範囲にわたってきわめて良好に遺存している点において、比類のない事例である。

世界遺産への登録については、資産の内容が他に類例のない固有のものであり、国際的な判定基準に照らして、「顕著で普遍的な価値」があると認められることが条件である。

2002年7月現在、世界で730件、日本で11件の遺産が登録されているが、件数の増加に伴い、同じ国からは、同様の種類のものを重複して登録せず、国内外レベルでの資産の真の価値が問われるものである。従って、現在、登録されている世界遺産は、各国の歴史・文化・自然を代表するものといえる。

【キーワードは、文化的景観】

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる「自然」を母胎として生まれた「山岳霊場」と「参詣道」、および周囲を取り巻く「文化的景観」を特徴としている。文化的景観とは、「自然と人間の営みによって形成された景観」というもので、一般的な文化財の枠組みを超えた、幅広い内容を含んでいる。

当地域の「文化的景観」を守るためには、単に神社や仏閣など文化財として指定されているものを保存すればよいのではなく、その基盤となっている自然もまた良好な状態で維持することがもとめられているのである。

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、紀伊山地の自然的要素、自然環境と歴史的景観、歴史・信仰・文化的伝統、歴史的・宗教的建造物群という膨大なスケールと資産内容の多様性において、日本における他の登録済み世界遺産(自然遺産2件、文化遺産9件)をはるかに凌ぐものであろう。

2.「感性社会資本」とは

産業経済の進展と並行して、自然との共生や環境と調和した生活への意識が急速に高まってきた。豊かな自然環境の保持とそこに住む地域住民の生活の質的向上が、今後の大きな社会的課題である。

『社会構造の変革――循環・蓄積社会のあり方に関する研究』((財)21世紀ひようご創造協会)というレポートに「感性社会資本」という概念が紹介されている。

これまでの経済効率主義のもとでは、道路・下水道・公園等の社会基盤のストックは、産業基盤を中心に整備されてきたため、個人の生活の基盤となる身近なローカルストックは十分とはいえない。また、整備されたストックも画一的なものが多く、質的に必ずしも満足すべきものとなっていない。ソフト面、人間的な面にうまくマッチしていないケースもある。

地域住民が、自らの望むライフスタイルを追求し、豊かな生活の選択肢をもつためには、様々な社会ストックが質量ともに充足されねばならない。

ここで、地域において、自らの生活信条あるいは生活美学を追求する人々の、「五感を刺激し、感性(感覚・情緒)を満たし、育むことによって、こころを豊かにする社会資本」、すなわち「感性社会資本」というべきものへの認識と構築がもとめられる。

これは我々に、懐かしさや優しさ、美しさ、安らぎ、心地よさ、快適さ…等の感覚をもたらし、人間の創造性や審美眼、知的好奇心、あるいは遊び心を涵養させるものである。感性社会資本は、人間性の回復とオリジナルな個性をかたちづくる財ともいえよう。

【感性社会資本のいくつかの類型】

感性社会資本が整備される前提条件として、エネルギーや基幹情報の供給、交通網の整備、国土の保全等の基礎的な生活のプラットホームとなる社会ストックの充足とメンテナンスが必要である。しかし、高度かつ複雑に進展した21世紀文明社会においては、この生活基幹ストックだけでは、人々に人間性や感性の豊かさをもたらすのは難しいであろう。

感性社会資本とは、たとえば、環境や景観、文化、芸術等の分野のソフト的な比重の高い準公共財分野におけるストックであるが、そのパターンは、いくつかに分けることができる。

  1. 日本的景観(例:棚田等)・歴史的街並みや文化財の保存・伝統文化の伝承等、日本的な伝統生活を伝えるもの
  2. 緑地や森林、河川、海岸、生態系保全空間等、美しい空間創造・景観形成を行うもの
  3. 地域内、地域間、国際交流等、人々の「交流の喜び」を促すもの(地域情報ネットワーク・交流機関、施設・ローカルな交通体系の整備等を含む)
  4. 人間の遊び心や知的好奇心を刺激し、楽しさや、文化的な豊かさを演出するもの(例:スポーツ、観光施設・ホール・劇場・美術館・博物館・図書館・生涯学習の場)
  5. ノーマライゼーション・人が快適に暮らせる街づくり(福祉・地域医療・高齢化対策)
【ニューハードとしての社会資本】

前項に記したものには、従前の社会資本整備の対象であるものも含まれているが、その形成については、従来のハード・ストックよりも、デザインや運営ノウハウ等のソフト的要素が大きなウェートをもつものであろう。すなわち、感性社会資本は、ニューハードともよぶべき社会資本で、今までの同種の社会資本とは、本質的に異なる目的と効果をもつもので、ソフト面重視の色彩の濃い感性社会資本の整備には、独創的で優れた個人の知識やセンスと、意欲と能力のある地域住民の積極的な参加・運営、さらに共働セクターとしての企業等の協力が必須である。

3.世界遺産を契機とした地域づくり

社会資本整備の大きな目的は、私たちの「クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)」を高めることであろう。交通体系でも、「速い・安価・安全」という第1次の要素に加え、「周遊性・アメニティ」等、交通の本来の目的である「移動」そのものの意味、バリエーションが付加価値をもつ要素となってきた。

また、美術館や博物館においても、コンテンツである収蔵品及びソフトが重要な社会資本である。ソフトを形成しているものは、究極的には人間の知識・感覚であり、自然環境や歴史、伝統、生活文化、人間的なネットワーク等から生み出されるものかもしれない。

かつての地域整備の目的は、地域住民の必要最低限の生活水準の確保が理念として掲げられてきたが、これからの新しい地域づくりでは、地域の歴史や文化等の地域資源をいかしつつ、その地域に生活する住民にとって、何が幸せか、どうあるべきかを考えることがもとめられている。

歴史的・文化的遺産を人間生活から分断し、博物館に飾るように納め、「保護・保全」することは、保護することが至上命題となり、本来の整備理念とは異なったものといえる。世界文化遺産の実に7割に、人間が居住していることをみれば、遺産は人間およびその生活とともに存在するものである。人類の長い歴史のなかの宝石ともいえる世界遺産は、人々に精神的な豊かさや喜び、住民の地域への帰属意識、アイデンティティを高めるものであろう。

以上のような視点から「紀伊山地の霊場と参詣道」をみると、当地はまさしく感性社会資本という新しい価値と存在意義をもつものであり、これを核とした今後の地域づくりが期待される。

参考文献

  • 「循環・蓄積社会のあり方に関する研究」 ((財)21世紀ひょうご創造協会 1995)
  • 「世界遺産と地域」 (国土庁計画・調整局 1998)

(2003.8)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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