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和歌山ブラぶらウォッチング

西郷(神谷) 〜日本最後の仇討ち現場〜 (高野町西郷)

日本最後の仇討墓所

旅館跡

地図

『日本最後の仇討ち』と言われる事件は実は二件ある。一つは明治4(1871)年の一件で、これがきっかけで明治6(1873)年『仇討ち禁止令』が発布された。もう一件は、禁止令制定7年後の明治13(1880)年、福岡藩の支藩、秋月藩士による仇討ちである。(話としては後者のほうが有名)

高野の『日本最後の仇討ち』は前者で、明治4(1871)年2月30日、播州赤穂藩の村上真輔の遺児による仇討ちである。発端となる暗殺事件を起こした(仇討ちされる側の)西川一味の処置に困った赤穂藩は、彼らを藩の墓所である高野山釈迦門院の守り役に任じたが、将に任地に向かう途中での仇討ち事件であった。因みに、この道を下ったところにある河根(九度山町)に中屋旅館(今は普通の民家)があり、ここで村上兄弟一行が事件前夜、謀議の為宿泊したとされている。

現場はいわゆる『京大坂道』と呼ばれる参詣道で、近くの南海高野線紀伊神谷駅近くに当時の参詣客が利用した旅館跡が静かに佇んでいる。土地の人に聞くと、夜は旅館街から三味線の音も聞こえて来るほどの賑やかさであったが、昭和4(1929)年、高野線の完成とともに寂れてしまったそうである。

(取材:萬羽)

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