ホーム | サイトマップ | リンク

ホーム > レポート > 歴史・文化 > 近代化遺産の保存と活用――和歌山県・友ヶ島の国防遺産を例に

近代化遺産の保存と活用――和歌山県・友ヶ島の国防遺産を例に

主任研究員  谷 奈々

1.はじめに――公会堂と郵便局

大阪市中央公会堂
大阪市中央公会堂

平成21年2月、大阪・中之島の大阪市中央公会堂で、経済産業省主催「近代化産業遺産 保存・活用担い手サミット」が開催された。同公会堂は、大正期ネオ・ルネサンスの勇壮な建築様式で、大阪のシンボル的な建物(国の重要文化財)である。明治の末、大阪北浜の株式仲買商、岩本栄之助氏からの100万円の寄付をもとに、建築設計競技が行われ、最優秀賞の岡田信一郎氏の原案に、辰野金吾氏(丸の内・東京駅、日本銀行本店、旧国技館等を設計。その赤煉瓦建築は「辰野式」と呼ばれる特徴あるデザイン)らが手を加えて設計、大正7年に竣工した。平成11年から3年半をかけて大規模な保存・再生工事がなされた。

この催しは、経済産業省が「近代化産業遺産群 続33」(後述)を新たに認定、公表したことに伴なうもので、今回、認定された遺産の所有者・管理者に、認定証とプレートが授与された。

授与式に続き、基調講演では、産業観光の概念をわが国に逸早く紹介し、その推進に強力なリーダーシップを発揮したJR東海相談役の須田寛氏が、近代化産業遺産を、今後さらに魅力的な観光資源として活用をはかることの意義を述べた。また、パネルディスカッションでは、イコモス(国際記念物遺跡会議)前副会長の西村幸夫東京大学教授(都市計画・景観保全)らが、産業遺産の保存と活用、その問題点等について話し合った。

東京中央郵便局の建替予想図
東京中央郵便局の建替予想図
(平成23年度完成予定・日本郵政(株)資料)

また、日本建築学会は、先般、(鳩山総務大臣の解体撤回発言等でも話題となった)「東京中央郵便局・大阪中央郵便局庁舎に対する歴史的価値に関する見解」を斎藤公男会長名で発表した。この中で、両庁舎を「戦前の日本における近代建築の中で最も勝れた水準の作例」とし、「国指定の重要文化財の水準をはるかに超える建築的価値」、「歴史的価値をかけがえのない文化遺産と認識し、保存を望むものである」との見解を示した。

最近、近代化遺産・産業遺産への関心や、その保存と活用について、専門家だけでなく住民の意識も高まってきた。これら貴重な遺産を広く開放し、文化的価値を共有し、地域資源・観光資源として活用することは、即ち、歴史的価値を有する遺産の保全との両立をいかに果たすかという難しい課題でもある。

2.近代化遺産・産業遺産とは

江戸末期から第二次世界大戦期の間に、西洋の先進的な技術を取り入れた近代的な手法でつくられ、わが国の近代化に貢献した産業・教育・土木・交通等に関わる種々の建造物等を近代化遺産と称している。また、産業活動に関する歴史的な意義のある物的資料を産業遺産と称し、これら遺産の歴史の証人としての文化的価値が、近年、見直されてきている。現在、各地の行政や関係機関で所在調査やその保存と活用のための取組みが進められている。

これまで一般に、観光資源あるいは歴史的遺産といえば、景勝地や寺社、城郭等の自然景観や文化財が中心であったが、平成19年、世界遺産に石見銀山遺跡が登録され、また、暫定リストに富岡製糸場が記載される等、近代の産業遺跡が新たな注目をあつめている。日本の近代化や産業発展を支えてきた遺産を地域資源として見直し、地域振興に結び付け、新しい観光のシーズとしても活用をはかろうという動きが各地で活発である。

これは日本のみならず、世界的な潮流で、従来の歴史・観光資源に比べ、まだ一般によく知られているとはいえない地域の近代化遺産の歴史的文化的価値認識を通じて、都市再生・地域再生につながる地域活性化への方策を探るための一つの切り口といえよう。

3.近代化遺産・産業遺産をめぐる国の取組み

(1)文化庁と近代化遺産

「近代化遺産」とは、幕末、明治、大正、昭和というわが国が近代国家を形成し、国際社会の一員としての地位を確立するに至った時期に、わが国の近代化を担った様々な有形・無形の遺産を文化財として評価しようという社会の動きの中、文化庁が用いた用語である。

これまで、「文化遺産」は、文化財保護法を主たる根拠法として保護されているが、同法は「歴史上または芸術上価値が高いもの」「民俗文化財」等が主な対象とされ、指定されるものも江戸前期までの古い遺産が多かった。過渡期的な存在ともいえる「近代化」自体の文化的価値については述べられず、近代化遺産は、保護の対象とはされていなかった。

欧米、特に産業革命の先駆である英国では、近代国家、産業社会の成立に寄与した産業遺産や技術建造物が歴史資料として認知され、歴史の流れの中の証言者的な存在として、保存・活用がされてきた。

一方、わが国では、戦後、官民一体となって経済成長に邁進し、高度経済成長時代を駆け抜けた。日本の近代化に貢献した、当時の産業遺産は、老朽化した非採算施設と化したものも多く、歴史的な価値ある遺産とは評価されず、取り壊されたものも多い。また、群馬の富岡製糸場や京都の琵琶湖疏水等各地で、わが国の近代化に大きな貢献をしながら放置されてきた遺産が消失の危機に瀕し、地元で保護への動きが起こり、まちづくりや地域振興への活用をはかろうとする例が多くみられるようになった。

このような状況の中、文化庁は平成2年度より、全国の都道府県を対象として「日本近代化遺産総合調査」に関する事業を国庫補助事業として開始した。この調査の大きな意義は、従来の文化財と異なり、建造物等の単体の文化財ではなく、ある文化財を中心としたシステム全体でとらえるということである。例えば、ある「鉱山施設」における「鉱石を掘る工場・事務所建物・鉱石を運ぶ鉄道施設・港湾施設…」等を一体の遺産としてとらえ、保存を図ろうというものである。さらに、文化庁は、遺産について、建物等のハードからシステムとしてのソフトまでをその範疇に含むという見解を示している。

ハードからソフトにまで及ぶ文化遺産とその保護についての認識の広がりは、今後の近代化遺産活用を進めるとともに、その地域に住む人々に、地域アイデンティティを喚起、形成するものであろう。

(2)経済産業省と近代化産業遺産

平成19年4月、経済産業省では産業遺産活用委員会を設置し、わが国産業の近代化に貢献した「近代化産業遺産」を取りまとめるための検討を始め、平成19年末に「近代化産業遺産群33」を公表した。これは、同省が地域活性化への活用を目的に、日本の近代化に重要な役割を担った近代化遺産・産業遺産を、文化財とは別に独自の「近代化産業遺産」として認定し、地域史・産業史を軸とした33のストーリーとして取りまとめたものである。

近代化産業遺産群 続33
近代化産業遺産群 続33
(経済産業省 平成21年2月選定)

鉄鋼等の技術や産業等を共通のストーリー(テーマ)として捉え、複数の遺産を結び付けたことが特徴で、33のストーリーを構成する全国575の遺産資源が選定されている。数府県に及ぶストーリーも多い。因みに、このリストに認定された和歌山県の資源は、1件(有田市の旧和歌山紡績箕島工場倉庫)のみで、「ストーリーNo.29 西日本綿産業」で、大阪府、兵庫、三重、和歌山県有田市、岡山、愛媛、熊本に至る「綿産業遺産関連遺産」の一つとして位置付けられたものである。

平成20年度においても、平成19年度に引き続き、「近代化産業遺産群 続33」を選定し、全国で540の近代化産業遺産を認定した(平成21年2月公表)。今回、認定されたリストで、和歌山県関係は19件で、「ストーリーNo.6 化学工業」における1件(和歌山市の本州化学工業のベンゼン精製装置)、「No.16 燈台」の2件(友ヶ島灯台・潮岬灯台)、「No.20 大衆観光」の13件(高野山駅・紀伊清水駅等)、「No.30 関西高速鉄道」に含まれる3件(紀ノ川橋梁等)で、橋本市及び伊都郡の駅舎が大半をしめている。

4.近代化遺産としての和歌山県友ヶ島の砲台跡遺構群

官民が共にその歴史的文化的意義の重要性を認知し、近代化遺産・産業遺産の保存や活用について、広く考えようという気運が生まれている。和歌山県においても、前記の紡績工場倉庫や化学工場施設、駅舎、燈台をはじめ、多くの遺産が残されているが、本稿では、幕末の開国をめぐる外国船の到来や、明治時代の世界的な帝国主義の潮流の中で、東京湾、山口県下関と並ぶ「一等要塞」として建設された「由良要塞」の中枢に位置する友ヶ島を例に、その貴重な軍事関連遺産の近代化遺産としての価値等について考えたい。(なお、幕末期の歴史的経緯及び友ヶ島の概要については、「海防先進地・和歌山のお台場」『21世紀WAKAYAMA vol.53』(h19年12月)所収のため、省略する。)

(1)明治期最強の沿岸要塞、由良要塞

明治中期、帝国主義の動きが高まり、日本の海外進出が激しくなり、国防に備え、各地に砲台・要塞が配された。友ヶ島砲台は、淡路島の由良地区から和歌山市加太の深山地区に至る「由良要塞」の中央に位置する。

由良の地は、要港として古くから重視されていた場所で、幕末には、徳島藩の台場が築かれた。明治政府は、これを基礎に新たな砲台群を建設した。その目的は、大阪湾の入口、紀伊水道を守り、敵国海軍の進入を防衛することにあった。このため、要塞の司令部が置かれた淡路島・由良地区を始め、和歌山県の友ヶ島や深山の3地区に大規模な砲台が建設され、それぞれに大砲が据えられた。各砲台は、紀伊水道の狭い海峡に向かって配置され、これらの砲台群が連繋を計りながら、淡路島の由良〜友ヶ島〜和歌山加太の田倉崎間の海峡を守ったのである。

由良要塞では、迎え撃つ位置にあたる生石山砲台の第1から第3の3つの砲台に射程の長い榴弾砲が配置され、海側には主としてカノン砲が据えられた。

要塞の建設は、由良側から始められ、由良の生石山砲台、さらに高崎砲台、成山砲台の3ヶ所の砲台が築かれた。また、演習砲台や要塞背後を防衛する堡塁、司令部施設、兵舎、弾薬庫等の後方施設も建設され、大規模な軍事基地として、体制が整えられた。

(2)由良要塞の中心、友ヶ島砲台群

紀淡海峡を守る由良要塞の中心に位置する友ヶ島砲台は、明治22年9月の第1砲台建設に始まり、明治37年11月の第5砲台火砲据付に至る16年近い歳月をかけて建設された。6つの砲台をもつ国内一級の要塞島である。幕末の台場と明治の沿岸要塞の違いは、欧米先進国の艦載砲に劣らない強力な大砲を設置したことである。由良要塞は、首都東京を守る東京湾要塞と比肩する大規模な要塞であった。

【第1砲台】
友ヶ島第1砲台跡
友ヶ島第1砲台跡
  • 友ヶ島第1砲台は、明治22年9月に着工した友ヶ島で最初の砲台で、翌年11月に竣功した。第1砲台は、紀淡海峡を通る敵艦船を攻撃するには絶好の位置となる友ヶ島西端の標高40mの断崖上にある27cmカノン砲4門編成の砲台である。これはフランス・スナイドル社製の最新砲で、砲身の長さは8m、重さは20トン。270度の射界において、217kgの弾を14km飛ばせる威力をもち、紀伊水道や大阪湾内も射程内に収めていた。全国の120を超える砲台の中で、わずか10砲台にのみ設置された。
  • 第1砲台は、砲座、交通路、横檣等がほぼ原型をとどめている。砲座の両翼に位置する観測所は特徴的で、それぞれ鋼製の装甲掩蓋をもち、上部コンクリートは一部崩壊がみられるもののリベット部や開閉扉は現存している。全国の要塞跡の金属部品は、終戦後、屑鉄等として持ち去られたものが多いが、ほぼ原型に近い形で奇跡的に現存している。
【第3砲台】
友ヶ島第3砲台跡
友ヶ島第3砲台跡
  • 第3砲台は、友ヶ島で最も標高の高いコウノ巣山(120m)の山頂近くに築かれた砲台で、明治23年に完成した。精緻に構築された初期榴弾砲砲台の傑作で、28cm榴弾砲8門編成で、友ヶ島における最主力砲台である。煉瓦造の大規模な地下施設をもつ典型的なフランス様式の砲台で、堂々としたスケールの要塞である。歴史的にみて、大砲の製造や要塞建設については、フランスに伝統があり、わが国の陸軍もフランスに倣った。また、電灯所や看守衛舎が、廃屋と化すものの、外観を残し、現存している。砲台入口部には、一対の切り通し擁壁があり、かつての門扉の一部も残っている。
  • 砲台は、堅固なフランス流であるが、28cm榴弾砲は国産で、最初の本格的なものである。砲身の長さは3m足らず、重量は10トン、射程距離も8000mに届かないものであったが、優れた性能を有していた。榴弾砲は、斜め上に砲弾を打ち上げて、敵艦船の甲板を攻撃するが、砲弾の落下速度を上げるため、この第3砲台のように、山頂部や尾根に据えられた。高所は敵艦からの砲撃も受けにくく、また、砲座の周囲を全て煉瓦と盛土でできた高さ5mの防御壁で囲った強固な守りに徹した榴弾砲砲台である。
【現在、日本で唯一の海軍聴音所】
  • 友ヶ島の西南部、幸助松海岸から南東に伸びる岬の先端に立つ半地下式の構築物が、旧海軍の聴音所で、平成14年に発見、確認されたものである。建物内壁は煉瓦造、天井部には断熱材のようなものが施され、外壁は自然石で覆い、カムフラージュしている。
  • これは、第二次大戦中に友ヶ島に配置された海軍紀伊防備隊が、海中の敵潜水艦の侵入を察知するため、スクリュー音を聴き取り、その位置を定め、海底に引かれたケーブルに繋いだ機雷を爆破させて、撃沈するための施設であった。50人程の隊員が3交代で24時間警戒にあたり、スクリュー音に耳を傾けたという。ソナー要員の多くは、その後、南方に転戦され、戦死者も多く、この聴音所の存在については長く不明であった。
  • 「友ヶ島に、海軍の施設が第二次世界大戦前から終戦時まで機能していた」という事実は最近まで知られていなかったが、この海軍聴音所は、建物がほぼ原型のままに残り、現在、日本では唯一ヶ所、その存在が判明しているところで、歴史的建造物として極めて貴重なものである。
【沿岸砲台の終焉】
  • しかし、明治政府が国家の威信をかけて建設した由良要塞であるが、実際に戦争に直面したことはなく、太平洋戦争時も一度も空襲を受けなかったといわれる。航空機が主力となった昭和の戦争には、明治の要塞は、無用の長物・遺物であった。
  • 戦後、米軍に接収され、大砲を撤去し、主要部は爆破破壊されたが、戦後60余年を経た今も、友ヶ島、加太・深山地区には、砲台を始め、厨房やトイレ跡も残る将校宿舎・発電所跡等、昔日の偉容を彷彿させる多くの遺構が残されている。

5.近代化遺産・国防遺産の地域での活用例

幕末から開国を経て、世界の近代国家の一員となっていった明治期の日本が、列強諸国に対峙すべく、国家形成にかけた物量的なエネルギー・人間の精神力は、現代の比ではなかったであろう。

明治から太平洋戦争終結に至る近代という時代は、わが国が西洋の文明を懸命にとり入れ、さらに飛躍をもとめて国力増強に邁進した戦争の時代でもあった。この時代の静かな「語り部」ともいえる数々の遺産の歴史的・文化的価値は、決して風化されるべきではない。

これらの遺産は、その地域における近代の歴史を現代、さらに未来へ繋ぐジャンクションともいえる文化遺産である。その時代を生きた体験者や研究者が、仲介者として機能することにより、遺産は大きな意味をもつものとなる。

日本の近代化への流れの中で、これら遺産が存在したことの必然性を知り、貴重な資源として、今後の地域再発見・地域振興に活用することは、今日的な意義のある課題といえよう。国防遺産・戦争遺跡をエコミュージアム等として地域で活用を進めている1、2の例をみることとする。

【千葉県館山市】
  • 房総半島南西部、東京湾要塞地帯に位置する千葉県館山市は、平和学習拠点形成によるまちづくり推進を目標に、調査研究委員会を構成し、「館山市における戦争遺跡保存活用方策に関する調査研究」をまとめた。そして、「震洋」基地等の遺跡を生かした「地域まるごと博物館(館山歴史公園都市)構想」として平和学習体験ルートを設定し、赤山地下壕・掩体壕(航空機を格納)の見学整備、ガイド養成等を提言した。
  • 赤山地下壕の説明板設置と史跡指定準備とともに、2004年度にはガイドのためのNPO法人も発足した。既に、史跡となっていた隣町富浦町の大房岬砲台遺跡と関連づけて、野外博物館のサテライトとして活用する事業が進められているという。
【鹿児島県知覧町・南九州市】
  • 鹿児島県知覧町は、特攻基地で知られる。基地跡の掩体壕・給水塔・特攻関連の施設、武家屋敷等を「知覧フィールドミュージアム」として位置付け、公園整備や戦争体験の聞き取り事業を進めている。
  • 知覧特攻平和会館には、「三角兵舎」(空襲の標的となることを避けた半地下式の簡易木造宿舎)が、見学施設として再現されているが、平成21年6月、陸軍知覧飛行場跡(南九州市)近くの私有林で、近接して建てられた三角兵舎4棟分の跡地が確認された。戦後64年を経てようやく姿を現わした、くっきりと残る窪地の発見は、今まで、殆ど確認されていなかった三角兵舎跡について、当時の状況を検証する手掛りとなるものである。

6.近代化遺産の活用

(1)新しい観光集客拠点としての整備と活用の3類型

本テーマとは別のものであるが、最近、国の平成21年度の補正予算で、117億円を投じる「国立メディア芸術総合センター(アニメの殿堂)」の設立構想の是非が話題となった。

日本には、現在、名古屋市の「産業技術記念館」のような近代化遺産・産業技術をテーマとする博物館・ミュージアムは、まだ極めて少ない。先に述べた国の施策の動向、取組みにもみられるように、今後、アジア等からの訪日観光客の獲得も念頭に、より高い集客効果が期待されている。具体的には、北九州の素材系、名古屋の組立て加工系、東京の情報や中小・ベンチャー企業も含めた情報系という三つの分野で、国立の施設の建設計画も検討されているという。

従来の観光では、欧米からの訪日客には、京都や奈良という伝統的な日本の観光資源を提供してきたが、今後、特にアジアの人々には、日本の産業技術等、今までとは異なる日本の魅力ある資源の商品化に関心が注がれている。

この近代化遺産・産業遺産の活用の方法・類型については、大きく分けて、三つの型に分類できる。第1は、過去からの機能をそのまま活かす「継続的活用」、第2は、現在、失われた状態の過去の機能を別の機能に置き替える「転用型活用」、第3として、一旦、機能を失ったものをもう一度、復活させる「復活型活用」である。

また、活用の形態を空間的なスケールでみると、個別的に「点」の存在として活用するもの、地域単位で「面」として活用、より広い「広域ネットワーク」等があげられよう。

(2)近代化遺産・国防遺産活用のための課題

近代化遺産等の活用を進める際、これらの遺産を保護・保全することへの基本的な法的フレームが用意されていること、法制度的な整備・理解が必要である。かつては、一部の研究者や愛好家、地元の保護活動グループ等が中心となり、保全・活用が試行されてきたが、特に近年の国家プロジェクト的な「地域再生・地域資源発掘・観光振興戦略」等としての着目、メディア等への露出機会の増加等による一般の関心の広がりもあり、歴史文化資源として認められるようになってきたといえよう。

しかし、砲台跡等の国防遺産では、一部に国の史跡等に指定され、公園等に整備されているところもあるが、全般として、既に朽ち果て、埋もれ、消滅の方向にあるものが圧倒的に多いのが現実である。人工的に手を加え、保存を図ることは、滅びの美学を愛する「廃墟探訪愛好家」等のロマンとは、やや異なるものであろうが、歴史学上、貴重な遺産を放置・看過し、消滅させることはさらに惜しいことである。

但し、行政が産業遺産等の保存活用に関わる場合、歴史博物館やミュージアムとしての活用が多く、やや地域の日常の生活機能から離れた、閉鎖的な場となりがちである。理想としては、非日常的なものをいかに広く開放し、日常の用途として活用していくか、という理念・手法が必要である。

ともあれ、国防遺産という、日本の「近代」を形成したある時代に、国家の命運を担った宿命的ともいえる特異な位置付けで登場し、当時の最先端の技術でつくられ、戦後、その多くが爆破命令や風化により崩れ去った――という土地の記憶を知ることは、特に地域住民にとって有為なことであろう。そして、その保存や活用等について、観光面だけでなくさらなる研究や普及活動が進むことを期待するものである。幸いにも、和歌山県の友ヶ島、加太、深山地区には砲台等の多くの遺産が現存している。所有者・管理者である和歌山市や和歌山県、国等の行政と住民が一体となって、これを歴史上、重要な遺産、日本の超一級の国防遺産と認識し、その価値を十分に活かす手法を展開していくことがもとめられる。

(参考資料)

  • 近代化遺産を歩く 増田彰久 中央公論新社  2001.9
  • 日本の戦争遺跡 戦争遺跡保存全国ネットワーク編 平凡社  2004.9
  • 明治期国土防衛史 原 剛 錦正社  2002.2
  • 和歌山県の近代化遺産 和歌山県教育委員会  2007.3
  • 友ヶ島 再発見 森脇義夫 和歌山新報掲載 2004
  • 近代化産業遺産群 続33 経済産業省  2009.2
  • 日本郵政グループ資料・HP

(2009.7)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

このページのトップへ