和歌山ブラぶらウォッチング
稲むらの火の館 〜濱口悟陵の偉業を偲ぶ〜 (有田郡広川町)
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上の湯浅町に川一つ隔てて隣接するのが広川町。この町で特筆すべきはやはり濱口悟陵であろう。濱口悟陵は全国的に教科書の題材になった「稲むらの火」のモデルでもある。 彼は嘉永6年(1853)現ヤマサ醤油の7代目を継ぎ、濱口儀兵衛を襲名。翌年千葉の銚子から当時の広村に帰省していた安政元年(1854)、南海大地震が発生した。この時の「稲むらの火」の逸話やそれに続き、私財を投げ打って4年かけて造り上げた「堤防建設」はあまりにも有名な話である。 広川町には濱口家の自宅が記念館として整備されており、また防災意識を啓発する為の「津波防災教育センター」が記念館に併設されている。これらの施設を総称して「稲むらの火の館」と呼ぶ。濱口悟陵は明治13年(1880)和歌山県の初代県議会議長に就任している。和歌山県庁裏に濱口悟陵像がある (取材:萬羽) |
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