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近代化遺産――歴史的建造物の保存と活用

主任研究員  谷 奈々

1.西本ビル

2005年11月27日、和歌山市小野町にある国の登録有形文化財、西本ビルの3階アートスペースで、「ルネサンス和歌山フォーラム〜近代建築プロデュース」が、大阪の市民団体銀聲社と県教育委員会の共催で開催された。(わがまち地域資源活用塾・文化庁関西元気文化圏参加事業)

西本ビルは、1927(昭和2)年、鉄道建設等を手がけた建設会社旧西本組の本社社屋として建てられた。設計は当時、早稲田大学で建築を修めたばかりの岩井信一で、彼の卒業製作であったともいわれている。

建築様式はオーソドックスなネオ・ルネッサンス様式を踏襲しているが、石積や煉瓦積でなく近代的な鉄筋コンクリート造の三階建である。正面には時代を感じさせるどっしりとした構えの玄関があり、上部には石で造られたペディメント(破風)がかけられ、それを優美なイオニア式柱頭をもつ石柱が支えている。この石柱は、継ぎ目のない一本の石材である。

外装は、1階部分が西洋建築の基壇に当るので、御影石の化粧張りが施されている。2、3階は茶色のスクラッチタイル張りで、背丈ほどもある縦長の上げ下げ式の窓と共に当時のモダンな雰囲気を彷彿とさせる。

このフォーラムでは、地域に残る近代建築物の文化的価値認識を通じて、文化資源としての近代建築を活用し、地域活性化への方策を図ろうとするもので、私もパネリストとして参加した。本稿では、時間の都合によりふれられなかった部分、歴史の生き証人としての近代建築、近代化遺産が文化財として登録されるようになったこと、民間レベルでも、その価値を意義あるものとして、保存・活用しようとする動きが生まれ、各地で、都市再生、地域再生につながる様々な取り組みがすすめられていること等をまとめてみたい。

2.近代化遺産の価値

昨年、大阪市にある阪急百貨店梅田本店のコンコース解体に際し、その豪華なシャンデリア等が壊されることを惜しむ声が多かった。米国の建築家ヴォーリズの作品である滋賀県豊郷町の豊郷小学校の建替えをめぐる問題は裁判となった。また、国に物納され、国有財産となっていた皇后陛下のご生家、東京品川の旧正田英三郎邸解体は、「日本近代建築総覧」にも記載のある昭和初期のチューダー朝風の屋根をもつ和洋折衷住宅であり、「守る会」等により何万人もの保存要望署名が集められ、社会的な関心を呼んだ。

今、各地で、その地域の近代化の基礎となった学校や駅舎、役場、工場等の建物、橋、トンネル、配水塔、灯台等の土木系構築物の保存と活用が問われている。これらの建造物は、明治、大正を経た歴史の証人として、また、地域住民の生活を支え、文化活動の拠点となってきた。その存在自体がそこに住む人々の心の原風景であり、当時の最先端の技術を取り入れ、若い技術者が情熱を注いだものであった。

明治以降昭和初期の建築物は、歴史の尺度でみると、保存されるには新しすぎたり、外国からの移入文化の未消化ともとれる表現が、評価対象になりにくいという側面をもち、寺社等の歴史遺産に比べて説得力に欠け、その結果、日常的に特段の抵抗もなく取り壊されるケースが多い。

1980年に日本建築学会大正昭和戦前建築調査小委員会が5年をかけ、「日本近代建築総覧 各地に遺る明治大正昭和の建築」を出版した。これは全国の会員らが、各県を悉皆調査し、まとめたもので、収録建築は13,000件にのぼる。各県の共通報告は、明治期の建築以上に、大正、昭和戦前の建築がすさまじく破壊されていたことである。

しかし、このような西洋文明化、近代化の端境期の建築には、他に見られない日本文化の本質のようなものが、逆説的に浮き上がってあらわれることも多い。

前記の西本ビルも、近代という時代の経済を支えていた建設業の本社ビルとして典型の一つといえる。

3.文化財登録制度

1996年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律により、保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を原簿に登録する、「文化財登録制度」が導入された。これにより、従来まで明治期以前の社寺仏閣が中心とされてきた歴史的建造物に対する文化財的評価の対象枠は大幅に拡大し、大正〜昭和初期、さらに戦後まもなく建てられた近代建築物(西洋の技術・理論・意匠を取り入れた建築物)までも、その対象に含まれることとなった。

この登録制度は、近年の国土開発・都市計画の進展・生活様式の変化等により、社会的評価をうける間もなく、消滅の危機にさらされている様々な近代の建造物を後世に継承していくため、届け出制と指導・助言・勧告を基本とする穏やかな保護措置を講じる制度で、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を伴う)を補完するもので、登録文化財の対象となる要件は、「原則建築後50年以上経過し、国土の歴史的景観に寄与しているもの、当時の造形の規範となるもの、再現することが容易でないもの」とされている。

4.各地における保存と活用の課題

4−1 大阪の“レトロビル”群
北浜レトロビルヂング
北浜レトロビルヂング
伏見ビル
伏見ビル
生駒ビルヂング
生駒ビルヂング

昨年9月、近代建築を愛する市民団体の企画により、大阪市内にある明治末から昭和初期に建てられたいわゆるレトロビルの所有者5人が一堂に会した「近代建築オーナーサミット」が開かれた。建物の維持管理面等、共通の課題も多いオーナー同士の横の繋がりをつくるとともに、戦前の佇まいを残しつつ、積極的に活用を図ることにより、近代建築物への一般の関心を喚起するのがねらいである。

近代建築の保存をかかげて、シンポジウムが開かれたり、建物を見学・調査し、さらに活動資金をえるために絵葉書や当時の街並みをプリントしたTシャツを周辺で販売する、という若者主導の「ノリ」はこれまでにないもので、従来の、専門知識をもつ人やマニアから、すそ野が広がってきたといえる。

西区の「江田堀コダマビル」は、スペイン風の正面外観に特徴があり、元々住宅として建築されたものであるが、現在はテナントのほか、フジ子ヘミングさんら著名な演奏家が使う貸しスタジオがある。

中央区の「北浜レトロビルヂング」は、証券仲買商の商館であった英国風の建物であるが、現在は紅茶専門店。同じく中央区の「芝川ビル」は花嫁教育の学園校舎であったが、現在はテナントビルで、マヤ遺跡風の装飾にインパクトがある。

元ホテルであった「伏見ビル」、元時計店であった「生駒ビルヂング」共、テナントビルとなっている。

これらは、いずれも1912(明治45)年から1935(昭和10)年の建築で、北浜レトロ、伏見、生駒の3つのビルは、登録文化財に指定されている。

大阪市中心部には100棟以上の近代建築物が残っているといわれるが、全てが上記のような改修や活用がなされているのではない。あるビルオーナーは、「非上場のオーナー経営者が多いため、株主に資産の有効活用を迫られることがないのも一因か」とみている。

4−2 東京都心部での保存と復元
保存工事前の三井本館
保存工事前の三井本館
日本橋三井タワー
日本橋三井タワー

大規模な再開発や建替えが相次ぐ東京都心部で、歴史的建造物の保存と、高層ビル開発を両立させるという新たな試みが注目されている。

東京日本橋の中央通りに立つ「三井本館」は、1929年完成、本格的なアメリカ式銀行建築で、大列柱と装飾が美しい新古典主義建築である。1998年に重要文化財に指定された。

2005年7月、これに隣接する形で、地上39階建の超高層複合ビル「日本橋三井タワー」が完成し、ここに千疋屋總本店やホテルとしてマンダリンオリエンタル東京がオープンした。

この日本橋の三井本館周辺の開発計画が検討された際、「三井」の歴史を象徴する建物の保存を要望する声は強く、外壁を残す等様々な案が出たが、「撤去は規定路線」(三井不動産副社長の言葉)であり、収益性が高く、株主も納得させることができる代案は見つからなかった。

本館解体という危機を救ったのは、1999年に東京都が創設した「重要文化財特別型特定街区制度」であった。これは、重要文化財を保存する見返りとして、同じ街区内に建てるビルに容積率の割増(上限は500%)を認めるというものである。(「保存と開発の両立に道を切り拓く、都市計画上画期的な制度」と謳われている。)

歴史的建造物を解体撤去して、新たなビルを建設するより、近隣の収益性の高い開発をセットで認めることで、元の建造物の保存を促すのが目的である。地価が高騰し、需要も多い都市部において、歴史的建造物を守るには、開発しながら保存もはかれる法律の整備等、実務面でのサポートが大きな意味をもつ。歴史的建造物の所有者がインセンティブと感じられるような保存施策は、保存と開発という相反する課題に一石を投じることとなった。

また、いくつかの「復元計画」も進んでいる。東京丸の内のJR東京駅は、現在の2階建の駅舎を残しつつ、戦災で焼失した3階部分と球形ドームの屋根を再現するという大きな計画が進んでいる。日本銀行本店等の作品もある建築家、辰野金吾が設計した1914年、創建時の姿の再現は、ほぼ1世紀後の2011年の予定である。

さらに、鹿鳴館やニコライ堂等を建てた英国の建築家、ジョサイア・コンドルが1894年に手がけた丸の内の三菱一号館は、1968年に取り壊されたが、2009年に元の敷地に、当時の姿に復元されるという。

バブル経済の崩壊後、真に価値のある歴史的遺産の再発見と、時と世代を超えて、その街に住む人々共有の思い、アイデンティティへの認識をもたらしたといえば短絡的であるが、保存や復元への流れが具現化するには、それだけの年月を要したことも事実である。

4−3 横浜の“BankART”と映像文化
旧富士銀行横浜支店
旧富士銀行横浜支店
旧第一銀行横浜支店
旧第一銀行横浜支店

横浜市では、歴史や文化を活かした新たな都心部活性化への試みとして、歴史的建造物の活用や臨海部の倉庫等に、文化芸術関連産業の触媒装置としての可能性を期待している。

例えば、旧第一銀行や旧富士銀行が立地するみなとみらい線馬車道駅エリアを、アーティスト・クリエーターが創作・発表・居住する界隈を形成することを目標に、既に、前記の2つの銀行建築をアートの拠点として活用したプロジェクトが2004年から行われている(両建物が共に1929年に建てられたことから、BankART 1929 と命名された)。

両施設の管理は、コンペによって選ばれたNPOが指定管理者となり、演劇・音楽・写真・建築・モダンアート等様々なジャンルのアートイベントを運営し、アーティスト・クリエーターに活動の拠点を提供すると同時に、市民を対象としたアートスクールの開講等、アマチュアと専門家との交流の場ともなっている。

また、近年、各地でフィルム・コミッション等の設立が相次ぎ、映画・映像文化産業に熱い関心が寄せられているが、横浜市では、映像文化都市実現の具体的な戦略として、2005年度より旧富士銀行に東京芸術大学大学院映像研究科が進出し、「世界の北野」、北野武監督が教授として就任したことはマスコミでも話題となった。

このような横浜市の歴史的建造物の活用や文化芸術産業に着目した構想は、映像コンテンツ制作産業及びその人材育成のための大学・研究機関等の誘致というかたちにみられるように、従来、文化施策の一環としてとらえられがちであった歴史的建造物に対して、経済的な価値を生む存在であることを認めるものである。

歴史的文化的価値が、人々に創造性やインスピレーションを喚起するのである。

4−4 ソウル駅―韓国高速鉄道

韓国高速鉄道は、2004年4月1日にソウル駅を起点に開通した。その開業にあたっては、民間資本を導入し、赤煉瓦の旧駅舎を残し、その隣に近代的な新駅舎を建設した。駅機能の他にショッピング、レストラン街、大型駐車場も含めた複合ビルとマッチングさせながら、旧駅舎を残した見識が窺われる。

歴史の中に佇み、古い年月を経た建築物も、最先端の新しいビルも共存できる厚みのある街づくりのあり方が、今後ますますもとめられよう。

ソウル駅 新駅舎
ソウル駅 新駅舎
ソウル駅 旧駅舎
ソウル駅 旧駅舎

参考資料

  • (社)日本土木工業協会 建設業界 (2005.11)
  • 日本政策投資銀行 RPレビュー (2004.12)
  • 日本経済新聞 (2005.10.29)
  • 毎日新聞 (2005.9.22)
  • 三井不動産HP

(2006.3)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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