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和歌山ブラぶらウォッチング

筏流しの無事を祈る磨崖仏 (日高川町舟津)




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この磨崖仏がつくられたのは1750年ごろと言われている。当時、陸上交通は発達しておらず、木材や物資を運ぶ輸送手段は川が中心であった。龍神から日高を抜け御坊まで、筏をつくり木材は運ばれ、磨崖仏のあるあたりは物資輸送の中継地として賑わっていた。「なんというても船津は都、出船入船五十五はい」と地元で伝わる筏流し歌に歌われているほどである。

しかし、この日高川は難所が多く、筏乗りには相当な技術が必要であった。「岩の多い激流を筏で下るのは水竿八年櫂三年と云われるほど技術のいる難しい仕事であった。日高川で鍛えた筏乗りは、毎年鴨緑江※1に出稼ぎに行って、そこでも一層名を高めている」『日高川(有吉佐和子著)』。このような危険な川での無事安全を願い磨崖仏はつくられたのであろう。

現在、輸送手段は川から陸上へと移り、筏師からトラックへと変わった。また、日高川に甚大な被害をもたらした紀州大水害(1953年)の後、上流に椿山ダムが竣工(1988年)し、かつての日高川とは様変わりした穏やかな日高川の風景が見られる。今では、わずかに筏師の勇壮な面影はこの仏さんから垣間見ることができる。

※1中国と北朝鮮の国境となっている川。かつては上流部の木材を筏にして流していた。

(取材:藤代)

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