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観光振興と世界遺産の課題

研究員  谷 奈々

1.世界遺産の始まり―アスワン・ハイダム

平成16年7月1日、中国・蘇州で開催されたユネスコの第28回世界遺産委員会で、「紀伊山地の霊場と参詣道」が、わが国で12番目の世界遺産として登録されることが決まった。

世界遺産(World Heritage)とは、世界遺産条約にもとづく世界遺産リストに登録されている物件をさし、その数は平成15年度までの754件に、今回登録の34件を加え、計788件となった。

世界遺産の歴史は、ナイル川のアスワン・ハイダムの建設計画によって水没の危機にさらされた古代エジプトのアブ・シンベル神殿などの遺跡群の救済問題で、1959年、ユネスコが遺跡の保護を世界によびかけ(※当時のユネスコ事務局長、ベロネーゼ氏による「ヌビア遺跡救済キャンペーン」)、欧州を中心に多くの国々の協力で移築したことに端を発する。

人類共通の遺産を国家の壁を越えて協力しあい、保護・保存することの必要性から生まれた概念が世界遺産の精神である。

1972年のユネスコ総会で、世界遺産条約が採択され、日本はその20年後の1992年に国会承認をえて条約に批准した。

世界遺産として登録された物件は、大規模自然災害や環境の悪化、戦争、開発事業などによって、滅失や破壊など深刻な危機にさらされ、緊急の救済措置が必要であると世界遺産委員会が判断すれば、各締約国の拠出した世界遺産基金から、保全に対する国際援助が行われる。

遺産登録という本県・わが国にとって画期的な出来事を迎え、また、「観光は、21世紀の基幹産業」とも喧伝される世界的な観光ブームの中、わが国における観光をめぐる様々な動き、課題について考えてみたい。

2.「紀伊山地」=Σ〔人間+宗教+自然+歴史〕

今回、登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山・奈良・三重の3県にまたがり、登録地域の資産面積(バッファ面積を含まず)が500ha近くにのぼる広大なものである。また、「道」の登録は、フランス・スペイン両国の「サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道」に次ぐ世界2例目で、日本の過去11件の世界遺産とは全く趣を異とし、世界的にみても珍しい事例となった。

「紀伊山地」が世界遺産に登録されたのは、山・川・滝・海・巨岩などのダイナミックな自然の造化の妙とともに、大峯奥駈道や熊野参詣道、高野山町石道という、貴賎をこえた人々の信仰の道が長い年月の間に築かれ、今なお受け継がれていることの価値を貴重かつ稀少なものとして認められたものであろう。

今回の世界遺産登録では、自然と人間の営みによって形成された「文化的景観」というキーワードが重要な役割を担った。山や樹木も「霊山」や「御神木」として特別の価値が与えられ、文化的景観を構成する。例えば平家物語にも登場する那智山の「飛瀧権現」とは、高さ133mの日本一の名瀑、那智大滝であり、熊野速玉大社の御神体は、神倉山山頂の霊石ゴトビキ岩である。

紀伊山地は、その地理的不便さゆえに、美しい自然や文化遺産が維持されてきたのであり、「観光地化されていない」のが最大の魅力といえる。従来の観光地のイメージとはやや異なった、逆転の場所である。21世紀における人間環境を考えるにふさわしい場ともいえよう。

3.小泉首相の観光立国構想のねらい

「観光」を、わが国の産業経済活性化の起爆剤にしようという動きは、2000年頃からみられたが、最近、その動きに拍車がかかってきた。

2000年10月、旧経団連は「21世紀のわが国観光のあり方に関する提言」で、観光振興を重点的に推進すべきことを主張、2002年に入り、経済同友会も「外国人が『訪れたい、学びたい、働きたい』日本となるために」を提言、同年12月には、国土交通省が「グローバル観光戦略」を公表した。

2002年秋、小泉首相は、施政方針演説で「観光」に言及した。日本の首相が公式に「観光振興」を打ち出したのは初めてである。これを受けて、政府は「ビジット・ジャパン・キャンペーン」計画を発表した。その目標は、先進国では際立って少ない訪日外国人旅行者を、当時の480万人(世界35位)から、2010年までに倍増、年間1,000万人を誘致しようというものである。(※日本から海外への旅行者数は、1,600万人超)

2003年、政府はこの年を「訪日ツーリズム元年」と位置付け、目標達成をめざして2003年度の観光関係予算を前年度比50%増とした。2003年1月、首相自ら「観光立国懇談会」を主宰し、民間等の有識者をあつめ、国家戦略として観光に真剣に取り組み始めた。

政府が観光立国に邁進し始めたのは、長期不況をひきずる日本列島に漂う、閉塞感を打破するための不況対策としての判断である。政府は、バブル崩壊後、財政・金融両面で不況対策を打ち出したものの、顕著な効果はみられなかった。国内観光産業の関連業界は広く、生産波及効果は50兆円にのぼるといわれ、その経済的効果は甚大である。

また、今後の人口減少時代を迎え、特に地方、過疎地の居住人口減を補填するためにも、観光による交流人口の増加に期待がよせられる。今後、国際会議や国際的なイベントにも、積極的な関与がもとめられよう。

観光をテーマとした交流人口のとり込みは、これまでの日本が腕をこまねいてきた分野といえ、将来、最も必要とされる産業分野である。国際交流に基づく幅広い相互理解は、国際平和や国際間の安全保障を強める働きをする。観光産業は、積極的に平和に寄与する平和産業であり、人口減少社会で、経済的活力を産みだすための国策的切り札として期待されている。

4.「観光立国に関する特別世論調査」

内閣府大臣官房政府広報室は、平成16年5月、全国の20歳以上の国民3,000人を対象に「観光立国に関する特別世論調査」を実施し、6月にその速報結果を公表した。(回収率69.2%)

本調査の目的は、「住んでよし、訪れてよしの国づくり」を実現するための政府の観光立国政策の推進について、国民の意識を調査し、今後の施策の参考とするものである。

調査項目およびその回答結果の概要は、次のとおりである。

(1)あなたが住んでいる地域(市区町村)は魅力的なところだと思うか。
魅力的なところだと思う14.1%48.8%
まあ魅力的なところだと思う34.7%
あまり魅力的なところだと思わない32.6%45.6%
魅力的なところだと思わない13.0%
どちらともいえない4.8%
(2)日本国内で、住んでいる地域以外に、訪れてみたい、住んでみたいと思うところはあるか。
魅力的なところがある73.2%
魅力的なところはない19.4%
わからない7.4%
(3)海外へ発信すべき「日本ブランド」とは、日本のどのような魅力か。(複数回答)
神社、仏閣など歴史的建造物や街並み65.9%
海、山、川、里山などの自然環境53.0%
伝統芸能や祭り、伝統産業52.5%
日本人のもてなしの心などの国民性34.9%
大相撲、武道など伝統的なスポーツ30.7%
すし、天ぷらなど日本の食文化25.8%
近代的な都市文化14.7%
ポップミュージックやアニメなど新しい文化9.2%
(4)外国人旅行者誘致のために、政府が行うべき環境整備はどのようなものか。(複数回答)
外国語の案内標識など外国人にもわかりやすい観光案内の整備72.0%
国民一人一人の親切な応対42.7%
空港の整備や航空路線の充実など国際交通の充実25.0%
査証の免除や迅速な入国検査の実施など入国手続の円滑化24.0%
クレジットカードの普及などキャッシュレス化の推進7.0%
(5)「観光立国」を実現し、国内外からの観光客を増やすために、政府に何を要望するか。(複数回答)
個性ある地域づくりの支援42.0%
観光振興に向けた人材の育成40.6%
国民一人一人が観光立国を認識するための広報や国民的運動34.8%
交通インフラの整備による地域間交流の促進23.1%
国民の休暇の長期連続化・分散化21.5%
電線の地中化など美しい景観の形成17.8%
(まとめ)

上記の結果から、自分が住んでいるところを「魅力的である」「魅力的でない」と考えている人は、ほぼ同数であるのに対し、日本国内の他の地域に「魅力的なところがある」と答えた人は、73.2%と、「魅力的なところはない」と答えた人の19.4%を大きく上回り、魅力的な他地域への旅行・居住意欲を示している。

また、海外に発信すべき「日本ブランド」の内容として、「神社・仏閣など歴史的建造物」「伝統芸能・伝統産業」「大相撲・武道」などの日本古来の文化や「自然環境」をあげた人が多く、「近代的な都市文化」や「ポップミュージックなど新しい文化」は少ない。

外国人旅行者のための環境整備としては、「外国語の案内標識など観光案内」が圧倒的に多く、「観光立国」実現のための方策として政府に望むことは、「個性ある地域づくりへの支援」「人材の育成」「国民への広報活動」をあげ、「インフラ整備」や「休暇の連続化」を選んだ人は比較的少ないことがわかる。

5.経済効果と問題点―白神山地・広島

<白神山地>

1993年に日本で初めて屋久島とともに世界自然遺産の指定を受けた白神山地は、青森・秋田両県にまたがる約16,000haにブナの原生林が広がる。白神山地の麓にある青森県西目屋村では、遺産登録後の9年間で、観光客は約3倍の53万人となり、東北新幹線盛岡―八戸間の新規開通も重なり、来訪者増が著しい。

県は、38億円を投じて自然博物館のビジターセンターを設置、村も第3セクターで温泉宿泊施設をオープン、2002年度の売上高は、4億5,000万円にのぼり、新規雇用も約100名と、その経済効果は大きい。白神山地はアクセスが難しく、コア地域への立ち入りには、かなりの経験を必要とする。西目屋村では、大学生など20名程度の現地ガイドを育成する方針で、新たな雇用確保の機会につなげようと地元は期待している。

しかし、自治体には新たな負担も生じる。西目屋村では、冬期に遊歩道が深い雪の下に埋まり、春先の雪解け水で流されるなど、遊歩道補修整備に村の税収の2割があてられ、小自治体ではその維持が深刻である。

また、入山客のマナーの悪さが目立ち、ごみやたき火の跡もみられる。東北森林管理局青森分局は、昨年から入山手続きを許可制から届け出制に簡素化し、入山実態を把握しやすくした。手続きの煩雑さから、許可を受けずに入山するケースを避けるためであるが、さらに入山客が増え、環境の悪化が懸念されている。マナー向上には、罰則や監視体制の強化が必要という指摘もあり、対応が迫られている。青森県は、県主導で保護措置がとれる県立公園の対象地域拡大などで、利用と保全の両立を模索している。

<広島>

1996年に世界文化遺産に登録された広島の原爆ドームと、日本三景、宮島に展開される海上の木造建築物―厳島神社。直線で20km足らずの距離にあるこの2つの世界遺産は、人類にとって対照的なメッセージをもつ存在であるが、集客の伸び悩みや保存負担など共通の課題に直面している。

原爆ドームに隣接する平和記念資料館の入館者数は、2002年度は114万人強と、ピークの91年度の159万人に比べると大幅に減少した。その主な原因は、ここを訪れる小中高校の修学旅行が減ってきていることである。

厳島神社の参拝客数も減少傾向で、2002年の宮島への来島者は261万人と、97年のピークから50万人強減少した。

原爆投下直後の姿をとどめるため、過去3度、ドームの保存・現状維持工事が実施され、2002年には7,250万円が投じられた。厳島神社も柱の塗り替えなど、改修・維持のための負担は大きい。

原爆ドームから厳島神社までは電車や連絡船で1時間程度であるが、最近は、広島に宿泊せず、数時間の市内観光で他都市に流れるケースが増え、結果的に両施設で観光客を奪い合っているともいえる。至近距離にある2つの世界遺産の有効活用の難しさを示す例であろう。

6.受け入れ態勢―2次・3次アクセス

1993年に世界自然遺産として登録された白神山地における、交通・飲食・宿泊等の受け入れ態勢について、次のような興味ある事例が報告されている。(あきた経済 2003.9)

ある会合で、「せっかく近くに空港ができたのに、空港や最寄りの駅から白神山地へ行く交通機関がない。そのため、観光客からの苦情が絶えない」と町の観光課の職員が話すのを聞いた地元のバス会社代表は、地元の交通関係者として役に立てることをと、「定期観光バス」の運行を計画した。これは、大館能代空港を出発点に、二ツ井駅経由で白神山地へ行き、山の案内人のガイドでブナ原生林を散策、食事もつけて、最後は温泉に入って駅と空港まで送る1日コースの乗合バスである。

ところが、計画を公表するや、社内外から採算性に乏しいと強く反対された。そこで、リスクを軽減するため、完全予約制とし、予約がないときは運休、申し込み人数が少ないときは車両をバスからタクシーへと切り替えることとし、ようやく周囲も納得した。2001年に運輸省の許可をとり、運行を開始したが、思いのほか反響があり、年々利用者も増加して採算面もクリアするようになった。

この事業を通じて、県内の陸海空の交通網の利便性が高まった割には、目的観光地への2次アクセスがまだまだ十分ではないことがわかった。ツァーなどの団体客でなく、自分たちで旅行を手配する個人や小グループの観光客にとって、空港や駅からの足の確保は、旅先を選定する際の重要な要素となる。「もし、定期観光バスがなければ、白神に一生来られなかった」と語った人もいた。

また、新幹線の八戸開通で観光客の増加が見込まれる十和田湖から白神山地行きと、最近、脚光をあびてきた森吉山への定期観光バスの運行を計画。地元の各自治体の協力をうけてスタートした。この新ルート開設により、十和田湖、白神山地、森吉山という県北の主な観光地をトライアングルで結ぶことができた。さらに、県境を越えて青森県の十二湖などを結ぶコースも新設した。

空港や駅から観光地を結ぶ2次アクセス、観光地と観光地を結ぶ3次アクセスの拡充につとめ、県外からの観光客の受け入れ態勢の整備をはかることは、案外見おとされがちであるが、外部からの旅行者にとって、命綱ともいうべき重要な意味をもつことがわかる。

7.世界遺産―対処と課題

世界遺産とは本来、国内外の経済情勢や紛争に左右されることなく、後世に残していくことを目的に登録をすすめている。特に自然遺産の場合、その保護が前提であり、経済効果を期待するには、きめ細かな地域独自のシステムづくりが必要である。

文化遺産を審査する国際記念物遺跡会議(イコモス)の国内委員会理事を務める東京文化財研究所国際文化財保存修復協力センターの稲葉信子企画情報研究室長はインタビューに応えて、「世界遺産人気の高まりとともに観光面のみが強調され、リストがまるで人気ランキングのようになってしまった。観光資源になること自体は構わないが、ホテルなど大資本の流入が、遺産を支えるべき地元のコミュニティを破壊するようなことは避けねばならない」と危惧する。

また、「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録で決定的役割をはたした「文化的景観」というカテゴリーについて、「文化的景観は、文化遺産に自然遺産的要素もとりこみ、その境界に位置するものとして両者の連携をめざすもので、文化遺産と自然遺産の数の不均衡の是正(※文化遺産は自然遺産の4倍)にも有効」とし、将来、例えば、アジア各国の遺跡をつなぐ「仏教伝播の道」なども可能性を示唆した。

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、これまでの世界遺産が、あまねく地球上の多様な文化を代表するというよりも、どちらかといえば欧州の文化を中心とする記念碑的な遺産にやや偏っていたことを考慮すれば画期的なことであり、国内外から新たな感動と関心をあつめるものであろう。

参考資料

  • 政府資料「観光立国に関する特別世論調査」速報 (2004.6)
  • 秋田経済研究所「あきた経済」 (2003.9)
  • 朝日新聞 (2004.6.1)
  • NIRA特定研究助成「“魂のふるさと”熊野地域における活性化方策と都市との交流」 (1996.6)
  • 21世紀WAKAYAMA vol.27所収「熊野に人は何をもとめるか」 (1999.3)

(2004.8)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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