和歌山ブラぶらウォッチング
闘鶏神社 〜武蔵坊弁慶ゆかりの神社〜 (田辺市)
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京の五条の橋の上大の男の弁慶は長い薙刀ふりあげて・・五条の大橋での若き牛若丸(後の源義経)と出会った弁慶の話は童謡を通じて知られている。この出会い以来弁慶は義経に最後まで仕えた怪力無双の荒法師として知られている。ところで、弁慶は熊野別当で熊野水軍の統率者でもある湛増の子とされていて、田辺の出身である。 源平の戦いが山地の戦いから海上での戦に様相が変わってきた事から、当時最強を誇った熊野水軍に対する源平両陣営からの働きかけは激しくなった。弁慶も義経の命を受け、父湛増を説得するため田辺に戻って来た。湛増は弁慶の説得に応じ、そして神意を確かめる為紅白七羽ずつの鶏を闘わせた。闘鶏神社の名前はこの故事に由来する。 そして、湛増指揮のもと二百隻余りの船で壇ノ浦に出陣。源氏の勝利に大きく貢献した。時に文治元年(1185)三月、今から830年余り前の事である。面白いですね。 (取材:萬羽) |
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