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「棕櫚(しゅろ)」を知っていますか? 〜野上谷の棕櫚を訪ねて〜

主任研究員  山下 慎昭

「棕櫚」について

ヤシ科シュロ属の常緑高木の総称であり、日本の南九州が原産で日本国内の暖地に植栽されています。(日本原産のワジュロに対して中国原産はトウジュロという。)鳥が棕櫚の実を食べてその実をばらまくので和歌山や四国にも自生し、耐寒性も強いため、北は東北地方にまで栽培されています。木はまっすぐに伸び、幹の高さは5〜6メートル、幹の高い部分からは手の平の形をした葉がたくさん伸びていて、街路樹などに多く植栽され、南国的な雰囲気を漂わせます。英語で棕櫚はpalmこの語源は、ラテン語のpalma(手の平)つまり、葉の形が手の平と似ていることに由来します。他にpalmの意味としては、勝利の象徴としてのシュロの葉、栄誉、勝利、成功などの意味があります。古代オリンピック競技においても、優勝者には一枝のシュロが授与されたので、この木は勝利の栄冠の意味にも用いられるようになりました。また、棕櫚は10月5日の誕生花であり、花言葉も「勝利」とされています。

棕櫚 の木は古代から聖なる木として崇められており、「棕櫚の日曜日」=復活祭直前の日曜日(英語でPalm Sunday)も、イエス・キリストがローマ軍に捕らえられて処刑のためエルサレムに足を踏み入れた際に、人々は無実にもかかわらず無抵抗で死んでいこうとしているイエス・キリストこそ本当の勝利者であると歓喜して棕櫚の枝をイエス・キリストが連行されていく道に投げたことからきているとされています。

また宗教がらみで言うと、和歌山県での棕櫚栽培の起源は、およそ千二百年もの昔に、弘法大師(空海)が唐(中国)から持ち帰った種子を、寺院の庭先に蒔いたことに始まるという説もあります。ただこれを史料として立証するものもなく、先述のようにワジュロは本来日本原産であるとすれば矛盾が生じることになります。

棕櫚の自生地 棕櫚の自生地 棕櫚の自生地
野上町小川地区の棕櫚の自生地

「棕櫚産業」のはじまり

和歌山を代表する地場産業に「家庭日用品産業」があり、全国シェアの約8割を占めるという和歌山が全国に誇る産業の一つとなっていますが、そのルーツは、野上谷で栽培されていた棕櫚を原料にして、縄、蓑、束子、箒などを製造する「棕櫚産業」に端を発しています。

野上谷とは、海南市東部(北野上、中野上、南野上)から野上町及び美里町の一部に及ぶ地域を総称した呼び方であり、紀ノ川平野と比較して平野に恵まれないこの地方では、棕櫚産業は、山村に住む人々の生活の知恵が生み出した生計を建てるための手段であり、棕櫚皮を集荷、加工し全国に売り歩き収入を得ていたようです。棕櫚が生計の目的をもって植えられ始めたのは弘和年間(1381〜84)だとされていますが確かな証拠は残っていません。

天保10年(1839)に発行された「紀伊続風土記」の記述からは、19世紀の初頭には棕櫚は藩内のいたるところに植えられており、なかでも野上谷や有田郡の奥地で多く栽培され、棕櫚皮のままあるいは棕櫚縄にして各地へ出荷し、かなりの利益をあげていたとされています。

「棕櫚産業」の盛衰

野上谷で棕櫚縄が本格的に始まったのは、明治10年(1877)頃といわれ、明治18年(1885)には、現在の「海南特産家庭用品協同組合」のルーツである「和歌山県棕梠東京積同業組合」が設立されました。東京積とあるように、野上谷から船便で積み出しされた棕櫚皮の送り先はその昔ほとんどが江戸であったのです。

日清・日露両戦争(明治27〜28・明治37〜38)を経て、棕櫚製品の需要は、軍の弾薬箱の手縄として大量に利用されるなど軍需増大もありにわかに高まり、それまでは農閑産業あるいは農家の副業としての色彩が強かったものが、その後、専業としての問屋・製造者が続々と現れ、地場産業としての基盤となっていきました。明治40年頃からは原料の不足が生じ、国内産の棕櫚皮ではまかないきれず、中国産を輸入するようになり、大正のはじめ頃からは代用品としてスリランカなど東南アジアから椰子の実の繊維=パームを輸入するようになり、棕櫚に比べて安価なパームが主役になり棕櫚産業というよりパーム加工業という方がふさわしいくらいになっていきました。

昭和30年頃から日本は高度成長に入り、原材料として、ナイロン、ビニール、テトロンの順で化学繊維が登場し多種多様な製品が開発されていくとともに、家庭電化製品の大衆化により「電気掃除機」も普及し「棕櫚の座敷帚」が掃除用具の主役の座を奪われ、台所用品の主役であった「棕櫚束子」が「スポンジたわし」にその座を譲るとともに、核家族化の進展による新築家屋の増加、畳の和室からフローリングの洋室、座布団からソファーといったように、日本の生活様式の「和」から「洋」への転換が始まり、こういった種々の要因が新製品の開発に拍車を掛ける結果となりました。

昭和39年(1964)には「海南棕梠パーム商工業組合」が発展的に解消され、翌年昭和40年に「海南和雑貨協同組合」となり、さらにその後、和雑貨産業が飛躍的な発展を遂げ、取扱製品も家庭用品全般となったことから、昭和62年には現在の「海南特産家庭用品協同組合」と組合の名称変更からも、「棕櫚産業」から「家庭日用品産業」への変遷の歴史がうかがえます。

注:「シュロ」は漢字で、「棕櫚」または「棕梠」と書きます。本文では主として「棕櫚」と表示しておりますが、組合名称については文献に表示されていた「棕梠」をそのまま適用しております。

昭和30年頃の野上町の風景
生石高原へ登る道の横には棕櫚の木が栽培
生石高原へ登る道の横には
棕櫚の木が栽培
棕櫚の木に登って新葉採り
棕櫚の木に登って新葉採り
畑の周りで棕櫚栽培
畑の周りで棕櫚栽培
(写真提供:野上町役場)

「棕櫚製品」の現状

棕櫚産業の現状を調べるため野上町役場を訪ねました。役場の玄関ロビーショーケースには町産品として「棕櫚製品」が展示してあり、今回の取材では「束子」「ブラシ」「箒」を取り上げてみました。

野上町役場玄関のショーケース
棕櫚束子
棕櫚束子
棕櫚ブラシ
棕櫚ブラシ
棕櫚箒(ほうき)
棕櫚箒(ほうき)

「棕櫚の束子(たわし)」

材料の棕櫚を持つ井澤さん
材料の棕櫚を持つ井澤さん

まず、最初に訪ねたのは、「束子」の制作現場。

束子職人の井澤さんは言う。束子の製造も中国に押されて、8〜9割は中国製品。

棕櫚は国産物の方が比重も少ないし色もいいし随分と物が違う。でも加工賃が高いので国産の材料はない。棕櫚の皮は毎年皮を剥いていかないと木が駄目になる。でも誰もする人はない。毎年6〜7枚くらい皮を剥いていかないと良い毛が出てこない。放っておいたら下から皮になってしまって駄目になる。テレビの取材はすべて来た。朝日、毎日、関西、NHK・・・来たら半日はつぶれる。と言いながらも、我々が作業場を訪ねるとすぐさま、仕事の手を止め、快く次々と説明を始めて下さった。

そして取材があると注文が増えるけど、儲けにはならないと語る。

注文も『テレビで見たので250円の束子を2つ送って』とか・・・たわし自体の単価が低いので、1つ2つの注文では送料の方が高いので、送料をおまけしてあげたり、集金代300円までようもらわん。

針金で棕櫚の繊維をはさんで巻くところ
針金で棕櫚の繊維を
はさんで巻くところ
巻いた束子を削る機械
巻いた束子を削る機械
削った後(左)と削る前(右)
削った後(左)と削る前(右)
いろんな大きさの束子
いろんな大きさの束子
出荷を待つ束子
出荷を待つ束子

解説すると、250円の束子2個で500円、送料が700円それに宅配便の代金回収の手数料300円という具合に、500円の商品を送ってもらうのに本来は1,500円必要となるわけです。ですから、注文される場合は1個2個ではなく送料、手数料のことが気にならないように友達・ご近所と一緒にまとめ買いをして出来れば1箱2箱という単位で注文してあげてほしいものです。

商売やねんからそんなんお金きちんともらわないと・・・というと、(注文してくれた)おばあさんに言うのかわいそうや、3つと言われたら5つくらい入れたる。・・・とすごく人のよすぎるおじさんである。でも井澤さんの作った束子を手にしたひとからはお礼の手紙が届いたり、お菓子が届いたりと、たくさんのお金を送ってくれたら一番ええんやけどと冗談とも本音ともとれる口ぶりながらも、職人として製品を気に入ってもらうことは、やはりたいそううれしいようである。注文が来た中でひどいのは商品を送ってもお金を送ってこないという心無い人もいるようである。これだけは絶対やめてもらいたいものです。

また商品の多くは京都の老舗へ出荷しているようであるが、京都では高く売れるそうで、やはり「京都」という地名自体がブランドとして付加価値を持つように感じました。

いろんな束子があったので、その種類の数を聞くと、種類はいくらでも注文があれば出来る。中でも一番小さい手のひらサイズが今一番の人気と言う返事であった。

売値が決まっているので、材料にどれだけ使うかの手加減が大事。

1日200個で1個40円のもうけとしても1日8千円しかない。

1時間いくらの儲けでなく1個いくらの世界で、1個の束子に使う寸分違わない材料の手加減が、もうけに大きく左右するのである。

結婚してはや50年、束子づくり一筋、昔はこの近辺にも束子を作っているところは20軒ほどあって、毎年皆集まって、観光バスで遊びに行ったりもしたが、今では一人になってしもうた。後継者もないし・・・とちょぴり寂しそう。

内職をする人も無くなって来た。賃金は安いし、作るのにゴミはたくさん出るし・・・。

内職の人はどんな仕事をするのですかと訪ねたら、ここに内職のおばさんがおるやんと指をさして紹介してくれたのが、実は奥さんであったという、何から何までユニークなおじさんでした。たわしづくりの井澤さんは、平成14年に和歌山県知事から「紀の人賞」を受賞されています。

「棕櫚ブラシ」

ブラシを製作中の木下さん
ブラシを製作中の木下さん

次に訪ねたのは「棕櫚ブラシ」職人の木下さん

先代からだと60年以上もこの仕事をし、材料は棕櫚をはじめ、植物繊維、木の根っこなどを使い、棕櫚専門ではなく他の材料も使用する木下さんは、「わしのところはよろず屋。」と語る。ほとんどが業務用商品で、その昔多くは左官屋が使う道具物として利用されていたという。しかしながら、30〜50年前とでは左官屋の数が減っているし、木の根っこで作ったフライパンの焦げ付きを洗うブラシも40年ほど前から作っているが、今ではテフロン加工のフライパンの増加に反比例して焦げ付きが減少、その影響でフライパン洗浄ブラシの需要も減っていった。時代の移り変わりによりブラシのニーズも変化しているようである。着物屋さんが染み抜きに使うブラシ、ワイングラスやポットを洗うブラシなど、用途に応じて特注で、様々な種類の専用のブラシを作っている。特注の他品種・少量生産なので、中国製品との競合はない。棕櫚の毛は耐水性、弾力性に富んでおり洗剤なしでも食器の汚れをきれいに洗い落とすことが出来る優れものなのです。

手間のかかる仕事なので、商品の値段も高いのでしょうと聞くと、値段は問屋まかせで歳をとるほど手が遅くなって作れる商品の数量が減るので採算が合わなくなるという木下さん。でも後継者の息子さんと一緒にブラシづくりに励む姿からは、まだまだ若い者には負けないぞという職人の意気を感じました。

一番左が棕櫚ブラシ
一番左が棕櫚ブラシ
着物の染み抜き用のブラシ
着物の染み抜き用のブラシ
様々なブラシ
様々なブラシ
フライパン洗浄用ブラシ
フライパン洗浄用ブラシ

「棕櫚の箒」

玄関先で棕櫚箒と桑添さん
玄関先で棕櫚箒と桑添さん

最後は「棕櫚箒」職人の桑添さん

内地産の品質のいい棕櫚皮はもうなくなって今は中国産の棕櫚皮ばかり、中国産でいくら品質のいい物といっても内地産の棕櫚には色、艶、腰が全然違うという。

鬼毛とは一枚の棕櫚皮から数本しかとれない強くしなやかな繊維で、鬼毛で作った箒は最高級品なのです。また、箒は、七つ玉、九つ玉、十一玉と玉数の多いほど高級品なのです。

畳や床に傷を付けずに細かい塵や埃までも取り除くし、掃除機と違って排気がでないし、電気は要らないとメリットはいくらでもある。

以前にテレビで取り上げられ後、京都の料亭から、最高級の座敷箒を2本送ってほしいという注文があって送ったら、その使い勝手の良さを絶賛するお礼の手紙が届いたと言う。

座敷に置いてあった見本の箒を説明
座敷に置いてあった
見本の箒を説明

プロの職人が作った商品を、プロの商人が絶賛する。これこそ一級品の証しなのだと感じられました。

過去には「世界のベストセラー」という本に記事が載ったり、テレビなどの取材もたくさんあったが最近はすべて断っているという。

その訳は、取材の後は注文がたくさん来るが、高級品の座敷箒は自分一人で作っているので数をさばききれないからという。

家の座敷に見本として飾っているものまで、直接買いに来たお客さんは、それをくれといって買って帰るほど手間暇かかる高級品である。という私もその1本を母の誕生日プレゼントとして買って帰った。高齢の母は棕櫚の箒を見て昔を懐かしく感じるとともに、畳には掃除機よりも相性がよく、いつでも簡単にきれいに掃除できるこの棕櫚の箒を喜んで毎日使ってくれている。

ほうきづくりの桑添さんは、平成13年に和歌山県知事から「紀の人賞」を受賞され、平成16年に棕櫚箒は県知事指定工芸品に指定されています。

右側に積んであるのは棕櫚の皮
右側に積んであるのは
棕櫚の皮
「鬼毛」=一枚の棕櫚皮から取れるのは数本
「鬼毛」=一枚の棕櫚皮
から取れるのは数本
棕櫚を括ったのを一つの「玉」という
棕櫚を括ったのを
一つの「玉」という
「玉」を重ねて高級棕櫚箒を製作中
「玉」を重ねて
高級棕櫚箒を製作中

その他の棕櫚製品

海南市立歴史民族資料館に行けば棕櫚についての情報があると聞き、取材のために訪問。応対してくださった女子職員の方に、棕櫚の取材で写真を撮りたいと申し出たところ、親切にも倉庫に保管されている棕櫚製品をわざわざ出してきて取材にご協力いただきました。

この紙面を借りて、取材した写真をご紹介させていただきます。

材料となる棕櫚の皮
材料となる棕櫚の皮
棕櫚マット、棕櫚縄、棕櫚びつ、もっこ(荷物を載せるもの)
棕櫚マット、棕櫚縄、棕櫚びつ、
もっこ(荷物を載せるもの)
棕櫚蓑(持っているのは私)
棕櫚蓑(持っているのは私)
晒葉の草履表(晒葉とは棕櫚の新葉を採取して出来たもの)
晒葉の草履表
(晒葉とは棕櫚の新葉を
採取して出来たもの)
海南市立歴史民族資料館
海南市立歴史民族資料館

おわりに

普通の植物繊維は水に触れると腐り易くなりますが、棕櫚の繊維は、それ自体の油分により耐水性があり、また非常に強く柔らかく、弾力性、耐久性に優れ、たわしやほうきの素材としてはもってこいの天然素材なのです。みなさんも是非一度、天然素材の棕櫚製品にふれてみてはいかがでしょうか。

最後になりましたが、この原稿を書くに当たって、野上町役場産業経済課の横山睦弘主事をはじめ、お世話になった方々に紙面をお借りしてお礼を申し上げます。

そして、この棕櫚との取材で出会った人々は、まさしく職人、その職人技はそれぞれが伝統工芸品ともいえる絶品であり、棕櫚の花言葉のごとく「勝利」を讃えたいと思います。

和歌山には、たくさんの日本一があります。でも「灯台、下暗し」で身近にありながら気がついていないものもたくさんあります。是非あなたも身近な和歌山の日本一を発見し、どんどん口コミで和歌山のよさを広げていってください。そして一人一人の和歌山をささえる気持ちが和歌山を活性化させる一つの原動力になることを心から願っています。

参考文献

  • 「海南地方家庭用品産業史」 海南地方家庭用品産業史編さん委員会編集 平成元年5月
  • 「和歌山県の地域産業」 和歌山県商業教育研究会編集・発行 平成3年4月
  • 海南地方における「家庭用品産業の歩み」〜棕梠加工業から合成繊維加工業へ〜 
  • 海南市立歴史民族資料館編集 平成10年10月
  • 「シュロの歌〜その植栽と産業的発展の歴史」 西久保俊郎著 平成13年1月

(2005.7)
(執筆者の所属、役職等は発表当時のものです)

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