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「信仰の山」と文化的景観――世界遺産をどうとらえるか

研究員  谷 奈々

1.大交流時代における観光小国、日本

今、国をあげて「観光立国」に力が注がれ、首相自ら海外向けの観光CMに登場したり、観光立国懇談会を主宰する。これは、日本のみならず、世界的な潮流であり、国内の都道府県や市町村においても、同様の傾向がみられる。

グローバリズム、ボーダーレス社会の進展と共に、世界はかつてない地球規模の大交流時代にあり、国境を越えて、「人、モノ、金(かね)、情報」が行き交う。かつては、「モノ」の交易が重要な役割を担ってきたが、交通機関の発達と低コスト化、労働時間の短縮、労働形態の変容等により、人の移動が易しくなり、観光への動向が高まってきた。WTO(世界観光機関)によると、1年間に、地球の総人口60億人の1割以上にあたる7億人が海外旅行に出かけ、観光産業の規模は、世界のGDPの1割以上の3兆5,000億ドルに達している。まさに21世紀の最大の産業は観光といえよう。

しかし、わが国への国際観光客到着数(その国を訪れる人数)は、1位フランス(7,650万人)の約1/16の500万人に過ぎず、他のアジア諸国をみても、5位の中国、14位の香港、20位のタイ、27位の韓国に大きく遅れて36位である。また、日本の国際観光収入が35位であるのに対し、同支出は米国、ドイツ、英国に次ぐ4位と、その収支は、3.5兆円の赤字となっている。

このような状況のなか、本年7月の中国蘇州での第28回世界遺産委員会で、和歌山・奈良・三重に跨る「紀伊山地の霊場と参詣道」がほぼ満場一致で世界遺産(世界で計788件・日本で12番目)に登録されたことは、この土地が世界遺産という国際レベルに達したというお墨付きを得たことであり、その意味を再認識し、世界遺産の保全及び活用と今後の地域づくり、住民意識の高揚に資する絶好の機会である。

2.世界遺産条約制定に至る流れ

20世紀は「戦争の世紀」ともよばれるが、世界遺産という概念の萌芽は、戦争による崩壊の中にあった。世界遺産条約がどのような世界情勢の中で生まれたのか、その成り立ち、出自等について述べてみたい。

≪ユネスコ以前≫

1921年、国際連盟のもと、国際知的交流委員会が設置された。構成組織の一つである国際知的協力機関が、1930年代に文化財の保護に関する2つの条約草案を作成するが、成立には至らなかった。(『武力紛争時または革命時における美術品の保護条約』『美術および歴史上の国民的収集品の保護条約』―紛失や盗難、略奪により、他国に移された文化財の返還に関する内容)

背景に、当時のナチスドイツ台頭による緊迫した国際情勢があり、貴重な文化財の保護・保全が危急の課題として浮上したのである。

≪ユネスコ誕生≫

1945年、第二次世界大戦への強い反省から国際連合が設立された。同年、ユネスコ誕生。1954年、ユネスコに『武力紛争の際の文化財の保護のための条約』(ハーグ条約)採択。1970年、『文化財の不法な輸出、輸入および所有権譲渡の禁止および防止に関する条約』採択。これらは、戦前の2つの草案の理念を受け継ぐもので、文化財を人類の貴重な財産として位置付け、国際社会が共同して守るという画期的な内容であった。

≪ヌビア遺跡救済キャンペーン≫

エジプトのアブ・シンベル神殿等の遺跡が、アスワン・ハイダム建設に伴う水没の危機にさらされた。60年代、当時のビットリーノ・ベロネーゼ・ユネスコ事務局長が欧州を中心に遺跡保存の国際キャンペーンを展開した。これを契機に1972年の第17回ユネスコ総会で、世界遺産条約『世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約』が採択された。本条約は、戦前の2草案、戦後の2条約等の理念を踏襲するもので、これにより、文化財や自然保護・保全に関する国際的な枠組みが完成した。また、同年、ローマクラブが「成長の限界」提言発表。21世紀への危機感を警告した。

3.World Heritage の意味するもの

日本は、1992年、126番目の加盟国として条約に批准した。締約時の1993年に基金への分担金として762,080米ドル、その後も毎年、総予算額の約1/7を1国で負担している世界第1位の拠出国である。なお、締約国の分担金等による基金を用い、調査や保存・保護のための援助等の活動を行うが、危機遺産(極度な危機にさらされ、緊急の保護の措置が必要なもの)に登録されない以上、遺産保有地域に経済的支援はない。世界遺産の保護・保全は、自国の自助努力に委ねられている。

“World Heritage”を世界遺産と訳しているが、Heritageには、「世襲財産、遺産、生来の権利」等の意味があり、「(価値を)継承する」というニュアンスがある。継承すべき価値をもつものが“Heritage”であり、単に一時点での価値観でなく、時間や時代を超えた普遍的な高い価値を認められたものであり、伝統や人々のライフスタイルまで含んだ地域文化そのものを意味する。

また、Heritageには、継承すべき価値を判断する人間の存在が不可欠で、そこに過去の営為、歴史の重みを今なお色濃く反映する。

日本の文化財保護の考え方は、どちらかといえば「現代では使われない遺物の保護」が主流であった。(明治4年布告「古器旧物保存方」―明治初期の廃仏毀釈の風潮により、伝統や慣習を否定し、多くの文化財(祭器や古玉宝石等)が失われたことへの反省。)日本では、博物館等で使わずに厳重に保管すべき過去の遺物という感覚がつよく、Heritage ではなく、Asset(資産・財産)、Treasure(宝・財産)に近い解釈をしがちである。

4.日常生活の中の世界遺産

世界遺産の3/4の数を占める文化遺産と複合遺産のうち、「人が住む遺産」(人が住む旧市街等の遺産)は34%、「遺産周辺に住む」は37%あり、何らかの形で人間の居住生活と関わりをもつ世界遺産は、文化遺産全体の7割に及んでいる。

また、現在も、施設として地域住民に使用されている文化遺産は59%(観光目的のみの使用は除く)と、現代の生活や社会と大きな関わりをもち、日本の考古学的・博物学的に貴重な遺物を保管する「使われない」遺産とは実態が異なっている。

具体的には、「歴史地区・旧市街・都市・古都」が、人の住む世界遺産の大半を占めるもので、数百年以上前の都市インフラが、修復・強化しつつ現在でも十分活用されている。日本では、白川郷・五箇山合掌造り集落などがこの例である。

「継承すべき価値を持ち、人間と共にあり、現在も活用されている」世界遺産の保全活動と観光振興はリンクしている。世界遺産の最大の保全方法は、活用することであり、積極的に利活用しながら修復・保全をすすめることが、地域づくりの課題であろう。

5.「紀伊山地の霊場と参詣道」の価値評価

「紀伊山地の霊場と参詣道」は、熊野三山、吉野・大峯、高野山の3霊場と、これらを結ぶ3つの参詣道(熊野参詣道・大峯奥駈道・高野山町石道)から構成されている。蘇州での委員会では、委員会が定める世界遺産登録基準(クライテリア:文化遺産は6項目あり)のうち、次の4項目において、基準を満たす価値を有すると評価された。

C i i 紀伊山地の文化的景観を構成する記念物と遺跡は、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示す神道と仏教の比類ない融合の所産である。
C i i i 紀伊山地の神社と寺院は、それらに関連する宗教儀礼とともに1000年以上にわたる日本の宗教文化の発展を示す類まれな証拠である。
C i v 日本の多くの地域における社寺建築に深遠な影響を与えた独特の形を生み出す背景となった。
C v i 紀伊山地において継続的に行われている宗教儀礼や祝祭などは、信仰の山の文化的景観を構成する諸要素として優秀かつ多様であり、日本を含む東アジア地域における同種資産の中でも顕著な価値をもつ。

6.文化的景観

「紀伊山地の霊場と参詣道」の正式英語表記は、“Sacred Sites and Pilglimage Routes in the Kii Mountain Range, and the Cultural Landscapes that Surround them”である。通常、日本語に表記されない後半部分、“the Cultural Landscapes”(文化的景観)こそが、本件資産を特徴づける重要なキーワードといえる。

≪「文化的景観」のユネスコにおける定義≫

文化的景観とは、文化遺産における1つのカテゴリーとして、1992年に新しく導入されたもので、自然環境と文化、人間の共同作品といえるもので、3つに分類される。

  1. 人類によって故意に意匠・創造されたことが明白な景観(例:美的あるいは宗教的目的等でつくられた公園・庭園等の景観)
  2. 有機的に進化し続ける景観(例:プランテーション・ぶどう畑・棚田・炭鉱街等)
  3. 自然的要素が強い宗教的・芸術的・文化的な事象に関連する景観(例:信仰の対象となる山岳等 ※この分野で紀伊山地は日本唯一。将来、富士山が登録されるとすればこの範疇)
≪景観の法的保護≫

2004年度までに、「文化的景観」の適用をうけて登録されたものは50件で、第1号は、1993年のニュージーランドの「トンガリロ国立公園」である。同公園は、はじめは自然遺産として登録されたが(1990)、ネイティブであるマオリ人にとって宗教的に重要な山々が存在し、人と自然を密接に結びつけているとして、文化遺産として再登録された。

文化的景観は、近年、特に脚光を浴びる分野で、本年度新たに登録された34件の世界遺産のうち、「紀伊山地」等13件に適用されている。(イタリアのオルチャ渓谷、ドイツ・ドレスデンのエルベ川流域、ポルトガル・ピコ島のブドウ畑文化の景観等。)遺産そのものの価値だけでなく、それらを取り巻く環境も含めて評価対象である。

しかし、その景観の法的保護が確立していないと、登録申請できないというハードルの高さがあり、「紀伊山地の霊場と参詣道」については、登録に際して、(1)詳細な保存管理計画の提出・各自治体間の調整機関の設置 (2)良好な景観が保たれるように高架通信線と来訪者施設についての中期戦略の検討、等の条件が課せられている。

7.「信仰の山の文化的景観」に関する専門家会議

ユネスコのアジア・太平洋地域における信仰の山に関する専門家会議が、日本政府、文化庁、和歌山県、ユネスコ世界遺産センターの主催で、2001年9月5日から10日まで、和歌山市で開催された。

この会議には、オーストラリア、中国、インド、インドネシア、イラン、日本、キルギスタン、モンゴル、ネパール、フィリピン、韓国、ICCROM(文化財保存修復研究国際センター)、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、IUCN(国際自然保護連合)、ユネスコ世界遺産センターの各専門家が、山岳研究所(米国)、ユネスコ生態科学部門の各専門家とともに参加した。

宗教的な要素をもつ「信仰の山」について、観光の側面とその管理について言及し、信仰の山における文化と自然の遺産価値を保護することが、観光計画策定への必須事項であり、世界遺産と観光は密接に関連しつつ、その価値を相互に高めるとしている。

以下はその協議内容の一部である。

【信仰の山について】

信仰や芸術作品及び伝統的慣習を通じて地域社会の精神と結びついている特定の場所は、人間と自然との間の特殊な精神的関係を具体的に示している。特に信仰の山はそのような場所である。会議の参加者は、信仰の山を、精神と物質が一体となる重要な意味を持つ自然の高みと定義した。

同時に、この山岳地域は文化の多様性を表し、しばしば重要な生物多様性の核心ともなっている。また、わたしたちの集団としてのアイデンティティの部分をなすものである。

【巡礼及び観光の管理】

巡礼及び観光の諸活動は、信仰の山の世界遺産としての性質に重要な影響を与えることが認められる。巡礼活動は信仰の山の文化遺産としての価値の証拠であるとともに、観光の側面を持っているといえる。そして、そのような活動は、地域社会にも経済的利益をもたらし得る。

しかし、外部からの多くの訪問者の流入は、文化遺産及び自然遺産としての信仰の山の価値に多大な影響を及ぼすと同時に、地域社会の生活及び生活基盤にも影響を及ぼすものである。

【勧告】

本会議参加者は、信仰の山に多大の訪問者が流入する季節に、遺産に深刻な影響が及ぶことに留意し、特に地元及び地域社会の発展を重視しつつ、関係当局及び現場の管理者に対し、信仰の山の基本計画方針の中に、遺産の保護を統合するよう強く奨励した。

具体的には、信仰の山の訪問指針を策定するとともに、それを管理計画並びに旅行業者及びガイド向けの教育訓練プログラムに詳しく盛り込むことを勧告した。また、その際に、一般観光客が立ち入ることが望ましくない信仰の山があることも十分考慮する必要がある。

観光は、文化交流及び文化保存の牽引力となり得るものである。健全な観光計画は観光客を満足させ得るのみならず、地域の古くからの文化的慣習をも尊重する。

観光収入及び観光活動が遺産、地域社会、管理者のそれぞれに対して利益となるように、信仰の山の観光計画の策定過程に参加することが求められる。信仰の山における文化と自然の遺産価値を保護することが、観光戦略を進める際の最も考慮すべきことである。

参考資料

  • 「国際観光概観」 世界観光機関アジア太平洋事務所 (2000)
  • 「世界遺産と地域」国土庁計画・調整局 (1998.6)
  • 「月刊 文化財」 2001.11月号

(2004.11)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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