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『沙也可』ブームの到来か?

専務理事  辻  健

和歌山市に埋もれていた『沙也可』という宝物を発掘して地域の活性化を図ろうとする試みは、平成16年に当財団が取り上げ、その内容を機関誌44号45号に掲載した。

『沙也可』とは、今からおよそ400年前の安土桃山時代を生きた紀州雑賀衆・雑賀孫市の息子の小源太こと孫市郎(韓国名・金忠善、韓国での呼び名は『沙也可』)のことである。

それから半年位たった今年の6月に、インタ−ネットで鳥取県が、新作演劇『沙也可』の公演を準備していることを知った。

早速連絡を取ってみると、秋に開催される第3回鳥取県総合芸術祭の参加作品として上演されるのだという。

事務局を担当されているのは、鳥取県西部総合事務所の高濱由美子さんという方で、その後、高濱さんとは『沙也可』を通じての交流が始まり、この新作演劇『沙也可』を見せていただくことになった。

上演された場所は、JR米子駅のすぐ側にある米子コンベンションセンタ−の多目的ホ−ル内に特設された「朝日座」という舞台である。コンベンションセンタ−の周りには「朝日座」と書かれたたくさんの幟が、秋風に靡いていた。

朝日座の幟

この「朝日座」について少し触れておきたい。

「朝日座」というのは、明治21年に、米子の朝日町に歌舞伎情緒を満喫できる芝居小屋として建てられ、鳥取県西部地域の文化の中心として市民に親しまれて来たが、昭和51年に火事で焼失してしまった。その「朝日座」を平成の芝居小屋として復活させたものだ。

演劇は、9月30日の午後7時に始まり、2時間の通しで午後9時に終了した。

そのあらすじと時代背景を簡単に紹介すると、

時は、文禄元年(安土桃山時代末期)、豊臣秀吉は、明国を征服しようとして、その進入路を確保するため朝鮮に攻め入った。これが、「文禄・慶長の役」であり、紀州雑賀衆・雑賀孫市の嫡男であった小源太も、雑賀鉄砲衆を率いて従軍した。小源太が、朝鮮出兵に従軍した目的は、秀吉に滅ぼされた雑賀一族の再興を図るためであったが、朝鮮に渡るとすぐに、この戦いには「大義」が無いとして、降倭(朝鮮側に投降した者)となって朝鮮軍に味方し、秀吉軍と戦った。また、雑賀衆が得意とした鉄砲の製造や砲術を教えることによって、朝鮮側に勝利をもたらした。その後、小源太は、朝鮮に帰化し、朝鮮・北方での異民族の鎮圧など数々の武勲を立て、李朝の将軍となった。

その小源太(『沙也可』)と彼に従った雑賀衆の子孫が、今も韓国大邱広域市友鹿里に住んでいる。大邱広域市以外に住んでいる人も含めると、その数は、4,000人とも7,000人とも言われている。

劇の場面は、秀吉軍が朝鮮へ上陸した3日後、東來城総攻撃を明日に控えての秀吉軍の陣地の中という設定で始まる。

200年もの間、太平で戦争の無かった朝鮮軍と長く戦乱の世が続き、戦に長け、しかも多くの鉄砲を有した秀吉軍との差は歴然で、秀吉軍は、釜山城を半日足らずで陥落させ、今また東來城を攻撃しようとしている。

小源太は、雑賀一族の再興という願いと大義の無い戦いをこのまま続けて行ってよいのかという狭間で苦悩する。

そうした中、人質となった東來城主の息子の宗民泰や娘の宗鳳姫、それに加藤清正の御伽衆である京阿弥(猿楽師)や通詞の李三月等と接するうちに次第に朝鮮側へと心が傾いて行く。

そして遂に朝鮮軍に味方することを決意し、劇は終了する。

終了後、「朝日座」を埋め尽くした約300人の観客の拍手は、なかなか鳴り止まなかった。

余談になるが、近畿日本ツ−リストが、日韓友情年やこの公演を記念して、「ぐるり韓国周遊4日間と『朝日座』公演沙也可の村」を特別企画し、募集していた。

この鳥取県の新作演劇『沙也可』に限らず、この1年余りの間に『沙也可』に関係した動きが、活発になって来た。

順を追って紹介すると、

〇(財)和歌山社会経済研究所が、『沙也可』についての講演会を開催。
  • 日 時 : 平成16年9月30日
  • 場 所 : 県民文化会館小ホ−ル
  • 演 題 : 「『沙也可』への遥かな旅」
  • 講 師 : 神坂次郎氏
〇実業之日本社が、漫画『沙也可』をシリ−ズで発売。(平成17年4月28日〜)
  • 原 作 : 司 敬氏
  • 作 画 : 河 承男氏
〇文藝春秋が小説「サラン哀しみを越えて」を発刊。(平成17年5月15日)
  • 著 者 : 荒山 徹氏
〇新潮社が、小説「孤将」を発刊。(平成17年5月25日)
  • 原 作 : 金 薫氏
  • 翻 訳 : 蓮池 薫氏
  • (韓国では、この原作が50万部を越えるベストセラ−となる。また、韓国KBSテレビで大河ドラマ「不滅の李舜臣」として放映された。)

幸いにして、演劇にしても小説や漫画にしても、諸説がある中で、『沙也可』=雑賀説を採られていることは、本県の今後の展開にとって非常に有利である。

こうした動きの中で、和歌山県内の動きはどうだろうか。

少し前になるが、知事や本県選出の国会議員をはじめ、神坂次郎氏等が『沙也可』の里である韓国大邱広域市友鹿里を訪れ、『沙也可』十四世孫宗会長の金在錫氏と親交を深めている。

また、和歌山県が平成14年11月に、この友鹿里の地に友好の証として特産の梅などの苗木を植樹している。

さらに、和歌山市駅地区商店街では、雑賀孫市を「市駅前の顔」と決め、「まちづくり」に取り組むとともに、南海電気鉄道(株)和歌山支社でも、「雑賀衆ゆかりの地マップ」を作成しPRに努めている。

当研究所においても、前述の講演会を開催するとともに、今年が「日韓友情年」であり、「日韓国交正常化40周年」という節目の年に当たることから、NHKに対し、この『沙也可』を主人公にした神坂次郎氏の小説「海の伽や琴」のドラマ化を働きかけて来た。

このように、全国的な『沙也可』ブ−ムの到来が予想される中で、『沙也可』の本家本元である和歌山市や和歌山県の動向が注目される。

今後の展開によっては、日韓両国で大きな反響を呼ぶだろうし、世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」を訪れた観光客は、この『沙也可』の故郷である和歌山市の雑賀衆ゆかりの地を訪ねるに違いない。

(2005.11)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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